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牛の幸せを考える>#1 牛と私

私、牛が好きなんです。
愛でるのも、食べるのも。

これ残酷だと思いますか?

牛はペットではなく、家畜。
愛情込めていただくことが、牛への感謝を表す行動だと私は思っています。


牛との出会い

私が、牛を好きになったきっかけは大学1年生の春。
大学の附属農場で出会った子牛の姿に一目惚れしたことから、私の牛好き人生は始まりました。

ブラウンスイス種の子牛

中学時代に見た銀の匙という漫画からなんとなく酪農っていいな〜という想いと動物が好きなことから、畜産系の大学に進学。

大学にいる牛を世話するサークルに入り、3年からは飼養学研究室に入室。工場から出る食品残渣が牛の餌として有効活用できるものはないか実験していました。

牛は家畜

そんな牛漬けの生活を送っていた私が、大学で感じたことは、牛はペットではなく、家畜ということ。

どんだけ可愛がっていても出荷日が決まればその日にいなくなります。

なので私は家畜ということを頭の片隅におきながら、なるべく感情移入しないように接してきました。

ところが、その意識を変える出来事がありました。

マフィンの死

私たちのサークルでは、秋の学祭で牛と一緒に歩く催し物をします。牛と一緒に歩くのは1年生で、サークルに入ると夏ごろに担当牛という担当の牛を先輩と一緒に選び、学祭まで牛と一緒に練習をし、本番を迎えます。

学祭の様子
学祭の様子

私の担当牛はジャージー牛のマフィンでした。マフィンはメス牛で、学祭時のマフィンは1歳9ヶ月だったのでまだお産もしていませんでした。

夏の間一緒に練習して、学祭も乗り越えた牛だったので、他の牛より思い入れがあり、感情移入はしないようにしていましたがマフィンだけは特別な感情がありました。

マフィン

その後マフィンはお産をし、搾乳牛になりました。

搾乳牛になると、牧場に数年はいます。そのため、私がいる間はずっといるな〜という感じでした。

(マフィンの子はとっても可愛かったのですがオスだったため、数ヶ月で出荷されてしまいました。)

ところが大学4年生の5月、マフィンが突然亡くなりました。

細菌に感染してしまい、異変が確認されてから数日でした。獣医さんが解剖をしてくださったのですが、原因もはっきりわからずでした。

私は、解剖に立ち合わさせてもらいました。獣医さんの話していることは、何も分からなかったですが、このような経験をさせてくれたマフィンにはとっても感謝しています。

そして獣医さんは
「原因も分からずで申し訳ない、この子の死を活かしてやることができなかった。牛は健康に育ち、お乳を出すこと、お肉になることが生きる道なのにね。」
と言いました。

私はその言葉にはっとさせられました。

家畜としての道を全うさせる

牛は家畜です。人間の都合の良いように改良され、自然界では考えられない餌を食べています。

牛の生きる道、それは、

たくさんお乳を出すこと
美味しいお肉になること

家畜である以上、これが生きる道です。

なので、健康に生きる道を全うさせてあげることが牛の幸せに繋がるという意見もあります。


色々な意見がある中で、私は、愛情込めて美味しく牛肉や乳製品をいただきます。

好きだから食べない。
かわいそうだから食べない。

そうではなく、

好きだから食べる。
これが家畜としての生きる道を全うしている。

愛情を込めて美味しくいただくことが、家畜としての道を全うしてくれた牛さんへの感謝を表す行動だと思っています。

そしてその道を全うできた牛さんは幸せと言えるのではないだろうか?

つづく

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