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生きるということ

私がnoteを始めた理由は、自分の言葉を誰かに見える状態で残しておきたいと思ったから。

そのためには、物として残る紙の日記でもなく、非公開のブログでもなく、noteというインターネット上に開かれた半公開的な状態が良いと思った。

今日、2020年9月27日、俳優の竹内結子が自死した。

7月18日には、俳優の三浦春馬が自死した。

私の叔父は自宅から飛び降りて亡くなっている。

最後に叔父と会ったのは叔父が亡くなる1ヶ月前、叔父の家から歩いて帰る私を駅まで送ってくれた。駅までの道では何かしら会話した気がするが、内容は覚えていない。ただ、私に関心がないような(今思えば心ここにあらずといった状態)気がした。駅で別れる時、なぜか分からないけれど、この別れが最後になるなんてことがあったらどうなるんだろう、と軽い気持ちで考えていた。それが現実になってしまい、自死の理由と関係は無いとは思うが、後悔している。

叔父の死の直後、大学へ向かう私に、父親が「変な事考えるなよ」と言ったことがなぜかはっきりと思い出される。

あれから7年が経つが、三浦春馬と竹内結子の自死を聞いて、自分自身に意識が向かうようになっている。

自分がどう死ぬのか本人は想像もしないし、自分が向こう側にいってしまったってことにも、その時にはもう気付けないんだろう、と思う。

周りの人間が自分を責めないわけがない、とも思う。何かしら心当たりがある(ような気がする)から。

このnoteがどのような方向で綴られていくのか自分でも分からないし、後から見返して恥ずかしい思いをするかもしれないけれど、

生きるということがどういうことか、日々考えたことをnoteに綴っていきたい。


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