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【ショート・ショート】僕たちの夏

 コーン。コーン。ぎゃっ、ぎゃっ。
 昼でも薄暗い林の中。遠くで何かが鳴く声が響いて、それが頭の上で渦を巻く。僕は思わず後ろを振り返る。かなり奥まで入り込んで来たようだ。

 おばあちゃんの家は、裏がすぐ山に繋がっている。「探検に行くぞ」と言う兄に渋々付いてきたが、だんだん不安がふくらんできた。
「もう帰ろうよ」
「まだだ」
「もう、疲れたよ」
 喉はカラカラに乾いていたし、僕はその場にしゃがみ込んだ。ざざっ。その時、僕たちの回りを風が走った。
「お兄ちゃん、何かいるよ」
 僕はすくんだ。そそり立つ樹々。枝が揺れる。見上げると、黒い魔王が手を広げていた。口が耳まで裂けていて、赤い目が光っている。
 兄の目が吊り上がっている。限界だった。
「うぁー」
 兄は一目散に駆け出した。
「お兄ちゃん、待ってよーっ」
 僕も遅れまいと後を追いかけた。しかし兄との距離はだんだん広がっていく。あせる。その刹那、僕は樹の根っこにつまずいて転んだ。ひざひどく痛んだが、直ぐに立ち上がって走り出した。涙で回りがにじむ。黒い影は未だ追ってくる。
 走る、走る。息が苦しい。脇腹が痛い。どれくらい走っただろうか。やっと林が途切れて、前方が明るくなった。光の中に、小さな影が立っていた。
「お兄ちゃん」
 僕は兄の足元にへたり込んで、号泣した。
「お兄ちゃんの馬鹿っ」
 ひとしきり泣いて、やっと落ち着きが戻ってきた。後ろを振り返っても、黒い影はもう何処にもいなかった。

「パパには、絶対言うなよ」
 兄は僕に言った。兄の顔も涙と泥で真っ黒だった。Tシャツもズボンも泥にまみれていた。僕は黙ってうなずいた。家に着くと、母屋に戻る前に、裏の水道で顔と手を洗った。冷たい水がりむいた膝にしみた。
「まあ、二人ともどうしたの」
 おばあちゃんは僕らの格好に驚いた。兄は黙っていた。僕もうつむいていた。おばあちゃんは心配そうな顔とあきれた顔を交互に見せた。
「二人とも、服脱いで」
 おばあちゃんは濡れたタオルで体を拭いて、その後冷えた西瓜を出してくれた。西瓜は冷たくて、カラカラになった喉に美味しかった。
「ほら、膝、出して」
 おばあちゃんは黙って傷口を消毒して、赤チンを塗ってくれた。僕はみるのを我慢した。
 ――おばあちゃん、ゴメンね。
 僕はちょっぴり心が痛んだ。

 その夜、兄は一番大事にしていた野球選手のカードをくれた。

 今でも夏になると時々あの時のことを思い出す。すっかり古ぼけてしまったカード。
 僕たちの夏はまだ終わっていない。

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