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【連載】ラジオと散歩と味噌汁と(8/15)

あらすじ:散歩から戻り、朝食を摂りながらラジオを聞く。それが私の日常だった。ある日、いつものラジオ番組で、一年ほど前になくなったはずの君のリクエストが読まれた。私は椅子から転げ落ちそうになるほど驚いた。混乱しながらも、君と過ごした日々を思い出す。それはとても奇妙な思い出だった……。

8.味噌醸造

 そして昨年、一月末のある日。
 私は少し前から決めていたことを切り出した。
「今度は、味噌の造り方を教えてくれないか」
「えっ、本当!」
 君の目が輝いた。

「よかった。今年はどうしようか迷っていたの。大豆と米こうじを無理言って買ってきてもらった手前、私からは言い出せなくて」
 と白状した。
「味噌造りって結構な力業なのよ。煮た大豆を潰したり、塩切り麹を混ぜたり、結構骨が折れるのよ」
 君は細くなった腕を互いにさすりながら、笑った。
「よし。そうと決まったら、善は急げよ。まだ十時過ぎね。じゃあ今から始めましょう」
「今から?」
「そう。今日は、大豆をよく洗って、その後丸一日水に漬けて置くだけだから。大変なのはね、二日目よ」
 君は水加減を確認した後で、ベッドに戻った。


 次の日。私が散歩から戻ると、君は着替えを済ませて、大豆を煮始めていた。
「僕が帰ってくるまで、待ってくれればいいのに」
「だって、これが一番時間がかかるのよ」
 君は、苦り切った私を見て笑った。私はぶつぶつ言いながらタオルを受け取り汗を拭う。
 私が止めるのも聞かず、君は朝食を作り、久しぶりにそろってった。

 大豆が茹で上がった所で、味噌造りを開始した。
「その前に、まず昨年造った味噌を桶から取り出して、別の容器に移して」
 君は私の側にたたずみ、作業を見守る。私は床に新聞紙を敷いて、その上に味噌桶を置いた。重しと中蓋を外して茶色に染まった和紙を剥ぐと、ぷんと味噌の香りが立つ。それをきれいに掻き出してポリ容器に移した。

「木桶の中は、あまりごしごし洗わないでね」
 母から受け継いだ、四半世紀以上使い込まれた桶。それには有益な菌が住みついており、味噌の味や香りをより深いものにしてくれるのだそうだ。
「これが私の形見になるかも知れないんだから」
 さらりと君は刃を突きつける。私が言葉に詰まると、
「冗談よ、冗談。ごめんね、またやっちゃった」
 と君が笑う。
「さあ、時間がないわ。てきぱきとやりましょう」

 柔らかくなった大豆を温かいうちにすりばちすりでよくつぶし、少し冷ました所で塩切り麹をまんべんなく混ぜる。
 君は、手振りを加えながら指示するかたわら、椅子を引き寄せて腰を落とした。
「と、ここまでは通常の味噌造りね。私は更にもう一手間掛けるの。これ、どうしようかな」
「教えてくれよ。でないと君のと同じ物が造れないじゃないか」
「うーん。じゃあ教えてあげる。それはね……」
 愛情を込めて「美味しくなーれ」って声を掛けるのよ。君は誰にも聞かれる恐れはないのに、そっと耳打ちした。私は笑いながら、それにならった。

「次はそれを小さな団子にして、木桶にぎゅうぎゅう押し込めていって。間に空気が入らないように十分押し付けてね」
 全部詰め込んだが、去年の味噌の線には届かない。
「少ないみたいだけど……」
「いいのよ、今回はあなたの練習用だから。失敗してもいいように半分だけね」
 表面を平らにしたら、空気に触れないように和紙で表面をおおう。その上に中ふたを敷き、重しを載せた。

「はい、これで作業は終わり。お疲れ様。これまでと同じように台所の隅で保管してね。上手くいけば、来年の、丁度今時分には美味しく食べられるはずよ。楽しみにしてね」
 ふうっ。君は大きく息を吐いた。
「それから、容器に移した味噌には表面にラップをして、なるべく空気に触れさせないようにしてね。冷蔵庫に入れておけばいいわ。少し色が濃くなってきたら、味噌漬け用に使うといいわよ」

「ちょっと待ってくれ。そんなにいっぺんに言われても覚えきれないよ」
 私が悲鳴を上げるほど、君は自分の智恵を次々と私に移し替えようとする。
「わかったわ。注意事項やコツみたいなもの、書き残しておくわね」

 君はゆっくり立ち上がって、とぼとぼと部屋に引き上げた。

<続く……>


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