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#1 自己紹介の延長と病休になった話

初めまして。ページを開いてくださりありがとうございます。

周りの人が結構noteで文章を書いていることを知り、最近ブログを再開しようか悩んでいたので軽い気持ちでインストール。その後あまり開くことはなかったのですが、自分の中で思うことがあって、それを誰かに伝えるというよりは、自分の記録用、日記みたいな感じで使っていこうと思いました。

私が書く文章は、漢字が多くて、長くて、何言っているか分らないとよく言われます。なので、自分の文章力と、タイピング技術の向上のために(笑)、というのもあります。なんか、上手くなるかなーという何の根拠も無い思いつきです。。


私の職業は小学校教員です。去年は3年生の担任でした。プロフィールを見ていただければ分かると思いますが、4年生大学を卒業し現役で採用された者です。 

新型コロナウイルス感染防止のため卒業式が無くなり、自宅に学位記が届いた一週間後、30人の子どもたちの学級担任となりました。毎日学年主任の後に必死についていき、やっと子どもたちの顔と名前を覚えた頃……

新学期が始まって2週間で休校となりました。コロナの影響で昨年度は「例年通り」というのは無く、世の中の感染状況の合わせて学校行事も制限されました。子どもたちに「鼻までマスクするんだよ」「前の人とくっつかないで離れて並ぶんだよ」「給食の時はマスクを外すから、お話しないで黙って」って言っても、マスクしたくないし、やっと会えた友だちとはくっつきたいし、給食食べながら先生もみんなと話したいよ…。と、未だに学校での感染対策を徹底してと言われても、初任の先生ならなおのことなかなか難しいものです。。

教員採用試験に合格すれば晴れて採用、と言うわけでは無く、他の地方公務員とは違って1年は条件付き採用という風になります。1年かけて初任者研修を受けたり、研究授業をいくつも行ったりして、その評価に基づいて2年目の4月1日に晴れて採用となります。


私は、去年の9月、学校に行けなくなりました。

やっと家から出て車を運転していましたが、学校の近くのコンビニにいったん停めて、そこから動けなくなりました。

実は既に7月には身体に変化が出始めていたように思います。それまでも寝過ごしてしまったことが数回あり、一回なら「そういうときあるよね、私も若い頃やっちゃったことあるし」で済んだ話が、2回3回目には「また…?」と白い目で見られてしまう、まあ当然ですよね。信用もなくなれば、だらしない問題先生として見られるようになってしまいました。

朝起きることが元々苦手で、寝起きは未だに近所迷惑級。そこに来て毎日施錠する19時まで学校で仕事をして、さらに持ち帰ってやる…はずが、ご飯を食べるかどうかと言うときに睡魔に負けてしまう…気付いたら夜中。ご飯やお風呂を済ませ、そこからやっと取りかかると、だんだん空が明るくなってくることもしばしば。ベッドで寝ると熟睡してしまうので、買ったばかりのニトリのNマットレスはしばらく部屋の飾りでしたね(笑)。同じくニトリの座椅子で寝てました。(そろそろニトリ信者がバレる)

謎の腹痛も続き、通知表もなかなか校長からのゴーサインが出なくて、ついに研修をキャンセルして通知表の直しをすることに。

さらに、コロナ休校の影響で授業の進度が狂ってしまい、授業がどんどん遅れてしまいました。結局算数はおよそ大単元1つ分を2学期に実施することになり、国語もとなりの主任のクラスと10ページ以上の差が開いてしまった…。

夏休みとはいえ、初任者の夏休みはあって無いようなものでした。実家に帰省する荷物の中には採点しきれなかったテストやプリントたちがあり、他にも、2学期に控えている3つの研究授業の指導案作成、1学期に履修出来なかった単元をいかに短縮して実施するかを考え準備することなど、”宿題”は山積していました。まず、1学期後半の体調不良を引きずっていた私は、到底全てを終わらせることなど出来ませんでした。

2学期が始まり、一週目。とにかく1学期の埋め合わせと失敗を繰り返さないことを意識して過ごしました。主任とも普通に話せているし、大きなミスやクレームもありませんでした。子どもたちの学校生活のリズムを取り戻すことが少し大変だったくらい。お、2学期行けそうか…?と正直そう思っていました。

★ここまでのだらだらとした話をまとめると、

・ずっと懸念していた朝寝坊を繰り返し、周りからの信用を失っていった。   ・学校から持ち帰れる仕事を持ち帰り、睡眠リズムが崩れ、体調を崩しやすくなった。                               ・校長や学年主任の要求に応えられず、自分を追い込むようになった。   ・2学期に大量の課題を抱え、いっぱいいっぱいになってしまった。     

ということろです。

「サザエさん症候群」という造語ができてしまうくらい、読んでくださる方の中にも月曜日が憂鬱だという方は多いと思います。それも重なってか、2週目の朝は身体も起こせず、学校までたどり着くことが出来ませんでした。

とにかく職務を全う出来ない自分を責め、校長室で声を上げて泣く日もありました。教室に半ば無理やり連れて行かれ、子どもたちの前に立てば「先生」として話さなければいけません。しばらく教務主任の先生が授業に入ってくださったり、担任としての業務を軽減していただいたりと、あらゆる手を尽くしていただきましたが、それでも朝は起きれないし、学校に向かう足取りは重いのです。

どうしてなのか。

それは、先ほどの軽いまとめのなかの3番目の・が最も関わっていると思っています。

詳しいお話は、また次に書かせていただきます。

今後、私と同じような境遇の方が少しでもほっとするような、内容を書かせていただきたいと思います。また、今回は走り書きみたいな感じでサブタイトルもつけずにダァーっと打ってしまったので、もっと読みやすい文章を心がけます。


最後までお読みいただきありがとうございました。


#教員 #2年目 #長い話  #病休になった話 #休職 #社会人

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