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【連載】ラジオと散歩と味噌汁と(11/15)

11.訪問

 翌日、私は安村に教えてもらった住所を訪ねた。そこは意外と近く、電車で二駅の所だった。

 おとないを告げると、義母ははが顔を出した。
「お義母かあさん、ご無沙汰しています。冴子はこちらですか?」
「どちら様でしょう?」
 義母はいぶかしげな顔をした。一度会ったきりだから、覚えられていなくても仕方ない。
「雅人です、冴子の夫の」
「夫? 失礼ですが、どなたかとお間違いでは」
 義母は眉間にしわを寄せた。

 義母の態度に面食らったが、おそらく私が来たら追い返すように、あらかじめ君に頼まれていたのだろう。硬い表情をそう理解した。
 私は、君が家を出ていった経緯を手短に説明し始めた。するとALSを発症していたくだりになると、みるみる義母の顔が崩れた。
「……娘もその病を患っていました……。結局、風邪をこじらせて、肺炎で亡くなって……。昨日が七七忌で、娘を納骨して……」
 義母は目頭をハンカチで押さえた。

――君が死んだ?
 私は訳が分からない。思わず、
「えっ。でも私はつい二ヶ月前まで冴子と暮らしていたんですよ」
 と口にすると、義母は赤く泣きはらした目をきっと向けて、
「こんな時に冗談は止めて下さい」
 と声を荒げた。
「でも……」
「それ以上、おかしな事おっしゃると警察を呼びますよ。帰って下さい」

 私は事をもっと簡単に考えていた。少しごたごたはあるだろうが、君を連れて帰れると思っていた。

 ――どうにもおかしい。
 私は義母の顔を覚えている。しかし義母は私を知らないと言う。
 さらに娘は亡くなったとも……。しかも君がいなくなった頃と時を同じくして……。
 話が違い過ぎる。
 ――どうなってるんだ?
 先日から困惑することばかりで、何が何だか分からなくなった。

 だが、あの義母の怒りは演技ではない。
 ――やっとここまで辿り着いたんだ。事態をこじらせる前に引き上げた方がいい。
 わずかに残っている理性が、そう告げている。

 私は、ほうほうていいとまを告げた。


「あら鈴木さん、お久しぶりね」
 うつむき気味でとぼとぼと歩いていると、声を掛けられた。近所に住む田所さんだ。
 彼女は、大抵地区に一人はいる情報通のおばさんだ。常日頃から周りにアンテナを張り巡らし、四方山話を拾い集めている。
 いつもなら挨拶程度でやり過ごすのだが、今は少しでも情報がほしい。もしかしたら君が出て行った時のことが聞けるかも知れない。

「あのぅ、二ヶ月ほど前なんですが……」
 と切り出すと、彼女の目がきらりと光った。
「私のアパートの前に車が止まってるのを見てませんか?」
「誤解してもらっては困るけど、私、ずっと見張っているわけじゃないのよ」
「ええ、それはもちろん分かってます。もし何か気がついたことがあればと思って……」
「だいぶ前のことよねぇ……」

 彼女はしばし思案する素振りを見せながら、
「うーん、見てないわね」
 田所さんの目が、次の問いを待っている。
「そうですか。じゃあもう一つだけ。この人を見たことはありませんか?」
 だめで元々と言う気持ちで、同窓会の集合写真の君を指さした。

「ああこのね。ええ、知ってるわよ。きれいな娘さんだったわね。三年ほど前になるかしら。仲むつまじくて、結婚も近いのかなと思ってたんだけど……」
 彼女は一旦そこで切り、
「でもここ半年ぐらいは見掛けてないわね。どうかしたのかなって、私も気にはしてたんだけど……」
 とてん末に興味を見せた。

 私は、それには気付かない振りをして、そそくさとその場を去った。
 彼女は、多分一時間もしないうちに、尾ひれや背びれを付けて近所中にうわさを広めていくことだろう。
 うざったい気もするが、近所づきあいが殆どないので、それほど影響はないだろう。


 先日来、周りの記録や認識との著しいかい離に、私の自信は揺らぎ始めている。この三年間の記憶はもう想や思い込みにすぎないのだろうか。

 ついさっき田所さんの証言で、君と付き合っていたことは確かになった。
 改めて君との暮らしに思いを巡らす。
 そして君と一緒に造った味噌を思い出し、それを流しの下で見つけた。これは私達が三年間夫婦だった立派な証左のはずだ……。
 こうして一つずつ客観的な事実を積み重ねて、私の記憶を担保していくしかないのか。

 れったくて叫びそうになる心を、私は辛うじて抑えた。

<続く……>


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