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記憶すること。

このひと月、ある事をきっかけにとても心が動かされていました。
ある方が突然亡くなられてしまい、その影響を受けてのものです。

今まで誰かの死でこんなにも心が揺さぶられることなどなかったのになんでだろうと思いましたが、それはどこかで自分に重ね合わせてしまっていたからなんだとすぐに気づきました。当初はこちらのnoteで書こうと思っていましたが、下書きのまま2週間が経ち、昨日別のアカウントで纏めました。


昨夜遅くその方が出ている番組が再放送されて、どこかで複雑な思いを抱えたままその番組を見ました。番組自体はすごく楽しくて、勉強にもなって、とても意味のあるもので。そこに映るその方の表情をきっと何もなければ見過ごしていたその一つ一つの場面に、この時はどんな心境だったのだろうと思いを馳せながら、自分だったら今の質問になんて答えるだろう。やっぱり少し戸惑ったかも…とまたもや勝手に自分と重ね合わせながら。

真実がどこにあるかなんてわからないのに。

自分が一番辛かった時の記憶はとてもあやふやで、都合よくその殆どを忘れさせてくれています。私にとって記憶ほど不安定なものはないかもしれない。時折間違った記憶と入れ替わっていたりもするし、何が真実かわからなくなっていたりもしているし。忘れっぽくって良かったってこの時ばかりは思うんです。だけどどこかで塞ぎ込んだ記憶と感情は、ほんのふとした事で飛び出してきてそれが涙となって流れていきます。そんな日はもう何も出来ない。
そんな事この何年もなかったのに。もしかしたら今の環境が余計にそうさせているのかもしれません。

先に書いたのはほんの一部に過ぎなくて、実際はもっとたくさんいろんな事があったけど、それでも自分の中であの大変な時代があったからこそ、今がとても平和で幸せなのです。あのnoteに一つ書き足すとしたら嘘は何度も突き通すとやがて一定の角度では本当になるかもしれないという事。例えば無理して作ってきた笑顔もいつの間にか自然な物になっているという事。

いつか全て記憶を忘れてしまう時が来るかもしれないから、出来るだけ日々の出来事を記録するようにしています。
その中で必要な事だけ、少しだけ残ってくれたらそれでいい。
記録ですらいつかは無くなってしまうものだろうから。
だから今を大切に。そしてまた今日の日を記録しました。

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