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少年、未だ革命ならず。

もう名前を言うのも憚るが、誰のことだか言う必要もないし、かと言ってここで言及しないでおくのも将来に於いて禍根を残しそうなのでここで取り上げて今後はもう二度と話題にすることもしないでおこうと思う。

かの件について、多くを語らない。

少し格闘技に掠っているので分かる範囲のフレームで気になるところを幾つか取り上げようかと思う。

未革命少年は説明不要だが学校には通ってない。
と言うのは少し語弊があるが偶にしか行っておらず、周囲から本人だと気付かれないらしい。

学校には通わない傍ら地元のボクシングスクールに通っていたようである。
練習風景もアップされていたが、正直何も特別ではなく「普通」である。

普通なのだ。

何も無理する必要はないのである。

ただ保護者の気持ちも分からんまでもない。

何故通わせないのか、色々と理由はあろうが所謂ホームスクーリングもこの親子の言動から成功しているとは言えない。

それ以降からか、所謂アンチ達ばっかり相手にしているようにも見える。

元々アンチはいたのだろうけどずっとアンチにしか目が向いてない。

色々と画像もアップしているけど全てが見せびらかしに見えて只管空虚である。

他人に認められたくて一定の評価が欲しいようにも見えてしまう。

教育とは何ぞやと一概には言えないが、短期的な結果を要求するものではなかろう。

それ故に9年だけでも勉学に励まなくてはならないのだから。

全て短期的な結果しか求めず、皮肉にも積み重ねがないと言う結果から見た目にも言動にも成長が見られないようにも感じる。

あと数えるだけでも2年もないので義務教育機関を過ぎたら唯の無職青年になることは間違いない。

文字通りのNEETである。

NEET(ニート)とは今でこそ無職青年を侮蔑し嘲笑するネットスラングとして成り立っていたようにも感じるが(もう死語になってる感がある)、元々はNot in Education,Employment or Traningのそれぞれの頭文字をとったもので、何も教育も雇用も訓練も受けてないイギリスで取り上げられていた無職青年のことを指していた。

未革命少年はこれになる。

可哀想に誰も止めようとはしない。

周囲の大人達が諫めることもしないから本人達が増長する。

周囲の大人達にとって彼らに引っ付いていれば自分もその名前に肖れるからと言う理由に過ぎない。

誰も彼らの将来なんか憂えてない。

自分達で世の中を変えられると思ったのか政治的に行動を起こそうとしたところが与党でもなければ野党でも社共でもなく、名前も言いたくもない反社会的な泡沫政党から立候補することだった。

如何に社会から外れて革命を訴えようとしても受け容れられる訳もないのが当たり前で、豊かな社会豊かな時代豊かな国に生まれた子供がその恩恵を知ろうともせず只管逆張りで構ってもらおうとしている。

あと2年もしないで義務教育課程は終わり、あと4年で所謂“少年”の時代は終わる。

何も赤の他人に構っている必要もないのだが、興味を抱かずにはいられない人にとってはそうした子供達がどのような大人になってしまうのかというサンプルを見届けられることが出来る一種の娯楽になるというものだろう。

正直こんなことを書いている自分も果たして彼らの家庭には興味ない。

不登校児がどのような運命を辿るか、もう大体分かってしまうのである。
ホームスクーリングは失敗することが分かっているので、大人になってから夜間の学校(若しくは通信教育)に通うしかなくなるのである。

これも大体至って普通のルートなのである。

何も自分達は特別ではない。

大人になれば相手にされなくなることは分かっているので、やはり本人達も消費期限(賞味期限ではない)をどこかで気にしているのだろう。
どことなく集大成的なパフォーマンスも見せている。

別にそれは子供だから特別だという占有権を主張するものでもなかろう。

中でも子供版の殴り合いイベントを作れみたいなことを言ってのけたのには仰天を通り越して呆れてしまった。

初めから何も持たない者が人の物を欲しがると言う正に「子供じみた」ことを言ってしまうのであった。

何も持たない子が人のものを欲しがるのはある意味当たり前で、これも時間と教育を掛けて克服していくものなのだが、そういった成長の片鱗すら見せていないので自己流の教育は失敗だったと見ていいだろう。

人と同じものを手に入れるためには努力して手に入れるものだということを教えないのだろうか。
子供という特別資本だけで切り売りしているのが良く分かる。

これを彼ら親子は嫉妬と言ってしまうのである。

目立っているから?

色んなものを手に入れているから?

だとしたら物凄く刹那的である。

恐らく嫉妬の眼差しでいるのは誰もいないだろう。

お節介とお説教が多いから本人達もそれに応えようとしているのが目に見える。

子供でいられる内はそう言ったことは野次馬も言えるだろうけど、大人になってしまえば誰も言ってくれない誰も助けてはくれない。

そういうような人がいるだけではと感じる。

子供版の殴り合いイベントを作れと言うが、ボクシングスクールに通ってそんなことしか言えないのかとがっかりしてしまう。

普通にアマチュアの大会もあるし、そこに出たらいい。

出た時に自分の力量が全く通用しないことを痛感すればいいのである。


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