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わが青春?の男子校の思い出①~母校の共学化に寄せて~

僕は田舎の出身である。

どれぐらい田舎かというと、最寄りのコンビニは実家から歩いて40分最寄り駅は歩いて2時間だ。家の周りはというと、山、畑、民家が点々とする。見わたしの良い道と電信柱。道を歩けば目の前を鹿が横切ったり、雑木林の奥の方から猿が顔を出していたりすることもある。特に早朝、夕方~夜は油断ならない。
そういう土地で僕は幼少期を過ごした。今振り返ればすげえ所だと思うが、当時はそれが普通だと思っていた。

僕は中学を卒業した後、住んでいた市町村内の高校に進学した。
都会の人は意外と知らないようだが、田舎では進学できる学校の選択肢が極めて少ない。僕の場合、市町村内の普通高校か、実業高校かの、実質2択だった。そこで、中学校で平均より成績の良い部類にあった僕は、普通高校へ進学したのだった。

それが運の尽きだった。

そう。標題にある通り、その高校は男子校だったのである。

男子校。それは男子しかいない高校。男ばかりが一学年200人ぐらい集まり、体育館や校庭で整列すると、黒々とした塊となる。無駄に体格が良い。エネルギーを持て余している。意味もなく騒ぐが、シャイでもあり、あくまで身内の慣れあいに終始する。何らかのオタクも多い。10代の繊細な心を、いっそう繊細に研ぎ澄まし、傷つけば傷を舐め合う。そんな者たちが集うのが、男子校である。

しかも、田舎の男子校はいっそう男子校色を強める
都会の男子校は、何だかんだで、電車内や塾、お店などで女子が目に入る。都会男子校の出身者は、目に入ったところで交流はないし、関係ないと言う。しかし、田舎男子校の出身者に言わせれば、目に入るだけで刺激なのだ。田舎の男子校は近隣に学校がないので、通学等で女子が目に入ることすらない。塾や、お店もない。いきおい、目に入る女性といえば、お母さんと先生ぐらいなのだ。今思い返しても、恐ろしい環境である。純度100%の男子校とは、ド田舎の男子校であると断言できる。

僕は運命的に、田舎の男子校へ進学してしまった。男子校での3年間は、僕の人格を良くも悪くも形成した。思い返せば、小学校~中学校ぐらいまでは明るい子どもだった気がする(通知表の生活欄の「快活」という項目には常にチェックが入っていた)。しかし、高校を出る頃には純文学に出てくる書生のような、思いつめた存在になっていた。周りも大体、卒業する頃には変な方向にいっていた。

しかしながら、ネガティブ面だけでなく、男子校にはおもしろさもあった。そして男子校のネガティブ面とおもしろ面は、別々に存在する訳ではなく、表裏一体である。そのため、あれほど厳しい環境であるのに、卒業後「男子校でよかった」と吹聴する者も多くいる。

そんな僕の出た男子校が、実は3年前に共学化した。
直接の理由は「少子化」である。地域に子どもが少なくなったことで、近隣のいくつかの高校を統合することになり、結果として共学になった。

共学化したのち、僕は母校の高校野球地方予選の応援に行った。
アルプススタンドの一般客席で僕は応援していたのだが、学校関係の席に視線をやると、見慣れない女子学生も応援に参加しているではないか。


女子がいる。我が母校の応援旗の下に……。ものすごい違和感があった。
僕の時代は、高校野球地方予選の応援と言えば、黒々としてもっさりとした吹奏楽部の男子学生たちが、豊かな肺活量を活かして、必死に演奏をしていたものだった。
それが今となっては、吹奏楽部は男女半々どころか女子の方が多いぐらいの割合だ。みんなで息を合わせて演奏する姿は、まさに青春そのものだった。

その脇では、「新聞部」という腕章をつけた男女2,3名ずつぐらいの集団が、ちょこまかと動きまわり、メモを取ったり、写真を撮ったりしていた。
僕が在学中には、そんな部活動は存在すらしなかった。統合によって生徒数が増えたのもあるのかもしれないが、おそらく、女子が増えたことで文化部の幅が広がったのではないかと推察した。男子校時代は、運動部が盛んで、運動が苦手な人は帰宅部になるという文化だった。運動部偏重は、田舎の保守的な男子校のリアルだ。

新聞部の生徒は、照りつける真夏の快晴の日差しを白いワイシャツに反射させながら、機敏に動き、高校最大のイベントといってもいい高校野球地方予選の様子を、一瞬たりとも逃すまいと筆を走らせていた。また、他の生徒は、額に汗を光らせながら、武骨な一眼レフを構え、シャッターを切っていた。部員たちは互いに会話していなかったが、阿吽の呼吸で連動し、組織的な動きを実現していた。
あれは、まさしく青春だった。

野球は負けてしまったが、帰路につくとき、僕は充足感を得ていた。
僕が知っている、母校はもうない。もう、悶々とした男子高生たちは、いないのだ……と。
一方で、不思議と喪失感もあった。
僕が経験したあの男子校生活はもう存在しないのだな、と。

共学化した母校には、たしかに僕らOBたちが失ったはずの青春があった。しかし、あの過酷な男子校生活の中にも、独特かつおもしろい青春が存在していたのだ。それを僕は思い出していた。あらためて振り返れば、通常の人間世界では起こり得ないような、奇妙なエピソードや、あの環境でしか抱き得ない10代の感情やら、色々と思い起こされる。それも、一つの青春の形だったんだな、と思う。

ただし、男子校というのが人間性反した環境であることも間違いない。なので、標題には青春?とクエスチョンマークを付けた。

今は無き、僕の母校の男子校。あの10代の思い出を日記調で書いておこう。書くことで供養しよう。そういう気分でこの記事を書き始める。
この記事をご覧になった方々は、読むことで哀しき(おもしろき)かつての男子高生たちの記憶の供養にご参加いただければ幸いです。

今後、思い出のエピソードを一つ一つ書いていくつもりです。
それでは、今回はご案内まで。

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