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「良い、良くない」が苦手になっていた理由がなんとなく分かったお話

私は最近「良い、良くない」などのお話が含まれる動画を見るのが好きではなくなってきて。色んな動画があるんだけど「□□までにやっておくと良いこと」「〇〇のためにやってはいけない〜なこと」とか。
そういうタイトルがついてる本とか動画とか。私はそれをわりと頻繁に見ている時期もありました。その時はちょっと苦しいことがいっぱいあって、誰かに指針を示してもらいたかったり、なんとかなれ、、、と思っていたからかもしれません。

なんとかなれーッ゙の図
(実際の私はこんなに強気じゃない)


今はメソッド系とか「〇〇の真実」系(?笑)の動画を見なくなってきました。自然と手が伸びなくなってきました。(何が良くても、何が正しくてもいいじゃないと想う笑)
なぜかなーと思いつつ、見たくないものは見ないようにしています。

そして今ご飯を食べながら、ふとこんな言葉が頭から喉のあたりに降りてきた感じがしました。
「結局良い悪いと文句言ってるひとだって、全部この世界に受け入れてもらってるじゃん」
文句っていう言い方が良くないかも😂良い悪い、考える人も文句を言ってるわけじゃないかも知れないし。
でも、多分コレ、他人に言ってるよりは私自身へ向けられてると思います。私がいちばん腑に落ちたからです☺️

この言葉の意味をわかりやすくしてみます……。
「これは良し、あれは良くない」って判断をしている・決めている人たちも、その存在もその行動もこの広い宇宙には許されているし受け入れられてもらっているんです。(宇宙って言葉だとスピリチュアルぽくて苦手な人もいるかもしれない…)。
私はそもそも良し悪しつけてジャッジすることをNG行動だなんて思っていないし、だからこそ、どんな行動も存在も全部受け入れてもらえていると感じます。
 



ちょっと今日は抽象的な話になってしまいました。私はこの記事がかけたことで、苦しんでいた自分をちょっと解放して、楽にしてあげられた感じがします。「これなんだか苦手になってきたかも…」という違和感が、「私そんなこと思ってたんだ」と気づかせてくれたからです。
私の本心を感じれた気もしました。(普段から意外と本当の気持ちって表に出てきませんから🥹)

みなさんも、自分の本心や感情や気持ちを大事にしてあげてください🌸


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