見出し画像

心のトゲを抜いてもらう〜見えない世界での恩恵の受け取り方

先日、夫のリクエストにより
巣鴨にある、高岩寺(とげぬき地蔵尊)へ
お参りに行きました。

このお寺には夫が小さい頃
おばあちゃんと一緒にお参りをした事が
“たぶん“あるであろう
思いでのお寺なのだとか。

おばあちゃんは、夫の母方の祖母で
生まれた時から一緒に住んでいて
夫はとても可愛がってもらったそうです。

でもこのおばあちゃんはとても
『クセ』が強い人だったらしく、
夫の母が覚えていない位、
小さい頃に離婚をして

今でいうお水関係の仕事をしていて
娘(夫の母)を施設に預けて、
男の人を追いかけていたらしいのです。
(夫の母談)

その為、夫の母は小さな頃から
とても辛い思いをしていたので、
恨みの気持ちが強く
おばあちゃんとの折り合いは
最悪だったようです。

おばあちゃんが亡くなった時、
実家のお墓に入れてもらえないか
聞いたみたいなのですが、
断られたそうで、
(この辺私もうろ覚えなので確かではないのですが)
おばあちゃんは無縁仏として
納骨されています。

夫はずっと小さい頃から
お母さんとおばあちゃんのケンカを
毎日毎日聞きながら育ち、
お母さんの恨みを理解しながらも
おばあちゃんに可愛がってもらった事に
とても複雑な思いを持っていた
のだと思われます。

この経験は
きっと夫の内側の柔らかいところに
“しこり“や“トゲ“として残っているんだろうと
思います。

夫本人は中学生くらいからしか、
小さい頃の記憶がほとんどないそうですが、
おばあちゃんに色んなモノを
買ってもらった事は覚えていて(笑)
とても感謝している
と言っていました。

だからこそ、
無縁仏として埋葬された事に
とてもショックを受けたのだと思います。

あんなに可愛がってもらったのに
位牌もない事で手も合わせられないし、
年忌供養も出来ない。

数年前に夫の父が亡くなって、
頻繁に墓参りをしたり、
仏壇に手を合わせるようになって
尚更、罪悪感が湧いているようでした。

今回、夫が自ら“うっすら“と思い出のある
高岩寺に行きたいと言ってきたので、
あぁやっと“心のしこり“や“トゲ“のささって
いる所を癒せる段階に
なってきたのかもしれないと思いました。

また、私も夫のおばあちゃんの供養の事は
とても気になっていたので、
お地蔵さまのいらっしゃるお寺は
うってつけだと思い、張り切って行きました。

お昼過ぎに到着して、
まず本堂で手を合わせました。
とても暑い日で、参拝者も少なかったので、
心置きなく仏様に
夫の事や、おばあさんの事をお話しました。

仏様は秘仏なので、お姿は見えないのですが、

おばあちゃんの名前と
生前、こちらに夫と参拝した事がある事、
現在、無縁仏として埋葬されていて
夫は直接供養出来ないことが
心のトゲになっている事など
また長々とお話しました。

そしたら途中で、
冷んやりとしたマイナスイオンがいっぱいのような
爽やかな風が足元から吹いて来たので、

あぁ仏様はちゃんと聞いてくださったんだなと
私には感じられました。
とても心が満たされて、
魂が喜んでいる感じがしたのです。
私は見えないし、聞こえないけど、
この“感じ“を味わいたくて
神社仏閣へお参りしているのだと思います。

それから、おみくじを引いたり、
お御影という
飲めるお守りのようなモノを
夫が飲んだ覚えがあるというので、
買ってみたりして、
本堂の中にあるベンチで少し休憩しました。

そしたらちょうど目の前に、
午後4時からご供養の祈祷があり
内陣へ入れるという案内がありました。

私は『これだ』と思ったのですが、
まだ14時で、始まるまでに2時間もあったので、
夫は『そこまでしなくても良いよ』
と全然乗り気ではありません。

まぁ確かに猛烈に暑かったので、
私も無理には勧められないし…と思い、
諦めてお昼を食べて帰る事にしました。

高岩寺からすぐ近くにある
洋食のレストランに入り、
私達の前に3人づつ二組が待っていたのですが、
まあそんなに長くは待たないだろうと思い、
順番待ちの紙に名前を書きました。

それから30分待っても、順番が回ってこなくて
おかしいなぁと思い始めたところで、
あぁこれは、高次の存在の何方かわからないけど、
夫がご供養の祈祷を受けるように
“時間調整“してくれているんだなぁと
思いつきました。

それからは、私は密かに
なるべくゆっくり食べたりして、
お店を出る頃には
ちょうど15時40分でした。

そこで夫が
『もうこんな時間なら祈祷を受けていくか』
と言い出したので
良かったなぁと思いながら
また高岩寺へ向かいました。

祈祷の申し込みをして
内陣へ上がり、大きな“おりん“の
すぐ側に座りました。

おりんのすぐ近くだったからか
もうこの音が身体中に響きまくり、
ものすごかったです。

そして夫は祈祷が始まってすぐから
滂沱の涙を流していました。
こんな夫を見たのは初めてで、
私も感極まり、
とめどなく涙と鼻水が流れました。

夫は何でこんなに涙がでて来るのか
分からなかったそうです。

感情が動いて、感激したとか感動したとか
そういう事で涙が出て来た訳ではなく、

地蔵菩薩さまからの癒しを
魂が受け取けとれたから
涙が溢れて止まらなかったのだと
思います。

神仏研究家の桜井識子さんの著書やブログによれば

神仏はいつも平等に
霊能力の有無など関係なく、
私達人間に恩恵を与えてくれて
いるそうです。

ただ、意識の向け方、心の開き方によって
その恩恵の受け取れる大きさに
差が出てくると。

夫は私から、お地蔵さまがどんな仏様か
あの世はどうなっているのかなど
散々聞かされていたので、
自然と心を開いていたのかもしれません。

そして、自分からお寺に行きたい
と意識した事も大きかったと思います。

この事は神仏の恩恵だけに限らず、
見えない世界全般にいえるのではないかと思います。

例えば
星読みでも同じ様な感覚があります。

自分の内側へ“意識''を向けて、
感情、思考、行動など、
今、自分はどの天体を使っているのか、
繊細に感じる様に、意識するからこそ
わかるようになるし、
そこから天体を使うという事が
出来るようになるのではないかと
思います。

この見えない世界では
意識がすべてという事とは別に

『自分から』

という“意識“が結果に大きな影響を及ぼす
のだなと強く感じました。




















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?