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【連載】冷蔵庫と魔法の薬 (4)

4.再会


 二年ぶりにジェニーから電話が掛かってきたのは、先月のことだった。

 携帯電話に知らない電話番号が表示された。少ししゅんじゅんして出ると、「久しぶりね」と柔らかい声が流れてきた。頭は忘れていたが、耳が覚えていた。
 短い挨拶の後、
「会って相談したいことがあるの。急だけど今週の土曜日に時間作ってもらえない?」
 と切り出されたのだった。

 健二は約束の時間より十分早く指定されたホテルに着いた。ロビーに入ると、ジェニーが立ち上がって手を上げた。
「待った?」
「ううん。今着いたばかりよ」
 久しぶりに見るジェニーは、自信に満ちて輝いていた。キャリアウーマンとしての実績を確実に上げてきたようだ。


 ジェニーとの出会いは五年前。彼女は外資系のIT企業、P社のコンサルタントとして、健二が勤務する会社に派遣されてきた。

 当時、製造業においては製品の開発周期が短くなり、他社との競争に勝つためには短期間のうちに次々と新製品を市場に送り出さなければならなかった。健二が勤務する会社は、液晶の製造ラインの装置を製造しており、大きいものでは部品点数が数万点にも及ぶ。しかも殆どが受注生産の一品物で、装置据え付け後の現地でのトラブルに対し、いかに迅速に対応できるかが、手離れがよく利益の上がる製品になるかどうかの大きな鍵であった。

 そのためには製品の開発から製造、出荷、保守、廃棄までの『製品のライスサイクル』を一貫して管理するシステムの構築が急務だった。その上で全てのデジタルデータを関係部署で共有して、効率化を図る必要があった。P社は、それらの問題の解決策としてPDM(製品データマネージメント)やPLM(製品ライフマネージメント)といった管理用のソフトを用意しており、健二の会社でもそれらの導入に向けてP社からのコンサルタントを受けシステムを構築するためのプロジェクトが立ち上げられ、健二がその責任者に任命された。

 ジェニーはP社のコンサルタントの一人だった。健二は、プロジェクトの壮行会を兼ねた歓迎会に彼らを誘った。勤務時間外だったが、ジェニーと他二名が参加してくれた。ジェニーとはその場で意気投合した。その後も、仕事の後一緒に食事やお酒を飲みに行くようになり、ほどなく恋人どうしになっていた。少なくとも健二はそう思っていた。

 だが二年前、彼女は本社に戻ることになった。日本での実績を買われての昇進だった。ジェニーは健二よりキャリアを選択し、二人の関係は自然消滅したのだった。


「相変わらず、美しいね」
「ありがとう」
 彼女の変に謙遜しないところがいい。健二は客観的に彼女を見ている自分に少し驚いた。もっとどきどきしたり、わくわくしたり、そんな未練めいた感情が込み上げてくるのではないかと思っていたから。

「仕事の方は、どう?」
「大分落ち着いてきた。君が抜けた後は大変だったよ。その影響で、我が社のシステム化の進捗しんちょくが一年近く遅れたからね。でもまあ何とかシステムは立ち上げることができたよ」
「一年は大袈裟おおげさよ。せいぜい十ヶ月ほどじゃない?」
「言うねぇ。ところで話って?」
「そうね、単刀直入に言うわね。あなたをヘッドハンティングしたいの」

「どういうこと?」
「私、退社したのよ、先月でP社を」
「えっ。また、どうして?」
「私はもっと企業に寄り添って、きめ細かいサポートをしたいの。ずっとそう思っていた。現場にいる時は中々それがが出来なくて、もっと上のポストになれば、それができると思っていたけど。
 実際そうなってみても、大企業の中にいる限り色々制約があって、それができないと分かったから、日本でコンサルタントの会社を立ち上げることにしたの。取り扱うのは、P社の製品。もうP社の承諾は得ているから、その点問題はないわ。
 それでね、ケンジにも会社に参加してほしいの。相応のポストを用意するから、自分の経験を踏まえて実践面でのコンサルを担当してほしいのよ」

 ジェニーの言うことは、かつての健二の要望そのものだった。だが当時、コンサルタントは顧客からの質問には答えるが、自ら何か具体的には提案できないという立場だった。システム構築の主体と責任は顧客側にあるというP社の方針からすれば当然のことだった。
 しかし決して安くはないコンサルタント料を支払い、かつ海のものとも山のものともつかぬものを一から作ることに慣れていない顧客側としては、質問しようにも何を質問したらいいか分からないことも多々あって、隔靴掻痒かっかそうようの感があった。もっと積極的かつ具体的な助言が欲しかったことは否めない。

 彼女は、そんな顧客に寄り添う形で仕事がしたいと言う。
 健二もこれまでの苦労や経験を生かし、いつか起業したいと漠然と考えていた。だがそれは今じゃない。この話はあまりにも急過ぎた。健二は戸惑い気味に、
「いつからだ?」
 と聞いた。
「来年早々から仕事を始める準備をしているわ」
「また随分急な話だな。少し考える時間をくれないか」

「もちろんよ。でも来月には一旦帰国して、向こうのスタッフと打合せしなくてはならないの。その時、日本人スタッフの候補者を挙げたいのよ。だから来週の日曜日には返事が欲しい。
 ケンジは企業内でシステムを立ち上げた実績があるわ。私達が持っているノウハウだけでも十分だけど、日本には独自の企業文化があるわ。それが我々の最初の高い壁ね。でも、それを乗り越えたケンジのノウハウがあれば完璧よ」
「わかった」

「じゃあ、来月。また連絡するわ。これはあなたにとっても決して悪い話じゃないはずよ。いい返事を待ってるわ」
 ジェニーはレシートを手に立ち上がった。
「一つだけ聞いておきたい。誘っているのは、私だけじゃないだろう?」
 彼女は腰を下ろした。
「もちろんよ。私は日本人スタッフをスカウトする役だから、詳細は言えないけど、あなたを含めリストアップしていた人達全員に声を掛けているわ」

「で、彼らの反応は?」
「そんなこと教えられるわけないじゃない。当時から私はそういう視点でコンサルタントで接した人達を見ていたの。これはって思う人には当時から個別に話をして気持ちを探っていたのよ」
「そんなことして大丈夫なのかい?」
「こういう狭い業界だから、問題がないわけじゃないわ。それにシェア争いも熾烈しれつだしね。でも、互いに潰し合うより協力してシェア獲得を狙うはずよ」
「そういうものかね」
「そういうものよ」


 その約束の日が、今日日曜日の午後三時だった。

<続く>


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