〝好き〟についてを考えすぎたら天文学的になった
もし好きな人が出来て、僕のファションを真似してピアスを開けたり、イヤーカフやイヤリングをつけていたらすっごく可愛いと思う。
もし好きな人が出来て、その人が僕と話をしたくて僕の好きな音楽を一生懸命に聴いていたら、今までの何倍も愛おしくなる。
でも、それが見知らぬ人だったらどうであろうか?
それが、特になんともない友達の友達だったら…
僕は、〝多分この子僕のこと好きなんだろうな〟と自覚するか、〝なんだコイツ?〟と疑いをたてるかあるいは、鈍感主人公の様にその状況をあまり理解しないかもしれない。
でも、これが〝気持ち悪い〟とか〝鬱陶しいな〟感じる人もいると思う。
人によっては、〝ストーカー紛いなことをしてくる人がいる〟と苦しく感じる人もいるかもしれない。
僕だって、そう思わないか?と尋ねられればすぐにノーとは言えないだろうし、実際、嫌な気持ちになることだってあると思う。
そう思うと、好意というものが非常に恐ろしいものに見えてきたのだ。
好意は、時に人と人を繋げる糸となる。
そして、人と人を切り裂くハサミともなるのだ。
それに気付くと、人に好意を寄せることが恐ろしくなってきたのだ。
〝僕の好意がその人を傷つけてしまったら…〟
そう考える様になってしまった。
そして僕の脳は、天文学的世界に入り込んでいった。
例えば、好意を寄せてしまった人がよく帰る同級生の中にいるのなら、一緒に帰るのだって容易だし話しかけるのだって気負わなくても大丈夫だろう。
けれど、もし好意を寄せた人が一時的な付き合いの先輩だったとしたら、一緒に帰るにも勇気を出して声をかけなければならないし、たとえオッケーを貰ったとしてもその後共通の会話を見出すのに一苦労するだろう。
だからといって、その先輩を下手に詮索してしまったらその人の気を悪くしてしまうかも知れない。
そう思うと、勇気を出して何かをすることが出来なくなる。
でも、何かをしなければその関係はそのままどころか終わってしまうかも知れないのだ。
そう思えば、その人から見れば行き過ぎている好意が丸見えになってしまうかも知れない。
そして、この子は〝きっとどうしたら先輩のお近づきになれるのか?〟とかを苦悩しながら考えること始める。
それから、その時間がどんどん長くなってずっーと先輩のことを考えている様な状況に陥ることすらあるだろう。(多分、これが俗に言う恋の病だろう)
ひょっとすると、そんな自分がストーカーじみて気持ち悪くて仕方ないかもしれない。
だからと言って、先輩を好きなのは辞められないだろうし、第一、好きな人なんて自分で選ぶものでも無い。
もし、そんな好きになる人を選べる乙女ゲーの様な世界なら好きな人を一番攻略しやすい王道幼馴染を攻略してしまえばいい話である。
でも、現実はそうじゃない。
好きになるのは、王道幼馴染かもしれないし、一番遭遇率の低い人かもしれないし、あるいは、性格的に凄い攻略しにくい人かもしれない。
その人を好きになるのは自分だけど、大抵好きな理由なんて分からないし、気になる人がどうして気になるのか?なんて聞かれても、〝その人に惹かれたから〟とかいう好きとか惹かれるとか結構は理屈じゃないところにたどり着く。
っていうか、マジでなんでその人に惹かれるんだ?
趣味も違えば、性格も違うじゃないかっていう恋人を持つ人だっている。
僕も、そんな経験がある。(恋愛じゃないけど)
最終的に何も分からなかった。けど、人の感情とかって綺麗だし美しいよなぁ〜って改めて感傷に浸った。
結構、何も分からなかったという駄文を最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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