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言葉を選ぶ?

わたしは失言が多い。適当なこともたくさん言う。

もともと

すごくおしゃべりというわけではなかったけど、人と話さないほうがいいのではないか、という恐怖感で家から出られなくなった17歳あたりから本格的な無口になった。そして、話さないなら存在しないも同じと思うようになり(これ以上は今はやめておこう)。

暗黒時代を経て、

浪人生から入学も視野、くらいの時期から徐々に話す努力をまた始めた。口がすべりやすいのですごく気をつけて話すんだけど、気をつけて話すとすごく疲れる。そしてまた話すのを諦める。そしてまたがんばるの繰り返しだった。

コミュニケーションの本を30冊くらい読んだ。だいたい同じことが書いてあった。総じてタメにはなったと思う。自己啓発本は読書として楽しくはあるけどとくに実生活に影響はない、と思ってるけど、同じ棚にあるコミュニケーション系の本は実用的だ。付箋だらけの本とまとめたノートを見ると誇らしくなる。読まずとも当たり前にできる人は高次の存在だから比べないようにしようと思っている(高次元なのに見えてるから意味不明)。

会社員になったあたりで、

話すのを諦めるのを諦めた。会社での雑談って結構大事だし、万が一へんなふうに伝わっても無口よりも何か言葉を発していたほうが差し引きしてもプラスだ、と決めたからだ。それで嫌われたらやめればいいくらいに開き直っていた。

不思議と、思ったことをそのまま口に出す練習がなじんできた頃から周囲と仲良くなれたような気がする。気がするだけでどう思われているかは実際のところ分からない。

で、今また発言を気にするフェーズに入っている。

何回繰り返すんだこれ!
いや、繰り返すのが人生なのかもしれない。

もとに戻って来たように見えるけど、マリオのように壁を蹴って上に上がっているのだと考えると少しマシに思える。

こういうこと

言葉で人を気遣える人になろうよ!いや、人を気遣えてると思うのは傲慢なのか?はたまた「人を気遣ってもしょうがない、本音で生きてこそだぞ!」ということこそ楽したいだけの言い訳なのか?このピンボールはいつ終わるんだ?

といいながら明日からもただ生きるだけなんですけど。
もがいた末の折衷案みたいなところに安定するんだろうという予測は立つんですけど。

今日はあんまり推敲する気がありません。
夜中にすみません。

最初の写真は友達ふたりと行ったスープパスタです。
「気が置けない友人」の意味、大人になるほど濃くなっていくよ。

それではおやすみなさい。
幸せな夢をみて、朝飛び起きてください!

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