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しょこたん結婚おめでとう🐈💒💍

遂にしょこたんこと中川翔子(本名は中川しようこで、画数で大吉と出ているらしく名前の変更はなし)が結婚を決めた。
(結婚して、もしもしょこたんが苗字を変えたらどうなっちゃうのだろうと思ってしまう)

今年の端午の節句🎏でレベル38になるが、やっぱり間に合うようにしたのだと感じてしまう。

交際は一年で動物を通してとのことらしいが、もしもしょこたんがセーラームーンしか興味なかったら「詰んでいた」可能性が高い。

しょこたんに限らずとも趣味や関心がひとつだけしかなかったら「絶対に」結婚なんか出来なかったと思う。

オタクが結婚しないor結婚出来ない理由の一つはこれに尽きる。

趣味や関心が他に示さなければ結婚になんか興味湧かないに決まってる。

そこはガンプラに埋もれて死ぬ覚悟はあるのかということになる。

覚悟なんて、持ち合わせる積もりも義理もないだろうが、「おひとりさま」を選ぼうとすればそうなる運命にある。

でもみんな「結婚」を選ぶ。

オタク趣味に殉じるような人はこの世に存在しないのが分かる。

上野千鶴子は別にオタクではないが結婚しないでおひとりさまのフェミニストを選ぶのだろうかと思ったが20年以上前に法律婚をしていたことが分かった。

独身を貫こうとする人が年取ってから寂しくなって婚姻の道を選んだらクロワッサン症候群と呼ばれるらしいのである。

ここでいうクロワッサンとは食べ物のクロワッサン🥐ではなくて婦人系雑誌📗の名前のことを指す。

今までおひとりさまライフでもいいような特集を組んだ編集者や読者が結婚し始めたら突如として結婚や新婚生活中心の記事ばかりになってしまって、これまでの読者達が梯子を外されてしまった現象を指してのことだった。

どんなにお金持ちになって独りでもいいと覚悟を決めても、やっぱり孤独には耐えられないのだと感じる。

しょこたんが別に孤独かどうかは分からないが、少なくとも母や猫がいる訳だし、大丈夫かと思っていたが結婚を選んでしまった。

「しまった」というのは語弊があり過ぎるが、本人にしてみればそんなに覚悟を決めたって訳じゃなさそうである。

大体の人もそんな感じじゃないか?

結婚したいけど結婚出来ないのは辛いと考えている人はそんなに多くはなさそう、と考えていたがでもこれはよくよく考えてみれば人間が80先くらいまで生きられることが分かったのでモラトリアム期間が延びただけなんじゃないかと思う。

平均寿命も昭和の終わりまでは60代くらいまでだったが、平成に入って70代、令和では男女とも80歳を超えてしまった。

とは言っても平均寿命とはその年に生まれた子供がどれだけ生きられるのかという算出なので今生きている人にはあまり関係のない話なのである。

少子化ということもあるが、晩婚化しても子供を産めるという環境にあるということもこの国のある種の幸福なのかも知れない。

40歳でも「オトナ女子未満」とは何のことだろうと思ってしまう。

昔は25歳をとおに越したら「行き遅れ」とも言われてたのに。

30代で高齢出産と言われていたが、40代となると流石に厳しくなるのではと思う。

ここ最近見られる相対化の言説として「男も精子が劣化するじゃないか」というものがある。

そもそも自分の子供を産むのに男の精子が劣化する話ではない筈で、分かっているのならそんな年寄り選ぶより若者を選んだ方がいいのである。

本人の稼ぎが十分なら別に稼ぎが少ない若者囲ったって良い訳だし、そうした話が出て来ない以上やっぱりどこまで行っても「受け身」なのだと感じる。

受け身だからこそ「売れ残った」のではないのか。

こうなってしまうとやっぱり「お見合い」を復活させた方が良かったのでは思う。

こういう80〜90年代の恋愛至上主義商売に乗せられた人は逆に可哀想だと思う。

バブルの頃は数百円程度のチョコレートで数十数百万円以上するホワイトデーの見返りを求めるような社会で育ったのなら、勘違いするだろう。

そういう人がバブル崩壊して売れ残ってしまったまま30代を迎えた人のことを「負け犬」と称していたらしいのである。

そういった売れ残った人が焦り始めて結婚の道を選ぼうとしたのが婚活という。

婚活とはいっても成功する人もいるだろうが、大体いつまでも「選べる立場にある」と「思い込んでる人」にとってはいつまで経っても選ばれないのである。

賞味期限切れて皺皺になった野菜が棚に並んでいるだけである。

やっぱり「ナマモノ」なので一刻の猶予も許されないし、悠長に選んでなんかいられない。

そうした婚活の場なんて毎日行けるような人ばかりではないのだし、いつまでありもしない理想を掲げているのだろうかとさえ思う。

余計なお世話なのだが、いつまでも他責思考だったら願いなんて叶わないのである。

SNS(ツイッター)で異性(ここでは男女に限らない)に対して怨嗟を撒き散らしているような人は大体婚活に失敗しているのではないかと言う指摘がある。

可哀想なのだが、こういった人達は永遠に気付かないまま一生を終えるのだろうと感じる。

片やフェミニズムに奔るか、片やアンフェに陥って権力擦り寄り志向になってしまうかである。

しょこたんは“間に合った”が、ボリュームゾーンの多い世代は本当に一刻の猶予すら許されない筈である。

もうアラフィフ(50代)に突入しそうだからだ。

男女の精子や卵子の質の劣化の話ではなく、そもそも子育てする体力すら持ち合わせられないのではないか?

50代となって仮にお互い高齢出産となった場合、子供が成人する頃には古希である。

人生80年とは言うが、誰も80歳まで生きる保証なんてない。

そんなもんピラミッド型の人口比を見れば分かるのである。

国もそう言うのが分かってしまっているからこそ、こうした行き遅れ中年達の話なんか聞かないことにしているのだろう。

ただ、不妊治療費の負担を国が面倒みるらしいのでどこかでそうした一つだけの救いを差し伸べているのだろうと感じる。

何度も繰り返して言うが、少子化の解決は既に結婚している者達や、シングルマザーへの手厚い保護や、結婚に踏み切ろうとしている人達のみを対象にしているのである。

スタートラインにすら立てない人は頭に入れていない。

国の目標としては女性への賃金格差をなくすことを前提に立っているので、国は働いている女性と結婚せよと言っているのである。

まだまだ男が稼ぐべきという価値観に男女とも囚われているのだからこれも晩婚化の原因にもなっている。

構造としては女性の給与や待遇の底上げをしたら所謂弱者男性らが出てしまうというシーソーの原理になってしまっているので、彼らが同じ婚活のテーブルに就くことはないのである。

全体的に賃金が下がり始めたら女性の賃金に歯止めをかけるような状態にしないと男女共に暮らしていける家庭を築けないようになってしまっている。

例えば男性の給料が年300万円だとしたら女性の給料も正社員で300万円にしなければ子供を多く生み育てられない。

ここ、正社員が肝で現実的には正社員のテーブルなんてないから派遣やパートにされて賃金も低く抑えられてしまっているのだろう。

どうしても正社員の待遇を維持せねばならないから非正規雇用も増やさなくてはならなくなる。

詰まり、非正規に甘んじているのは自己責任でも何でもなく「お前の給料を払うためにアルバイトを雇っているんだぞ」という真実が隠されているだけなのだ。

如何せん能力の低い者に対して正社員と同様の同一賃金を与えるのはフェアじゃないだろう。

となれば必然的に年収200万円以下100万円程度の弱者男性が現れてもおかしくはない。

彼らがどうして結婚して子供を産めようか。

国は賃金を上げろとは頻りに言っているが、既に限界に達しているようだ。

雇う側としてもそこまで金を出せないので結局はボランティア頼りだったり非正規雇用ばっかり当てにするようになる。

キャリアアップすら望めないのでこれも婚活と同じく年ばかり取るだけで年金も貰えずに生活保護への道まっしぐらなのが目に見える。

ただ、生活保護貰う前に本人達が不摂生と不養生で寿命が来てしまう方の確率が高くなりそうだが。


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