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めぐる 春に咲く 嘘吐き の 夢



今日こそ自分の過去の話で人の気を惹こうと目論(もくろ)んでいたのに、結局それができずに、ただ過去の自分を私自身が憐れむだけの、桜咲く春の夜です。
短い短い桜の季節の盛りです。

少し前まで、風の強い日が続いていましたが、ようやく、温かな春の夢の時間がはじまりました。

風の音を聴く夜よりも、不思議と心が騒ぐ、静かで温かな夜です。

こんなに優しい夜でも、悲しくなったり、寂しくなったりするものなのだ。驚きながら途方に暮れています。

これは偏(ひとえ)に、私が嘘吐(つ)きであるからなのですが、しかしてこの世に嘘をついたことのない人がいるでしょうか。
なんてことを、読んでくださる皆さんに言ったところで、私の嘘が都合よく、溶けて無くなる訳でもありませんが。物心ついた時から自分を偽っている、生粋の大嘘吐きですから。

こんな大嘘吐きは、小説でも書いて生きていく外(ほか)なかろうなんて、小説家を目指していますが、なかなかどうして難しいものです。
結局小説は「ほんとうのこと」を手を変え品を変え、分かり易く伝えるために、形を与えるために、方便として事実ではないことを織り込んでいるだけのことですから。別に嘘を吐いている訳ではないのです。
私だって本当は「ほんとうのこと」が語りたい、その気持ちで筆を取っているのです。

しかし世の中には、「ほんとうのこと」が語れない人間というのは、私みたいな小説家志望にも、もっと偉大な誰かにも、語る言葉すら持てない人にもいて、案外多いのではないか。
私はそういう人達が、いつか自分の「ほんとうのこと」を語る言葉に辿り着き、重荷を下ろす日が来るのを願っています。

もしかしたらそれは、桜みたいに淡く優しい、儚さの力を以(もっ)てして、ようやく私たちに語らせてくれるのかもしれません。そうでなければ「ほんとうのこと」を語ることができない。そんな嘘吐きの業の深さを思いながら、咲いたそばから散っていく夢を想います。

今すぐ吐いた嘘ごと消えていきたい。いや、この偽りの苦しみの先に嘘に隠れた「ほんとうのこと」を語りたい。
相反する想いの中で、私も桜のように生きたいと思い直す。
桜は「ほんとうのこと」という気がするからです。

桜が咲くのに必要なのは温かさだけでなく寒さも必要と聞いたことがあります。

日本では、春は冬の次に巡ってきます。
何度も何度も年を取って、季節が巡って、春はいいな、と思い、けれど必ず通り過ぎる冬を想い、いつか重荷を下ろした嘘吐きだった私たちで、花見の会でも催しましょう。そこでは「ほんとうのこと」だけが咲いて、宴を賑やかしてくれるでしょう。何もばれて困ることはありませんので、よければ酒も飲みましょう。茶だって別に構いません。うまいものを食い、「ほんとうの自分」を楽しみましょう。
妖(あやかし)の類(たぐい)と間違われても私は一向(いっこう)に構いません。きっと気楽さが、自分で自分を責め苛(さいな)む声から守ってくれるでしょう。

今年も咲いた桜を見ると、私は夢見ずにはおられません。
人は確かにある日突然死んでしまうけれど、きっと咲くのを備えない桜はありません。

こんなに温かい夜でも冬の中にある嘘吐きにもいつか春が巡る。そんな夢をこの花の温もりに見ましょう。

嘘吐きの業も因果の成れの果て。
この生の苦楽が受け入れられそうな、この春の夢に私も涙を呑みます。

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