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ジャンプのボクシング漫画第2話について

プロだとプロが始まる前に打ち切りになる、と言ったジャンプのセオリーを歩むかと思ったらそうでもなかった。

考えてみればそもそも戦後の混乱期の話でJBC(日本ボクシングコミッション)が発足する前(昭和27年以前)なのでどちらかと言うとボクシングの形を取った賞金稼ぎの地下格闘技みたいな話からスタートしている。

ある意味ジャンプらしいスタートだと感じる。

昔あったBAKUDAN(ばくだん)というやっぱりジャンプで嘗て連載されていた漫画を思い出す。

宮下あきらが描いていたのだが、コミックスは2巻で打ち切り。

プロになる前のストーリーなのでこれもまたジャンプらしいっちゃジャンプらしい。

プロになる前の天涯孤独の少年がやっぱりやくざの下で暮らすと言った設定はドリトライにも引き継がれているようにも感じる。

ばくだんの主人公もドリトライの主人公も実は1歳差しかない。

栄養状態が悪く体格も大きくないと考慮しても15歳は最早少年ではないだろう。
(この主人公がその時点で15歳とすればJBC発足時には22歳になるだろうからプロになるかどうかこの先連載が続けば未知数と言った所か)

成人の位置付けが建前20歳からだとしても立場的に青少年である(働ける年齢でも未成年と言う位置付け)。

みんな殆ど中卒(小学校すら怪しい)で、それこそ火垂るの墓の清太と同じ年代と考えれば良いだろう。

奇しくも清太の方は戦後を生き抜くことができずに駅で野垂れ死んでしまうのだが。

作中に警官らしき人物がやくざが暴れているのを笑って眺めていたシーンがあったが、あれこそ戦後の混乱期において警察機能が働かなかった時期に治安維持をやくざにも任せていた現実があったことの裏付けだろう。

戦後の考証を監修者に任せているようだが、こうした戦後を描いた作品は残ってたりするから描きやすいのではなかろうか。

ただ、過去の話なので随分と蓋されて来たこともあったと思う。

ジャンプがこうした過去の時代を描くのは恐らく鬼滅の刃を参考にしているのかも知れない。

戦前戦中ではなくて戦後を描けるようになったのは、戦後を生きて来た人たちがいなくなったからだと思う。

鬼滅の刃の大正時代も誰も生きてないと確信したからこそ描けたのだろう。

るろうに剣心もその連載された当時の明治時代を生きた人もいなくなったし、考えてみれば時代考証警察みたいのに搦まれる事も無いと踏めたからと思う。

歴史物を描いても一か八かという結局運命的なものを感じるのでこの漫画がこの先長く続くかそれとも10週打ち切りになるかどうかは分からない。

結局主人公に共感できるか否かなので、今の豊かな時代豊かな国豊かな社会に生まれた子供たちに果たして通用するかどうかである。

スマホを持った子供たちに生きるために我武者羅になってしがみ付く人の境遇なんか共感出来るのだろうか?

おしんですら豊かな時代のバブル期の中で放映された作品である。

想像力の欠如と言うのは容易いだろう。

「今の若い者と来たら」というのは老害の決まり文句だが、後から生まれた人は生まれる前のことも知らないのは当然。

だが、今の豊かな生活を築き上げたのは紛れもなく先人たちなので、歴史を知らなければ何故何もしなければすぐ死ぬと言ったことにも出くわさないと言うことさえも知る由もないだろう。

一時期ではあるが平成末期に貧困層が6人に1人と言われていたが、結局これが少し改善されて7人に1人になったとは言え、戦後の貧しい時代とは比べ物にならないくらい豊かであることは間違いない筈である。

それに伴いスポ根ものも段々共感されなくなり、時代や社会によって抑圧されたものから小さな社会で抑圧された奴隷が逆転していくというストーリーに変化していったように感じる。

それこそ正に別世界で生きて活躍すると言った選択肢が増えたような物語が中心になっていくようにも感じる。

多分、今回の漫画もその手の感じは変わらないのだろう。

抑圧された社会で生き抜くと言ったサバイバルは多分いつの時代も変わらない筈である。

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