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【kurumi 12周年を迎えて - お知らせ- 】

2020年3月9日 おかげさまで「野菜ソムリエのスープ屋さん kurumi. 」
は12周年を迎えました。気がつけば干支を一周していたなんて自分でも驚いています。長いような短いような本当にあっという間の時間でしたがとても充実した12年となりました。これも今まで支えて来て頂いたお客様、応援してくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
干支も一周して一区切りし、本来であれば13年目も頑張ります!と言いたいところなのですが現在新型コロナウイルス影響を受けて実質休業状態に入っております。2月の末くらいから仕事に影響が出始めて3月の仕事はほぼキャンセルに。こればかりは現在の状況を考えても仕方ありません。。💧


kurumi.を始める前に勤めていた建築会社で途中から自然素材を扱うようになり、そこで当時流行り始めていた「LOHAS」という言葉と出会い、自分なりに調べていく中で社会人サークルのようなものに参加してそこで企画していたアグリツーリズモで鹿児島のえこふぁーむさんに行って放牧の黒豚達を初めて見たり、鹿児島の児童養護施設の先生たちと繋がることが出来たり。
そしてそこで apbank の存在を知って、帰ってきてから調べたらたまたまワークショップの募集をしていて。限られた人数の中、運よくそこに参加することが出来て。。3ヶ月という期間でしたがそこで得たのは今まで知らなかったような環境問題などの情報や経験、そして今でも大切な仲間たちでした。そして翌年の2007年に野菜ソムリエの資格を取ったのをきっかけに起業することを決めて、会社に報告。少しずつ準備を進め翌年の2月に勤めていた会社を辞めて、その一月後の2008年3月から突如スープ屋として独立することになりました。
   
kurumiを始める前に、まだ知り合って間もない鹿児島の先生たちと屋久島に行かせて頂き、そこで初めて人前で「私、スープ屋になる!宣言」をしたのですが、唯一事前に報告ではなくて相談をした自分の兄には「なぜ安定した仕事を辞めてスープ屋になるのか。もし2年やってダメなら辞めた方がいい。」と言われていました。
何としても3年間は続けたい。そしてもし3年出来たらそれ以降はお店をもったり何かまた色々出来たらいいなという感じでいましたが、最初の1年は小さなイベント中心のスープ屋さんだけではやっていけずに地元のレストランでアルバイトをしながらやっていました。それでも、続けていく中で少しずつ仕事も増えて、一方でバイトの時間も増えて。。それはそれで良い経験なのですが「私は一体なんの為に仕事を辞めてバイトをしているんだろう?』とふと思った時に思い切ってバイトを辞めることにしました。固定の収入が無くなるのは痛かったですがその分なんとか仕事を入れとようと、とにかくいろんなイベントに参加したり、観光地やショッピングモールに固定で出たり、目黒川沿いや横浜元町でランチタイムの販売をしたりもしました。とにかく出来るところは出来るだけチャレンジしてみました。
売れる場所、売れない場所、イベント内容や場所によって様々でしたがその全てが経験になっていきました。そして自然とどういうところがうちは売れるのかも少しずつわかるようになってきたので、「とりあえずどこでも」から「出来るだけ需要のある場所を選ぶ」に流れを変えていきました。
kurumiの場合は基本的にスープなので人が集まれば売れるということではないということに気が付いたのです。
 
同時にこの仕事を始めて一年も経たないうちに撮影現場のケータリングの仕事が少しずつですが入るようになりました。これは全くの想定外でした。
平日はケータリング、週末はイベント。日々がバタバタするようになりましたが、少しずつ充実していきました。大きなイベントも仲間の協力もあり少しずつ出れるようになって、同志のようなキッチンカー仲間も少しずつ増えて、kurumiを始めて丸3年が経った時に今年はあんなことをしてみようとかこんなことも出来たらいいなとか。。そんな風にいろいろと思い描いていた2日後の 2011年3月11日 東日本大震災が起きて、一気に絶望の闇に突き落とされた感じがしました。正直、原発事故によりこの辺でも放射能汚染の心配もされていたので、「地産地消」をテーマにしていた私はこのままではこの仕事をもう続けることが出来ないと思っていました。現に当時お世話になっていた農家さんは後に西へ拠点を移されていきました。
 
震災と原発事故が起こした衝撃に耐えきれずネットで色々情報を得てはもうダメだ…。と毎日泣いて過ごす日々でした。それでも仕事は震災から数日後には普通に行われ、そのまま増えていき、気持ちは落ちたままでも「もうダメだ」とか言ってる場合ではないまま、日々の仕事に背中を押されるように月日は流れて今まで続けてくることが出来ました。
それでも震災以降は余計に意識が代わり、出来る限り復興支援に関するイベントに出ようと。現地で何かできるわけではなかったのでせめてそのような形で力になれたらと出店も今まで以上に厳選していきました。
気持ち的にも少しずつ落ち着いていき、自分なりに勉強することも増えて、その後は有難いことに順調に仕事の需要も増えて、イベントも小さなものから大きなものまで仲間の協力もありいろいろと出られるようになりました。またケータリングの仕事もどんどん増えていき、それまでのようにイベントとケータリングどちらもやるというのが体力的にも辛くなり、ここ数年はケータリング業務のみに移行していました。もともと始めた時の目標の一つはこの仕事のきっかけになった「apbank fesに出ること」だったのですが、それが奇しくも始めた年の2008年に叶い、その後も2010年、そして震災の翌年の2012年は宮城でのapbank fesに出店しました。震災の年からはapbankもFund for Japanとしてその収益を全て東北の復興支援に寄付するという形に切り替えていましたがその後はより直接的に支援できるようにとfesという形をやめて現地にボランティアとしてapbankが入ったり、音楽とアートのイベントの融合イベント「Reborn Art Festival」などを開催していましたが2年前の2018年に懐かしい静岡県つま恋でのapbank fesが復活。そこにkurumiもまた参加させて頂くことが出来ました。久しぶりのつま恋での出店は奇しくもkurumi 10周年という節目でした。10年間いろいろとありましたがどこか自分の中でもこの仕事をやりきった感がありました。

それでも変わらない日常が続いていく中、丸12年を迎えた2020年3月9日。
すでに少しずつ新型コロナウイルスの脅威が増していて、この日の現場を終えてからケータリングの仕事がほぼキャンセルになりました。ケータリングの仕事は主にCMやMV、時々ドラマなどの撮影現場でしたので、現場サイドが例え良しとしても国からの自粛要請により制作会社さんやクライアントさん側でもケータリングがNGになってしまいました。中には一ヶ月前から予約してくれていたのに本当に申し訳ないと言ってくださる担当者さんもいて、こちらとしては直前のキャンセルもこの状況なので「そうですよね。わかりました。」と受け止めるしかなく。そんなわけで今は実質休業中です。
それでも4月になればもしかしたら…という僅かな期待も虚しく先月末からは芸能界でも新型コロナは猛威をきかせている状況です。この流れの中では私自身もケータリングを再開することは出来ません。そして今の時点ではいつから再開出来るかというのもわからない状態です。東日本大震災の時と比べるのは違うと思いますが、仕事の状況としてはその時よりも先が見えない状況です。これはうちだけに限らず、多くの人が大きな困難の時を迎えていると思います。そういう意味では今までの大きな災害みたいに大丈夫なところが支え合ってというのが今回ばかりはいきません。
 
今、私が出来ることと言えば少なくともしばらくは家でおとなしくしている事ぐらいですが、この状況が続く限り、今後は仕事の内容も変わっていくかと思います。もしかしたらこのままスープ屋さんとしては再開出来ないかもしれません。その辺が明確に出来たらまたお知らせしたいと思いますが、ただどんな形であれ「kurumi」を始めた時の想いはずっと変わりません。
私にとってはきっとこれも一つのタイミングです。

「当たり前の日常はある日突然無くなってしまう。」

もうわかっているのに、いざ目の前になると無力さを感じるばかりです。
継続していく流れの中で始めるよりも辞める方が難しかったりもします。
今までお会いしてきた福島や熊本をはじめとする多くの方たちが震災で立ち向かってきたように、一歩一歩出来ることしていきながら、今出来る形での13年目のkurumiを育てていきたいと思っています。当初から想いの一つにしていたハチドリのひとしずくみたいに。いろんな出逢いや経験の中、それを実践する皆さんに私は教わってきた気がします。
私なりに出来ること考えます。それにもしお付き合い頂けたら幸いです。

まずは12年間 kurumiを応援してくださった皆様に心より感謝いたします。
そしてたくさんの仲間たちにありがとうを。私にとって一番の財産です。


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