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オペラ座の怪人

アンドリュー・ロイド=ウェバー氏 インタビュー


『オペラ座の怪人』を作曲したときの思いや苦労された点をお聞かせください

多くの作品がそうであるように、この作品もある意味で偶然から生まれました。偶然に原作と出会い、"ここに面白い何かが潜んでいるのではないか"と感じたのです。なぜ原作との出会いが偶然かといえば、それは原作が必ずしも歴史的名作ではないからです。
『オペラ座の怪人』は初め、大衆小説として出版されました。殺人小説なのかホラー小説なのか、歴史小説なのか恋愛小説なのかテーマも曖昧で、また当時出版された他の作品から様々な案も拝借しているようです。実は、『ノートルダムのせむし男』の映画化が成功したことで気を良くした映画会社のユニバーサル・ピクチャーズが、それに続くヒット作はないかと当時のフランス文学の中から面白い作品、それもフリークを題材にした作品を探し始めたのです。それにより『オペラ座の怪人』が発見されました。
ですから、『ノートルダムのせむし男』の成功がなければ『オペラ座の怪人』の舞台は生まれず、数ある大衆小説の中のひとつとしてやがてこの世から忘れ去られていたと思います。

あなたの中でこの作品はマスターピース(傑作)なのでしょうか?

まずその質問に答えるのは私ではないと思います。加えて、自分の作品というのは子供のようなもので、良し悪しをつけられません。どの作品にもその作品なりの良さがあり、同時に"ああすればよかったなあ"と思う個所があります。
『エビータ』や『ジーザス・クライスト=スーパースター』など、すべての作品に書いた当時の特別な状況があり、理由があります。もし『オペラ座の怪人』と他の作品の間に違いがあるとしたら、それは一度も手を加えたことがないという点でしょうか。
通常、曲というのは、一度書き下ろした後に何度も何度も手を加え完成させていきます。曲によってそれぞれの歴史があるのです。オペラの名作はすべてそのように作られてきました。しかし、『オペラ座の怪人』の場合は初演から現在に至るまで、一度も手を加えていないのです。

実際に舞台で上演するにあたり、ポイントだと思われるところはどこでしょう?

この作品において最も重要なのは、ファントム(怪人)を演じる男優のカリスマ性とクリスティーヌを演じる女優の技量でしょう。
ファントムはクリスティーヌに比べると出演時間が非常に短い。その中で強烈な存在感を表現しなければなりませんから、カリスマが必要になるのです。一方、クリスティーヌは上演中長い時間、ステージに立っています。その分、観客を強く納得させるだけの技量が必要とされます。ある意味、ファントムよりも難しい役かもしれません。

『オペラ座の怪人』はミュージカルでありながらオペラのようでもあります。ミュージカルとオペラに違いがありますか。

「私は『オペラ座の怪人』をオペラの作風で作曲していますし、またオペラとして上演されている作品もあります。オペラとミュージカルの間にはっきりした境界線はないと思います。オペラであっても『ラ・ボエーム』のように大衆に人気のある作品はミュージカルと言われることもありますし、その違いは曖昧なものでしょう。例えば、『オペラ座の怪人』のオーケストラパートだけを取り出してオペラとして上演したら、そのままオペラとして成り立つと思いますよ。

『オペラ座の怪人』では、最後にこれまで聴いてきたメロディーが繰り返されることでより大きな感動がありますね。

この話題は2時間でも話していられますが、手短に要約しましょう。どんな作曲家、オペラ作家も、メロディーを物語の上でもっとも適切な場所に入れていきます。まず、作品には筋書きという核があり、曲のどこかでテーマを確立させなければなりません。その一方で、別の個所で今度は感情表現をする場を設けようとします。これは、作曲家であれば誰もが苦心していることだと思います前に出てきたメロディーを繰り返し使うという方法は、作曲家が感情表現をしたい場合に使う方法です。『オペラ座の怪人』の最後の15分は、その良い例だと思います。これまで聴いたメロディー、馴染みのある旋律を最後に再び持ち込むことによって、聴衆を心地良い境地へと導くのです。

『オペラ座の怪人』は日本でも劇団四季が長く演じてきました。四季ヴァージョンについてどうお感じですか?

日本で初めて観たときは、素晴らしい夜を過ごしました。素晴らしいキャストと、美しく華麗なプロダクションに大変感動しました。だいぶ前になりますが、今振り返ってもその感激が甦ってきます。日本で『オペラ座の怪人』がとても長い間愛され続けていることに、心から感謝しています。


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