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17年

やっと。
空手からやっと解放された…。

というのも違った。

いざ、空手を辞めると何ともいえない感情に襲われた。
けれど後悔しているわけではない。
引っかかっている訳でもない。

でもめちゃめちゃ後ろ髪引かれている。
何も知らない人には「もったいない」とか言われて。いいんだけど。
やっぱり後輩の顔を見ると、悪いことをしている気分になってしまう。

なぜ辞めることにしたのか

心療内科の先生に報告すると、衝動的に辞めたんじゃないかと心配された。
その前から先生には事情をお話ししていたが、結構驚かれた。
私自身も衝動的に辞める決断をしたのではないかと思ったが、そうではない。
何ヶ月も、何ヶ月も、堂々巡りを繰り返しながら出した結論だ。

一番の理由は、体調不良が続いていること

空手に行った次の日に疲労を残してしまうことが多く、学校や仕事に支障を来してしまうことが多々あった。
稽古日の次の日の朝の寝起きがきまって悪かった。
母には「空手の稽古頑張りすぎたんじゃないの」と言われることが励ましではなく皮肉に聞こえてしまって、空手を頑張っている自分を否定されたような気持ちになったこともあった。

なぜか体力が持たない。
その原因は、私の特性が関係しているのだと最近思うようになった。

1つのことに力を120%で使って挑んでいないと、人並みになれないとか、認めてもらえないとか、認められたいという思いが強かったんだと思う。
学生時代は特に、今自分が持てる力を出し切って生きてきた。

人に認められないと生きている意味なんて無いとまで潜在的に思い込んでいたような気がする。
だから人からしたらどうでもいいことや気にしなくてもいいところにまで神経を使い果たし、夜になれば布団に倒れ込んで死んだように眠っていた。

空手で身体を動かしているはずなのに1日生き抜く体力がない。
いくら頑張っても身体が持たない。
今でもすごくすごく悔しい。

先生が嫌いだと気付いた

今の先生は、私が入門当初から習っていた先生と結婚し、他流派からやってきた先生だ。

稽古のやり方が我流で私がすっとやってきた稽古ではない部分が多い。
こんなことを大会前にやって結果につながるのだろうか、と感じることが増えた。
指導は素人でも17年やっていればおかしいことには気がつく。

それに、気に入らない門下生には暴力を振るってしまうらしい。
稽古やしつけの一環だと勘違いしているのかもしれないが、立派な体罰である。
謝ればいいと思っているし、嫌なら他の道場に移籍することを勧められるらしい。直す気は無いようだ。

そんな先生(とも呼びたくはないが)のどこを尊敬して稽古をすればいいのか分からない。

さらに、入門当初から習っていた先生も、旦那の愚行を謝罪と移籍で解決させようとしている節がある。加えて、私が空手を辞める相談をしたときにも一方的に

「空手やってるから」で制限されていたことに気付く

空手をやっていて良かったことの1つは、礼儀が身についたことだと思う。
どういう場面でどのような気遣いや配慮をしてどう動けばいいのかとか。
そういうのは社会人になってからや飲み会の場で生きていることもあるのでいいと思うが…。

大学生や社会人になってから校則に縛られなくなって身なりや考え方がもっと柔軟に自由になると思いきや、そんなことはなかった。

例えば、髪の毛を切るときには、稽古中に邪魔にならないように縛れる長さかベリーショートにしていた。
フットネイルも稽古がないお盆や年末年始に期間に楽しんでいた。

それから、私が一番嫌な考え方がある。
それは、空手を辞めた人はダメな人のような言い方をすることだった。

「あの人もう辞めたから…。」「辞めたんじゃないの?」
「まああの人はねぇ…。」みたいな話を耳にすることがあった。

空手をやっていない人はダメな人なのか。
黒帯を諦めた人はダメな人なのか。

確かに、空手の稽古が一番優先度が高いし、毎回稽古に参加していることが昇級にも関わってくるから、稽古は大事。だからそこにいない人はやる気が無いとか、やっぱりダメな人だと言うのは、それは別問題な気もする。

みんな色んな事情を抱えながら、時間を作って好きな空手を続けようとしているのに。

その空気に巻き込まれるのが嫌だった。
私はそうは思わない。
私自身が辞めた後にそんな話になるのならなおさら辞めてやる。

空手を嫌いになる前に

私は空手を嫌いになりたくなかった。
ずっと好きなことに夢中になっていたかった。

でも、時代とともに人が入れ替わり、雰囲気が変わり、常識と思って信じていものさえ変わりかけていた。
私はその現実から目を背けつつ、すっと違和感を抱きながら、自分の体調と向き合ってきた。

自分の子供時代の多くの時間を空手が占めていたことは紛れもない事実だし、そこでたくさんの事を学んで育ててもらった恩がある。
出会ってくれて支えてくれた人たちがたくさんいることにも感謝している。

時間が経って、自分を取り巻く環境が変わり、色々な価値観に触れることで自分が今後どう生きていきたいか考えるようになった。
その中で正直空手を続けることは足を引っ張っていた。
道場自体は大きくなっていくから人との繋がりも広がりそうではあるが、出会いが増えても上の人たちのパワハラ的な考え方が変わらない限り発展は難しいと思う。ブラック企業2社に所属している気分だった。

私は本気で空手に向き合って自分の限界を高めるべく修行に励んでいたかった。
でも、精神的に追い詰められて病気を悪化させるほどのことが果たして修行なのだろうか。
ある程度心を強くするためには精神的な負荷は必要だが、病むほど追い込まなくていいと思う。もっと気楽に考えてできる状態だったら続けていられたのかもしれないが、私には無理だった。

目指していたものがいつの間にかどこにも無くなって、続けることが苦痛で、先が見えなくて、自分ばっかり責めるような空手がやりかったんじゃない。
もっと前向きに高いところを目指せるような、楽しんで稽古ができるような、仲間と切磋琢磨し合えるような、そんな空手をずっと探してきたし、やってきたつもりだ。

正直、道場がどこに向かっているのか分からない。

師範はとっても良い人だし尊敬している。
先輩たちも優しいし、いつも応援してくれる。
後輩だってみんな良い子たち。

ごめんね。

裏切ったつもりはないんだけど、今は空手から離れたくなったんだ。
好きなことだからこそ、好きだから、嫌いになりたくないから、距離を置く。

また始めたくなったら始めればいい。
多分また同じ道場で白帯から始めるんだろうなってどこかで思ってる。
これまでの経験が0になるわけじゃないし、身体はどこかで覚えてるでしょ。
年取ったら体力は無いだろうけど。

辞める宣言してから2ヶ月経ったけど、気持ちは全然変わらない。
「空手やりたくならないの?」
って聞かれるけど、今はまだやりたくないかな。
でも運動は大事だからまた最近筋トレとか運動始めました。続け。

空手の無い生活は結構気が楽。
ちょっと離れたところから観覧してたほうが楽しかったりする。
できた時間とお金でもっと自分の人生を楽しく豊かにしていくしかないよね。


ということで、思ってることこれからもポツポツ投稿していきますね。
いつも読んでくれてありがとうございます!

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