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日本のテロリスト

その日、
台風が日本列島に接近しているためか、
抜けるような青い空に雲がはげしく流れ、
ときおり強風が吹きつけてくる。

井上樹里は、
その日も
福島駅で
福島県民二百万人の署名を
募るためのスピーチをしていた。

駅前だから
人の流れは絶えることはない。
しかし
一人として足をとめて
彼女のスピーチを聞く人はいない。
虚空に空しく
声を放っているだけの
光景だった。

しかし一人だけ、
二、三十歩ほどの離れた地点で、
紺のパーカーのフードをざっぷりとかぶり、
右手をパーカーのポケットに、
左手で赤いマウンテンバイクを支えて、
そのスピーチを聞いている
女子高校生がいた
 
‥‥‥官房長官といえば、
政府の中枢にいる人物です、
彼が記者会見で、
いま福島は風評被害に苦しめられている、
福島は風評被害と戦っている、
このようなときに
妄想だけで書かれたこの漫画は
「いかがなものか」と発言しました、

この「いかがなものか」という
陳腐な表現は、
政治家たちが
よく使う政治用語の一種です、
相手にお伺いをたてているような言い方ですが、
こういうことは絶対に許していけない、
こういうことは断乎として
取り締まるべきだというメッセージです、

その通りになったじゃないですか、
ものすごいバッシングが起こっていく、
その漫画を発行禁止にせよ、
ただちにその漫画を回収しろと、
いまでもこのキャンペーンは
猛威をふるっています、

このキャンペーンは一見すると
福島を応援しているかのように見えます、
福島の農業や、
漁業や、
酪農や、
観光業や、
商業や、
産業を風評被害から守れと、

しかし私が指摘するまでのことはなく、
みなさんには
はっきりとわかっていることです、
このキャンペーンは
原発災害にピリオドを打つ、
原発災害の賠償を打ち切っていく
という巧妙な政治的戦術だということが、

福島県の産物をマーケットに送り出すと
二割、三割、四割と買いたたかれます
その産物のマーケットでの取引価格が
千円だとすると、
福島県産のものは
七百円、
六百円、
五百円と値切られて、
やっと市場に送りだされます、
儲けなどほとんどありません、
これを風評被害という、

この差別は
風評被害がつくりだすものだ、
だから風評被害から福島を守れ
というキャンペーンが必要なんだと、
しかしこれは
風評被害といったもので起こるのですか、

原発事故からすでに四年の月日が経っています、
厳しい品質管理、
とりわけ放射能の濃度は厳しくチェックされて
市場に送り出している、
それなのに
依然としてこういうことがつづいていく、
これは風評被害から生まれてくるものですか、

そうではありません、
これはマーケットの原理、
商取引のルールから生まれてくる
ごく自然の現象というか、
当たり前の経済活動から生まれてくるんです、
福島産のものは売れない、
消費者は福島産のものを買わない、
なぜ売れないのか、
なぜ消費者は買わないのか、

それは福島に
大量の放射性物質が降り注いだからです、
いまなお大量の放射能が
降り積もったままになっているからです
それこそが福島の産物が差別され、
いくら値引きしても売れない
という現実をつくりだしているのです、
風評被害キャンペーンなるものは、
この事実を覆い隠すためなのです、

福島県産の産物が
二割三割と値引きしなければ売れない、
それは原発事故によって、
福島県の大地が汚されたという現実を、
風評被害なるものに転嫁させる政策なんです、

現在の原子力損害賠償法では、
電力会社は過失のあるなしにかかわらず、
原発事故による損害は、
その損害額に応じて
無制限の賠償を行うことになっています、
しかしいま政府は
この条項を削除しようとしています、
すでにその動きは現実となって打ち出されて、
次々に損害賠償を打ち切っています、

営業損害賠償も
まもなく打ち切られます、
強制避難させられた地帯も
次々に避難解除がされています、
解除されるということはその時点で、
避難した人々への慰謝料は
打ち切られるということです。
いま国と東電は
こうして原発事故の損害賠償を、
打ち切ろうとしています、

膨大な国費を投じて
原発事故の賠償をしてきた、
国が担うべき責任をもう果たした、
これで賠償を打ち切る、
その政策を推進させるために、
風評被害なるものを全面に打ち出してきたんです、
これは私たちの口を
封じるためのキャンペーンでもあるんです、
事実を覗くな、
事実を語るな、
事実を書くな、
事実を撮るな、
事実を隠蔽しろというキャンペーンです、
原発事故はもう蓋を閉める、
もう蓋をあけるなというわけです。

私は昨年の十月まで
新聞記者でした。
懸命の廃炉作業がつづく原発に潜入したり、
避難区域には幾度となく足を運び、
仮設住宅で暮らしている人たち、
さらには県外に避難した人たち、
もうそれこそ日本各地に及んでいて、
そのいくつかの地を訪れたりして、
私が取材してきたこと、
私が見てきたこと、
私が聞きだしてきたこと、
私が感じたこと、
私が訴えたいことを書いてきました、

原発爆発という大災害が
私たちをどのように苦しめているか、
そしてどのように立ち向かっているか、
そのことを書きつづけること、
それが『福島新報』の編集方針だったのです、
ところが一年前あたりから
その編集方針がゆらぎはじめていきました、
原発事故の記事はどんどん小さくなり、
片隅に追いやられ、
ときには削除されたり、
ボツにされたりしていった、
編集方針が転換されたからです

原発事故関係の記事を書くならば、
明るい話題を取り上げろ、
苦境を脱して明日に向かって歩いている、
福島は着実に復興に向って
前進しているといった記事を、
そんな記事ばかりになっていきました、
真実が書けなくなったのです、

原発の廃炉作業や
汚染水対策は挫折の連続で、
すでに一兆円近い費用を投じて
さまざまな装置を開発させているが、
それがことごとく失敗していることや、
福島の子供たちの肥満度が
高い数値にあることや、
甲状腺がんが多発していることや、
避難した人々は体調を崩し
肉体も精神もぼろぼろにされ、
自殺が相次いで起こっていくことなどが
以前のように書けなくなった、

避難区域が解除されても
帰還する住民は二割も満たず、
しかも高齢者ばかり
だから村や町が復興するどころではありません、
原発事故が
どれほどの深い爪痕を福島に残しているか、
そのことを書くことが
禁じられていったのです。

そんな『福島新報』と私の関係は
だんだん険しくなっていって、
そして例の鼻血騒動で
ついに決定的になってしまった、
私はその騒動をいまここでお話しているように、
風評被害なるものは
原発災害にピリオドを打つための
戦術であるという記事を書きました、
会社はこの論説記事をボツにするばかりか、
とうとう私を許容できなくなったのか、
私を子会社の
広告会社に追放することにしたのです、

『福島新報』内での戦いも
ここまでだと思い、
その追放人事を蹴って、
私は昨年の十月に『福島新報』を去りました、
会社との戦いに敗北したからではありません、
私がしなければならぬこと、
私たちがしなければならぬこと、
いま福島がしなければならぬこと、
そのことに踏み出すことを決意したからです。
 
《福島県全土が放射能物質で汚染された、
私たちの受けた物質的、
精神的被害ははかりしれない、
国と東電に
福島県の全住民二百万人に、
一人一か月十万円の慰謝料を
原発事故が発生した日時に
さかのぼって支払うことを請求する、
この慰謝料は福島の地から
放射性物質が消滅する日まで
支払われることを請求する》
 
この福島の声、
福島が発しなければならない声を、
私は数人の同僚とともに練り上げて
『福島新報』に載せようとしました、
そしてこの声を
『福島新報』の社是として
県民に広げていこうと提案したのです、
しかし拒絶されました、
こんなことが実現するわけがない、
こんな妄想的キャンペーンを張ったら
『福島新報』はつぶれる、
ようやく原発事故から復興しつつある福島に、
再び放射能を浴びせるようなものだといって
そして私に追放人事が下りました
お前は子会社にいけと

この追放人事が下ったとき
再び噴き上げてきたのです、
それこそお前に与えられた仕事ではないのか、
それこそお前が新聞記者として、
いや一人の人間として
踏み出さねばならない仕事ではないのかと

原発が爆発したとき、
国は、
「ただちに人体に
影響する事故ではありません」
と言いました
「ただちに影響はない」どころか
「ただちに人体に影響する」ものだったのです
そこでコンパスで円周線を引き、
円周内は危険地帯で
その地の住む人たちには避難命令が下され、
それ以外の地は安全地帯にされた、

みなさん、
ここにもう一度注目して下さい、
この線引きによって、
福島県の大部分は
安全地帯にされてしまったのです、
そしてリスクコミュニケーションなるものが繰り出された、
放射能や放射線医療の
研究者や
専門家や
医師たちが次々に福島に投入されて
「放射能は危険ではない、
放射線量百マイクロシートベルト程度では
まったく問題にならない安全値だ、
避難することがかえって
健康被害をもたらす」というキャンペーンです

次に繰り出してきたのが除染です
チェルノブイリでは
軍隊を投入して大規模な除染作業を行った、
しかしまったく無駄なことだとわかって
早々に取りやめました、
しかし日本は膨大な予算を組んで、
除染作業を展開させた、
除染されたあとで計測してみると
ほとんど変わらない、
かえって高くなった地点さえあった、
そんな作業なのに政府は、
除染によって
人が住めるまでになったと
住民に帰還することに促している

そしていまスタートさせたのが
風評被害追放キャンペーンです、
一見すると
福島県を救出するキャンペーンのように見えます、
しかしこのキャンペーンの正体は、
これで原発災害に対する国の責任は果たした、
原発災害の賠償を
完全に打ち切るというシグナルなのです、
国はこれまで繰り出してきた
原発事故対応政策は、
ことごとく成功してきた
と思っているにちがいありません、
これだけの大災害の損害賠償を
わずか三、四年たらずで
打ち切ることができるなど大成功だったと、
しかし私たちは国が繰り出してきた
その施策に従ったわけではないのです、

それどころか私たちは
ちゃんとその施策の欺瞞性を見抜いていました、
リスクコミュニケーションにしても、
除染にしても、
そんな小手先の作業で
この大災害から福島を
救い出せるわけがないということを、
それらの施策は
原発災害を覆い隠すために
繰り出されているようなものだということを、

しかし私たちは
怒りの声を上げることもなく、
大きなデモを繰り出して
抗議の旗を振ることもなく、
沈み込むように
ほとんど黙って耐えてきました、
それは私たちが三つの法則を創造したからです。
 
自分の意見が正しい、が相手を傷つける。
相手の意見が正しい、で自分が傷つく。
無理な同一化によって、相互に苦しむ。
 
この三つの論理、
三つの知恵、
三つの真理によって、
私たちはどんどん沈黙していきます、
この三つの英知によって、
私たちはこの悲劇に耐え、
巨大な災害を乗り切っていこうとしています、
しかしそれでいいのでしょうか、

東京電力の経常利益は
すでに巨額の利潤が計上されています、
これほどの大惨事を引き起こしながら、
東京電力は何事もなかったかのように
聳え立っています、
日本と日本人にとって
原発事故はもはや過去のものになり、
原発事故はどんどん風化していきます、

いま福島県は瀬戸際に立っています、
このまま私たちは、
三つの言葉、三つの英知によって
沈黙に沈み込んだまま
この大災害をやりすごしていくのか、
それともこの三つの言葉、三つの英知を
乗り越えて立ち上がり、
あらたな一歩に踏み出すのか、
そのぎりぎりの地点に立っているのです

私は立ち上がりました、
《国と東電に
福島県の全住民二百万人に、
一人一か月十万円の慰謝料を
原発事故が発生した日時に
さかのぼって支払うことを請求する、
この慰謝料は
福島の地から放射性物質が消滅する日まで
支払われることを請求する》
という旗を掲げて、
私はいま署名活動を展開しています、
より多くの賛同者を求めています、
一万とか二万人ではなく、
十万とか二十万人ではなく、
百万二百万という人々の署名を、

こんな活動は絵空事だ、
こんな無謀な闘争などできるわけがない、
国と東電にお金をせびるだけの卑しい闘争である、
こんな闘争で
私たちの受けている精神的肉体的プレッシャーが
癒されていくわけはない、
こんな活動をはじめることによって、
私たちの心は卑しく、
私たちの精神は荒廃させていくと、

しかしそうでしょうか、
この戦いは卑しい行為なのでしょう、
この闘争は私たちの精神を
荒廃させることでしようか

私たちを導くテキストがあります、
水俣です、
水俣の海です、
チッソという大企業が
美しい水俣の海に
工場廃液を放出していった、
そして水俣病が発生した、
しかしその大企業は
一切その関係を認めなかった、
医者も、
学者も、
大学病院も
因果関係はないと宣言していく、
しかし人々はおそるおそる立ち上がりました、

工場廃液こそ
水俣病の元凶であると訴え、
その責任を問いただし
賠償請求する戦いを開始したのです、
そのときその戦いを
なんとはげしく攻撃してきたのが
水俣市民でした、
水俣の町に泥をぬるな、
水俣の町をつぶす気かと、
お前たちの病は、
お前たちが堕落した生活をしていたからだ、
それをチッソのせいにして
金をせびり取ろうとする、
そんなデタラメな闘争をするな、

いや、それは水俣市民だけではなく、
日本中の人々の声でした、
たった十数人で起こしたその戦い、
それはまるで蟻が
巨象に立ち向かっていったような戦いでした
立ち上がった人々は、
いくどもその巨象の足に踏みつぶされる、
しかしつぶされてもつぶされても、
また立ち上がって立ち向かっていったのです、
その結果どうなったか、
チッソはもはや工場から
廃液を海に流すことができなくなった、
水俣の海は守られたのです、
水俣の市民は
その闘争によって救い出されたのです、
水俣だけではありません、
そのときの日本は
公害列島と呼ばれるばかりの国でした、
空はスモッグで覆われ、
晴れた日も青空はなく、
人々は排気ガスを吸って
生活していました、
工場どころか
人家から排出する下水も
また川に流され、
川はヘドロの川となり、
その川で生息する魚は
絶対に食べてはならないという生活でした 

そのとき
日本にも
世界にも
公害という概念がなかったのです。
わずか十数人で起こした小さな裁判闘争は
損害賠償を要求する戦いでした
しかしその戦いとは、
さらに生まれる、
さらに大規模に発生する
水俣病患者を生み出さないための
戦いであったのです、
汚染水を流す川となってしまった日本の川を、
ヘドロの海となってしまった日本の海を
蘇生するための戦いであったのです

日本には五十を超える原発があります、
世界には何百という原発があり
さらに建設されていきます、
二十世紀の後半、
突如として出現したこの原発は、
人々の暮らしや
社会を向上させるもの
として建設されていきました、
しかしひとたび事故が発生すると、
何万何十万という人々の生活が根こそぎ奪われ、
村も町もなくなり、
国家さえ崩壊させていく
モンスターになっていく、
私たちがいま高く掲げた要求は、
そのことを日本と世界に
警鐘する戦いでもあるのです、
この戦いは
二度とこのような
大災害を引き起こしてならぬと全世界に
‥‥‥》

そのスピーチが
そこで中断されたのは、
紺のパーカーのフードをかぶって
そのスピーチを聞いていた
女子高校生に刺殺されたからだった。

上原くるみは
小学生のときから
道場に通っていた剣道の有段者だった。
だからその一撃は、
正確に井上樹里の心臓を刺し貫いていた
だれも聞いていない
そのスピーチを、
むなしく空に散っていくだけの言葉を、
大地に流れ込んでいく血潮とするかのように。

崩れ落ちた井上樹里の体から、
突き刺した短刀を引き抜くと、
上原くるみは
何事もなかったかのように
赤いマウンテンバイクに乗り、
渡利大橋まで走らせると、
その橋の欄干から阿武隈川に身を投じた。
彼女の死体は、
三日後、
漁船によって発見された。
阿武隈川から解き放たれて、
はるか太平洋の海を漂っていたのだ。

複数の友人にメールが打ち込まれていた。
《言葉は汚され、
たちまち泥の底に沈んでいく。
人が立ち向かうべき言葉を、
歴史の中に
永遠に
刻み込むために
私は暗殺者になった。
民主主義の堕落を
救いだすのは
一人一殺の暗殺者である。
──ジュピター》

 くるみは欄干から身を投じる前に、
背にしていたディバックを
赤いマウンテンバイクのかたわらに置いているが、
そのバックのなかに
「ジュピター」という小さな本が入っていた。
 
 
 

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