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ヴァーツラフ・ハヴェルをもっとうまく日本語で紹介する

今日はバーツラフ・ハベル(ヴァーツラフ・ハヴェル、Václav Havel)の誕生日です。
生きていたなら88歳。チェコ人の心の拠り所ともいうべき人物です。

しかし!

またしても日本語wikiにあるヴァーツラフ・ハヴェルの項目の日本語が読むに耐えません。
Google翻訳でももっと上手な翻訳を出してくるでしょう。

ヴァーツラフ・ハヴェルはチェコのもっとも偉大な人物ですから、片手間の虚ろな翻訳調ではなく、ちゃんとした日本語で紹介される必要があります。

ということで、88回目のお誕生日の記念に、Wikipediaの冒頭の部分をチェコ語wikiから日本語に翻訳してみようと思います。

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ヴァーツラフ・ハヴェル(1936年10月5日プラハ生ー2011年12月18日ヴルチツェ・フラーデチェク没)はチェコの劇作家、評論家、反体制派、共産主義体制の批判者、のちに政治家、国家元首となった人物である。チェコスロバキア第9代および最後の大統領(1989-1992)であり、チェコ共和国最初の大統領(1993-2003)である。

ヴァーツラフ・ハヴェルは1960年代にナ・ザーブラドリー劇場に所属し、『ガーデン・パーティー』(Zahradní slavnost、1963)、『通達』(Vyrozumění、1965)の2本の演劇で有名となった。
「プラハの春」の時期には政治的な議論の場に登場し、民主主義の導入を主張した。

ワルシャワ条約機構加盟国による軍事侵攻で、改革が強制的に中断させられたのちは、ハヴェルの著作は出版禁止となり、当時の「正常化体制」を批判する反体制派の重要人物の一人となった。

ハヴェルは政治犯の保護のために活動し、人権擁護の市民イニシアチブ「憲章77」の最初のスピーカーの一人となった。このことによりハヴェルの国際的な名声は確かなものとなったが、同時に約5年にわたり収監された。この時期に、さらなる演劇の創作のほか、『力なき者たちの力』(1978)など影響力のあるエッセイを書き上げた。

1989年のビロード革命のあと、反共産主義活動「市民フォーラム」の共同設立者の一人となり、1989年12月29日にチェコスロバキアの大統領に選出された。
ハヴェルは議会制民主主義へと国家を方向付け、政治構造を西側の文明へとつなげることに大きな影響を与えた。しかし、1992年にチェコスロバキアという国が、チェコとスロバキアという2つの共和国へと解体することを防ぐことはできなかった。

1993年から2期にわたりチェコ共和国の大統領を務めた。大統領として、チェコスロバキアのワルシャワ条約脱退(1991年7月1日)を果たし、1999年チェコ共和国の北大西洋条約機構(NATO)加盟に大きく貢献した。さらに、ハヴェルの退任後となる2004年に実現した国家の欧州連合(EU)加盟についても大きく推進した。

作家としては、権力、官僚制、言語をテーマにした不条理演劇の精神に満ちた演劇作品、それに評論・エッセイの作品で世界的に知られている。評論や獄中からの手紙では、政治的分析に加えて、自由、力、倫理、または超越といった哲学的問いを思索した。また実験的な詩にも取り組み、60年代に書かれた詩は、詩集『アンチコード』(Antikódy)に収められている。

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チェコ語版wikiのハヴェルの冒頭部分はこんな内容でした。

経歴や人生についてはその後、時代ごとにたっぷりと文字数が割かれていていて、日本語wikiには書いてないので、そちらもときどき訳してみようかな。


ここまで読んでいただき、とってもうれしいです。サポートという形でご支援いただいたら、それもとってもうれしいです。いっしょにチェコ語を勉強できたらそれがいちばんうれしいです。