別れの季節、ひとり酒

 家で一人で酒を飲んでいる。この文章も飲みながら書いている。一人だからアテは焼き豆腐を焼き肉のタレにつけながら少しずつ食べる、という至って簡素なものだ。半分に切った焼き豆腐を箸でうすく割いたその切れはしをタレにほんの少しだけつける、という動作がちょっと刺し身を食べているのに感覚が近くて、味が単調なのはともかくとしてなんとなく気分がいい。

 幅広で、側面がゆるやかに湾曲している形のグラスに、缶からビールを注ぐ。底に液体が落ちるそばからシュワシュワーー、とサアァーー、とのあいだぐらいの音がたって、黄金色の液体に白い泡が生まれて膨らむから、それ以上泡ばかりにならないように注ぐ勢いを弱める。するとビールと泡との割合はちょうどいい塩梅に落ち着いて、グラスはいっぱいになった。サアァーーという音が止んでも耳を近づけるとピチピチと炭酸がはじける音が聴こえて、あらためてビールは動的な飲み物だなと感じる。

 グラスを口につけて傾け、一口飲むと、炭酸感とともにビールの香りと苦みが広がり、飲み込むとともにその喉越しを感じる。グラスを口から離して今度は目を近づけると、黄金色を透けてグラスの透明な底面が見え、支える小指が拡大されて見えた。ゆうべ爪を切ったばかりで、少しばかり深爪にしすぎたなと思った。

 このグラスは、昨年私が結婚した際に、職場の施設長と主任二人から祝いの品としてプレゼントされたものだった。保温性にすぐれ、耐熱もできてレンジにも入れられるという説明を受けて、以来家飲みをするときには、ビールでもサワーでも日本酒でも必ずこのグラスに注いでいる。これで飲むと他のグラスやおちょこで飲むよりもだいぶいい心持ちになれる気がするのだ。レンジにはまだ使ったことはない。

 このグラスをくれた施設長は今年度限りで他の施設へと異動することになり、先日最後の挨拶を交わしたばかりだ。主任も、再来月には産休に入る予定である。二人とも、私に大変よくしてくれた。一時期たびたび体調を崩して休んだり早退したりを繰り返していた私を、苦い顔ひとつ見せずむしろ気遣ってくれさえした。感謝の念でいっぱいの二人だけれど、ついに充分な恩返しをすることはできなかった。

 一杯目を空にして、二杯目を注ぐと、グラス満杯になったところでちょうど缶が空いた。また焼き豆腐をちびちびと口に放り込んで、グラスを口につける。別れの季節に飲んでいるこのビールは、なんだか普段よりも少し苦く感じた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?