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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】『クール・ストラッティン』、再び (8/8)

主な登場人物
石井健一(プー):ジェイQの元メンバー。サックス担当。プロのサックスプレーヤー。
川口景子(ママ):ライブハウス『ジョイ』の経営者。
笠井三郎(サブ):ジェイQの元メンバー。ピアノ担当。ガンのため死亡。
安田久雄(ジョージ):ジェイQの元メンバー。ドラムス担当。安田運輸株式会社社長。
米田正志(マーシー):ジェイQの元メンバー。ベース担当。トラックの運転手。運輸会社勤務。

8.追悼ライブ

 開演三時間前。
「そろそろリハーサル、始めようか」
 石井は二人に声をかけた。曲順を確認しながら音合わせをする。石井の心配は杞憂きゆうに終わった。リハーサルは一時間半ほどで終えた。
「たった二ヶ月でよくここまで仕上げたものだ。これならソロもがんがん回せるよ」
 二人は石井の評価に安堵した。石井は開演が待ち遠しかった。

「プーさん。録音してもいいかな?」
 リハーサルが終わったのを見計らって春川が近づいてきた。昔は録音係をやってくれた。額を左の小指でくのは頼み事をする時の春川の癖だ。昔から好々爺こうこうや然としていたが、それは今も変わっていなかった。
「ダメだよ、事務所を通してもらわないと」
 というと春川は困った顔になる。
「冗談だよ、ハルさん。いいよ。その代わりにと言っちゃあ何だが、後で頼みがあるんだ」
「いいよ。何でも言ってくれ。いやーっ、よかったよ。ダメだって言われても、こっそり録音ろうと思ってたんだけどね。『ジェイQ』としての演奏を聴けるのも、これが本当に最後だろうしね」

「機材は車の中かい? 手伝うよ」
「そんなの、無いよ」
 春川はにんまりと笑ってショルダーバッグからタバコの箱より一回り大きいぐらいの機器を取り出した。
「何だい、それ?」
 ジョージが、横から割り込んできた。

「DATウォークマンっていうんだ。昔はオープンリールのバカでかいヤツだったけど、今じゃこれだよ。なりは小さくても、音はでかいのにも負けないよ。年寄りにゃあ、これくらいの重さが丁度いいよ」
 春川はそれを手製の金具で三脚に取り付けながら、
「これは孫が作ってくれたんだよ」
 と自慢げに言った。

「ハルさん。そいつで、俺の演奏が上手じょうずに聞こえるように、一つ頼むよ」
 ジョージが手を合わせると、
「そりゃあ、俺でも無理だな」
 と春川は一蹴いっしゅうした。
「やっぱりダメかい」
 ジョージはいかにも残念そうに肩を落として周りの笑いを誘う。

「ハルさん、そいつ、デジタルだろう」
 いつの間に佐藤も話の輪に入っている。
「ああ。アナログをなつかしがってばかりじゃ、今日日きょうび孫に馬鹿にされるからな」
「もっともだ。ハルさんには、かなわないや」
「今日のミキサーは誰がやるんだ?」
 石井が、誰とはなく尋ねた。
「ヨシさんに頼むつもりよ」
 景子の声に、当の吉田が振り向いた。

「ハルさん、ミキサーから直接録音もできるけど」
「いや、いいんだ。客の歓声や拍手、ざわつきや息吹、そういったもの、全部入れたいんだよ。今日は、俺たちにとってのライブでもあるんだ」
 春川は禿げ上がった頭をつるりと撫で上げてにっこり笑った。佐藤も吉田も大きくうなづいている。
「そうだよ。俺たち、随分長いこと、この日を待ってたんだからよーっ」

 ――俺は、こういう人達の笑顔を見るために、今までやってきたんだ。そして、これからも。
 石井は心入るものを感じていた。


 五時半会場、六時開演。
 生憎あいにくの雨にもかかわらず『ジョイ』は開演前に満員になった。外は凍えるほどだが、立ち見も出るほど客が入った店内は人いきれで汗ばむほどだ。

 石井はステージの袖から店内を見渡して若い人が多いのに驚いた。学生服の集団はサブの教え子達だろう。
「やっぱり、もっと広い所を借りた方が、よかったんじゃない?」
 景子がかたわらで気遣う。
「いいや、ここでしかやれないさ」
 石井はきっぱりと言った。

「こんなに来てくれるなんて」
「プーさんのファンよ。言ったでしょ、こっちじゃ年寄りには人気があるって。それに、ジョージさんの顔ね」
 見覚えのある顔も、いくつかある。
「何せ、社長さんだもんな。あいつも、ここでしっかりと根を張って、生きているんだな」
「若いのも来てるな」
「サブの教え子達だ。あいつ、軽音楽部の顧問をやってた。生徒にわれては、スタンダードを演奏したんだそうだ。それでジャズを好きになった生徒も大勢いると聞いたよ」
 ジョージが答えた。
「ホントに良かったの、入場料取らなくて」
 景子が、石井に気遣う。
「いいさ。みんなサブをしのんで集まってくれるんだ。金なんか取ったら罰が当たるよ」


 控え室に戻ると、マーシーが盛んに掌の汗を拭いているのが石井の目に入った。
 ――二十数年ぶりのライブだ。無理ないか。
 石井は一計を巡らした。
「ジョージ、お前の追っかけ、いただろう。あの可愛い、名前は何て言ったっけかな、あの娘はどうした」
「今じゃ社長夫人よ。ねっ」
 からかうような景子の目。
「えっ、やるじゃないか」
「まあな」
 照れたような、満更でもないようなジョージ。

「それにマーシーにも、ご贔屓ひいきにしてくれたマダムがいたな。今日は呼んだのか?」
「そうそう。ライブの時、色々差し入れしてもらってたわね」
 景子が応じた。
「勘弁してくれよ。うちのは焼き餅焼きだから、昔の話だとはいえ耳に入ったら一騒動だよ」
「あら、あら。未だにお熱いのね。ごちそうさま」
 久しぶりの演奏で緊張している二人をなごませるのは、昔話に限る。
 弱りきったマーシーの顔からは緊張の色が消えていた。

「さあ、そろそろ準備して」
 景子が手を叩きながら頃合いを見てうながす。景子の差し出す手を中心にして円陣を組んだ。
「やるぞー、おーっ」
 カウンターだけを残して、店内の灯りが消えた。

 メンバーがステージに登場すると同時にスポットライトが当たった。拍手が鳴り止むのを待ってサブの遺影にしば黙祷もくとうする。

 メンバーが持ち場に着いた。
 ジョージがスティックを叩きカウントする。
「ワン、ツー、スリー、フォー」
 石井はメロディを吹き始めた。

 一曲目が終わった後、石井が挨拶に立った。
「今日は足元が悪い中、サブこと笠井三郎君の追悼ライブに、かくも大勢お越し頂き、ありがとうございます。サブもさぞ喜んでいることと思います。立ち見の方もいらっしゃいます。申し訳ありません。しかし、ここが私どもの原点です。追悼ライブはここでしかできません」
 指笛が鳴る。拍手が響いた。

「最初の曲は『モーニン』という曲です。サブへの哀悼あいとうの意を込めて演奏しました。ご存じのように、昔、我々はサブをリーダーに『ジェイQ』というバンドを組んでおりました。皆様には、大変かわいがって頂きました。いまだに酔狂なことをやっているのは、私だけになってしまいましたが、今日は二十数年ぶりに当時のメンバーが集まっています。今日のために老体にむち打って練習に励んできました」
 笑いが静まるのを待って続ける。

「今日は、昔私達を応援してくださった方や、メンバーの家族、友人、知人の方々、サブの生徒さん達も見えているようです。アレンジは昔のままにしました。この場にサブはいませんが、リリカルなピアノの音は、きっと皆さんの耳に届いているものと思います。こんなに大勢の方々からしのんでもらえるサブは幸せ者です」
 しんみりとした空気が店内に流れた。

「次は『セイント・トーマス』という曲です。忘れもしません、大学一年の春です。軽音楽部の部室でサブと二人だけで演奏しました。『ジェイQ』結成の切っ掛けとなった曲です」
 石井が音を出した。同時にドラムスとベースがリズムを刻んでくる。二人の息はぴったり合っていた。


「お疲れ様」
 前半を終えて控え室に戻ってきたメンバーを景子が迎える。
「いやーっ、疲れたーっ」
 ジョージが倒れるようにイスにもたれた。景子はタオルを渡しながら、
「二人ともやるじゃないの」
 と手放しでめる。
「本当だ。びっくりしたよ。とても二十年以上のブランクがあったとは思えないよ」
 石井も感心した。
「お世辞だと分かっていても嬉しいよ」
 ジョージが相好をくずす。

「ママ、いたよ。娘が」
 袖に隠れて客席を見ていたマーシーが小さいが弾んだ声で景子を呼んだ。
「ホント? よかったわね」
「うん」
「客席を見渡す余裕があるなんて、開演前とはえらい違いじゃないか」
 ジョージは与太を飛ばしたが、景子ににらまれて、
「おっかねぇ」
 と首をすくめた。

 景子はマーシーの肩口から店内を見渡して、入り口付近に立つ白いブラウスの少女を見つけた。少し離れた場所にいたジョージの息子の健司とも目が合う。景子はにこやかに頷いた。

「実はね。お節介だと思ったんだけど、娘さんに会いに行ったの」
「えっ、ママが?」
 言葉ほど驚いたようには見えなかった。
「突然行ったから、びっくりしたみたい」
「ありがとう」
 マーシーがやっと景子に向き直った。
「どんな話、したのか、聞かないの?」
「あの子が来てくれた。それで十分だよ」
「素直で、いい娘さんね。さあ、マーシーさんも、休んで」
 マーシーは受け取ったタオルに顔を埋めながら腰掛けた。

「またバンド始めようかなぁ」
 珍しくマーシーが軽口を叩く。
「いいんじゃない。ジョージさんと私とで、トリオを組む?」
 すかさず景子が手を上げた。
「どうせなら俺を入れてカルテットだろ」
 石井も乗り気を見せる。控え室が一頻ひとしきり笑いに包まれる。

「さあ、さあ。冗談はそれくらいにして。後半に備えて特製のスタミナドリンクでも飲んで。名前忘れたけど、何とかっていうマラソン選手のレシピで作ったものだから、効果覿面てきめんよ」
 景子はピッチャーをドンとテーブルに置いた。
「その、何とかっていうのが怪しいなあ」
 ジョージはぶつぶつ言いながらピッチャーを見ている。
「ケチ付けるんだったら、飲まなくていい!」
 言うと同時に、景子はピッチャーを取り上げて胸に抱え込んだ。

「あっ、ママ。それはつれないよ」
 ジョージが両手を挙げて大げさに悲しむ。
「お前はいつも、一言多いよ」
 マーシーが非難すると、
「私が悪うございました」
 とジョージが拝みながら謝った。景子は
「よし、許す」
 とグラスに注いで回る。
 たわいも無いやり取りをしながら、さり気なく場をなごませている。石井は景子の気遣いにほとほと感心した。


 後半が始まった。すっかり昔の勘を取り戻した二人。ドラムソロは圧巻だった。ベースのソロが心を震わす。三人がうまくからみ合っていい緊張を生み出していた。

 予定していた曲は一つを残して全て演奏した。
 マーシーがメンバー紹介の曲をかなで始めた。ジョージがブラシでシンバルをりながら静かにリズムを刻む。

「今日の演奏者です。ピアノ、笠井三郎」
 いすに置かれた遺影にスポットライトが当たる。
「ベース、米田正志」
 スポットライトが移る。マーシーは弦を指で弾きながら小さくお辞儀した。
「ドラムス、安田久雄」
 ジョージはライトにきらめくシンバルを一頻ひとしきり連打する。
「そしてテナーサックスは、私、石井健一。以上でお送りしました」

 テナーを加わえワンコーラス演奏した後、曲を終えた。
 拍手の嵐。メンバーを快い疲労感が襲う。ライトが落ち全員が控え室に戻った。


 拍手は鳴りやまず、すぐに手拍子に変わる。アンコールの大合唱も加わった。
「よしっ」
 ジョージが腰の位置で拳を振って喜悦の声を上げる。マーシーも手を高く突き上げた。石井は二人の肩を叩いて大きく頷く。休む間もなく三人がそろって再びステージに顔を出した。ライトがして割れんばかりの拍手が起きた。
「ちょっと待ってくれ」
 マーシーが持ち場に着こうとする石井を呼び止める。

「ピアノが加わるから」
 石井はマーシーの視線の先を見た。
「わたし」
 声と同時に景子が袖から姿を現した。
「ピアノなんて、ん十年ぶりだから大変だったわ。練習に参加させてもらったの。ハルさんから昔のテープを借りてね」
「お前ら、はかったな」
 二人はニヤニヤしながら石井の反応を楽しんでいる。

「ここで急遽きゅうきょメンバーの変更を行います。ピアノ、サブに代わりまして、川口景子」
 スポットライトを浴びた景子を石井が紹介する。いつの間にか黒いタイトスカートに着替えていた。
「いいぞ、ママ」
 拍手と指笛が鳴り響く中、黒いハイヒールが気取った足取りクール・ストラッティンでピアノに向かって歩く。石井はサブの遺影を譜面台の横に移して花輪飾りをそのそばに置いた。景子はサブの写真に一礼してイスに座った。

「本日のとりとなります。『クール・ストラッティン』という曲です。これは、サブが一番好きだった曲です。私がこの曲を演奏するのは、実に二十数年ぶりです。私はこの曲をずっと封印してきましたが、今日を機にそれも終わりにします。そして、改めてこの曲を、大切にしていきたいと思います。本日は、サブの追悼ライブに、ご来場頂きまして、ありがとうございました」
 ジョージに合図する。ジョージがスティックを打ってリズムを取った。石井はメロディを吹く。景子のピアノが後に続いた。

 歓声が渦巻く中、演奏が終わった。
 サブの遺影は景子が持ち、メンバーがステージに横一列に並ぶ。
「どうも、ありがとうございました」
 揃そろって深く一礼をした。

 景子は充実感を胸に控え室に戻る。
 景子が控え室に入った。その直ぐ後ろに石井が続く。少し遅れてジョージとマーシーが入ろうとしたが、袖で待っていた春川が引き止めた。
「ほらほら、野暮はなしだよ」
 春川は二人を外へ連れ出した。

「景子、相談があるんだ」
 何? 景子が振り向く。
「俺は来月から活動拠点を、東京からこっちに変えることにした」
「本当?」
 景子は目を輝かせる。
「だから住む所を、探さなくてはならないんだ」
「そう。じゃあ私に任せて。何か条件とか、ある?」
「特にはないが、一つだけ。二人で住める広さがほしい……」
「えっ……」

 言葉がじんわり景子に染み込む。

 次の瞬間、満面の笑みが石井の胸に跳び込んだ。
 石井ががっちりと抱き止める。

「随分長いこと、待たせてしまったな」
「ホント、待ちくたびれたわよ」

 涙をたたえた目がささやいた。

<終わり>


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