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盗撮や痴漢、猥褻行為は(主に)女性が存在することにより存在する

私人逮捕という名のもと恐喝や詐欺を働く迷惑系ユーチューバーの暗躍、弱いもの達が夕暮れ、さらに弱いものを叩く構造を生み出している。犯罪数の減少とともにノルマが厳しくなった僕らの住民税(所得税)を食い荒らす良いチンピラは待ってましたとばかりに公人?逮捕する。しかしながらその発生源として「見せている側」「触られる側」についての一切の逮捕はない。一方的に見せて・触らせて、行為者のみが裁かれ、非行為者(最も、見せている、触らせている、存在している故に真の行為者とも言える)が裁かれないのは、イスラムではあり得ないが、ポリコレと忖度と潔癖症のネット村社会の令和日本においては、それがむしろ常識なのである。所変われば見方も変わる。つまりは、日本社会は、司法制度においても女性の方が男性よりも減刑されることが多いが、男女平等として雇用均等法含めあらゆる領域に平等を敷いておきながらも、つまりはもはや圧倒的に女性優遇社会になりながらも、その結果とその観察できる事象として、やはり女性優遇が全領域に置いて蔓延っており、これが社会崩壊の根本原因である様に思う。これは私の感想です。

性的優位にありながら、性的に保護される令和日本の女性

はっきりいうと、性欲の我慢を強いていることは男性の人権を侵害しているのではないかということである。以下はイスラム教の聖典であるコーランの引用である。

 「慎み深く目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分は仕方がないが、その他の美しい所は人見せぬよう。胸には蔽いを被せるよう。」(第24章31節)

井筒俊彦訳(1958)『コーラン』(中)岩波文庫

これは、女性の特に美しい部分であるとされる髪を覆うヒジャブ(スカーフ)着用の根拠となる一文らしい。この効果としては端的にいうと女性の利益のためということになっている。隠すことが利益ならば、見せることもまた利益となりうる。女性の見せる行為は自らの利益のためにやっていることなのだから、それを隠せと強要するのは利益侵害や人権侵害に当たると。いや、問題はそこじゃない。

許可するかしないかについて女性にのみ絶対決定権を持たせることの罠

女性が白というか黒というかの思いつき、感情で、判決が変わるのが男性の人権を侵害していると言える。つまり実際の日常生活においては、性欲に基づく行為において男性に弁明や反論の余地を与えないことが問題なのである。根本的に考えれば、性欲による動機は本質的には男性に過失がないと考えうることもできる(男性が健全な男性であり存在しているが故に犯罪と認定されていることを起こす力学が発生するから)。自制する範囲にどこまで責任があるかという法学的哲学的問題になる。そして確率的には、日本男性の誰もが犯罪者となりうるリスクがあるからだ。ある閾値まで性欲を喚起すれば、全か無かの法則のごとく、2×2=4のごとく性犯罪と定義された行動を行うとすれば、もはや男性に自由意志は存在しないこととなり、過失が存在しないこととなる。健全な男性全員が持ちうる要素をどこまで犯罪認定するのかは、一般社会通念上、では足りないので、判例主義だとすると、これまで上げられた「事案」としては、半ば男性のあらゆる女性を不快にする振る舞いにもはやNGがかかっているように思う。

女性優遇された法を踏み越えてでも、性犯罪に走る確率

その人にとって人生史上最強に可愛い至高の性癖を満たす美(少)女が現れたとして、その女性にアプローチすることを抑えることは不可能だろう。自制しうる範囲は個人差があり、たまたまその自制を踏み越えた男性が社会的不適合者として処罰され、女性は減るものはない。確率論の問題で、男性は常に内なる衝動に怯えて暮らすディストピアが、社会(女性中心主義)の要請に応じて、新条例や新法といった形で、点数稼ぎノルマ稼ぎとして、はたまた恫喝や脅迫、詐欺や慰謝料の新ビジネスとして完成したのであろう。あらゆる経済活動、公的であれ私的であれ、は需要がないと成立しない。男性の犠牲を引き換えに成立した女性優位の社会は格差を是正せねばなるまい。
じゃあ女性は、というが、性愛市場において生まれながらに(女性というだけで)男性より性的パートナー獲得は容易であり、男性より一人セックスも容易(外イキ派の場合)であるが故に簡単に満たせ、テストステロンの濃度差があり、あまり困らないと考えている。故に性愛達成の難易度の差を無視して、一方的に男性のみを抑圧する社会は、どうやっても男性に不利にできている。それが若者の少子化や恋愛回避行動を加速させる悪循環となっているのは、男性からアプローチするのが未だ恋愛市場においてはまあまあスタンダードとされているからである。ハイリスクローリターン(法を半ば踏み越えてでもセックス達成)は、積立NISAやETFが好きな筆者では、乱高下を繰り返す到底掴めない新興国レバレッジ個別株のようなものである。

観測し得ないものは存在しないことと同義である

バレなきゃ犯罪じゃないですよ、はまさに女性そのものが存在しない場合には発生しない事象に例えることができる。女性が存在しなければ痴漢も盗撮もセクハラもレイプも存在しない(女性以外を対象とする場合は例外あり)。だからインセルはともかく、女性なしの男性独身貴族人生を楽しもうとするMGTOW主義は実に合理的である。男性が女性の人権尊重男女平等の旗印の元、女性のみのあらゆるわがままを許容した(それが法的にも!)優遇社会を生きる上で、生活上極力観測しなければ、大きな人生上のリスクを背負うこともないし、令和においてはその価値もないのである。男性が女性に求めるものは性的なものであり後は全部綺麗な嘘、嘘は最強の武器なのだから。ポルノコンテンツは無限に無料でネットの海に投下される令和において、男性が非合理的な女性交際を求めるのは、非合理的なことは楽しくもあり、リスクテイカーこそやり手タイプ、リア充、陽キャ、人生なのだから、という発想においてなのかも知れない。しかしながら外交性や内向性は遺伝と環境により分かれており、どちらを選んだとしても、自由に生きれりゃこの世は楽園。
どこまで自由を侵害されるか。その制限度の差において、男性はあらゆる制限を受けており、だから寿命が短いのではないかと思う。ホモソーシャルな競争から降りられる社会も必要だが、昇進や昇給とのジレンマを抱えることも少なくないだろう。制限があるほどストレスは増大し心身に負荷がかかる。
中年限界おっさんの一部が夢見る、バーチャル美少女受肉(バビ肉、コンピューター上で仮想的に美少女のアバターになりきること)は、相対的に制限の少ない女性への羨望から来ているのではないか。熱力学第二法則によるとエントロピーは常に増大していくのに、男性のみ制限をかけるのはおかしいのではないか。LGBTという(見方によっては)逃げ道はどうか。MtFという選択肢も増えた。しかしながら、大多数の日本男性にとっては、男性の本性による振る舞いが制限されていく社会で抵抗する術がMGTOWぐらいしか残っていないのも事実である。サイレントテロという手はある。それはじわじわと令和日本社会に浸透している。つまりは女性にモテるために(関係を維持発展するために)必要な一切の消費行動を避けるということだ。結論としては、女に金を使わないことが、合法的にも合理的にも、男性側の「答え」であるような気がする。

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