松村康貴様へ(往復書簡6)

5月8日に新型コロナウイルスの感染症分類が2類から5類へ変更となりました。この業界にいるのにも関わらず、細かな変更点の違いというのを完璧に理解しているとは言い難いですが、要は今まで普通に世の中に蔓延していたインフルエンザ等と一緒の扱いにしてもいいですよ、ということみたいです。これで数年前の日常に戻れる、というわけでもなく、世間はまだ恐る恐る、周りの顔色を伺いながら自分がどう社会で振舞っていくのかを見ている感じがします。とはいえ全国の介護施設ではこの日を境に面会制限を緩和したり撤廃したところが多かったみたいです。それは僕らにとって本当に嬉しいものでした。およそ3年ぶりにご家族と対面された入居者の方もいたりして、これが本来の形だよなぁ、なんて感慨深くなったりしました。

ところが先日、ある報道番組で、介護施設での虐待について特集が組まれていました。ちょうど夜勤で出勤していた僕は、夕食時に放送されたその番組を、おばあさん達と一緒に観ていました。その内容は僕ら職員にとってはとても残念で寂しいものでした。
介護施設はコロナ禍でブラックボックス化した。虐待の温床となっている。謎の内出血、急激な体調不良の報告。施設側は何かを隠しているのではないか…というご家族視点で話は進み、これから介護施設の対応に注目と期待が寄せられている、といったものでした。これが確か7日か6日放送だったと思います。ショックでした。待ちに待った面会制限緩和、自分の親と生身で数年ぶりに会うというこのタイミングで不安を煽るだけの内容。番組を観たご家族は、うちの親が住んでいる施設は大丈夫なのか…となるでしょう。不信感しか湧きません。もうおばあさん達に必死に擁護してもらうように頼みました(笑)。

人はどうしても老いて病んでこの世を去る。当たり前なこの圧倒的事実を、近代社会に住む僕らは見ないようにしてきました。そんな中、親の介護という時間を経て、この事実と再び出会い直す、どんどん衰えていく親を見て、葛藤し、諦めたり遠ざけたり、受け入れてはまた悩む。そして少しずつその存在を確かに刻んでいく。その傍らに僕らも居させてくれるならなによりです。

コロナ禍はその過程を吹き飛ばしてしまいました。親が衰えていくその様を、この目に焼き付けていくことなく、ただ老いたという結果だけを目の当たりにしたのです。できなくなっていくこと、まだできることを介護職と確認しながら、共に生活を作りあげていく。そうして少しずつ得た信頼が、お年寄りの穏やかで揺るぎない日常を包んでいくはずでした。
誤解を恐れず言えば、人はどうせ死ぬ。最短距離でこの事実を突きつけられたとしても、人はなかなか実感できません。ハイデッガーは「存在と時間」の中で、不安からくる良心の呼びかけから死への先駆的了解が現存在には可能だとしましたね。しかし人は一人ではその不安と向き合うことは難しいのだと思うのです。だからこそ了解を行うために、例え遠回りに見えたとしても、なんてことない日常を共に過ごすということが必要だったのではないか。

コロナ禍において、体調不良が起こった時、病院受診を希望される方が多くいたように思います。その結果、僕らはその人がその後どのような経緯を辿ったかほとんど知る由もないまま、別れの時を迎えることも多くありました。ご家族がそう判断されたことに異論はありませんが、それでも、少しでも僕らと思いを共にし、生活を考えていくことができていたならばと、思わざるを得ないのです。

愚痴のようなことを出だしから言ってしまいました。松村さんの犬の散歩の遠回りのお話、大変興味深かったです。まず散歩の時間めちゃくちゃ長いなと(笑)。無為と無駄について色々考えを巡らせていました。そんな時に起こった5類変更とご家族の思い。介護職として看過できませんでした。
さて、遠回りついでにさらに遠回りしたいと思います。

先日、後輩の結婚式に参列してきました。僕は趣味でブレイクダンスをやっているのですが(やっていた、とは書きたくない。今全然やってないのに…)、そのダンスを最も長きに渡り教えてきた後輩の1人でした。恥ずかしながらスピーチなんてのも頼まれて、生まれて初めて結婚式でスピーチを行ってきました。人前で話すことは慣れているほうだと思ってましたが、介護以外のことを話しことはなく、かなり緊張しました。その時にこんな話をしたのです。

ブレイクダンスというのは見た目は派手ですが、練習自体はすごく地味。習い始めは、全ての技の基礎であるチェアー(芸人の江頭2:50がやる三点倒立)をひたすらやります。大抵若い子はこの練習の段階で辞めます。というのはこの技の意味が分からないから。ド派手な技を習いたいのに、僕はひたすらこの無駄ともとれる技を練習させます。この子は辞めるかなぁと思いきや、連日練習場所に現れるのです。どうやらこの無駄な練習に価値と意味を見出した。自ら選んだのです。
生きることも同様に無駄とも思えることの連続です。そして結婚というものも、相手はその人でなくていい。でも君はその人を選びました。そこに自ら価値と意味を見出しました。
ブレイクダンスなんてしてもしなくても生きる上でなんの影響もない。衣食住に関わらないのでなくてもいい。だからこそ僕らはその何もない無駄に、自由な表現を用いて自らの存在をそこにありありと証明することができるのです。
そして今日、共に居なくてもいい2人が、共にいると誓い合った。それが大切なのです。

ざっくりとですが、こんな感じの話をしました。わざわざやらなくていいダンスを、昨日より上手く踊るため、明日もっと軽やかに舞うため、自らの時間を消費してまで、無駄とも思える練習に費やしていく。それは〈いま、ここ〉をたしかに生きていると感じることができる一つのコンテンツだと自覚していたからなんですね。だからとうに現役を引退したって人も、また練習を再開したりチームを組み直してイベントに出たりと、その競技人口もずっと増加傾向です。得られるものといえば少しの名誉と身体中の痣だけだというのに。ある種の快楽が僕らを掴んで離さない。それが今世をにぎわす生産性なるものに繋がることなどほんのひと握りなのにも関わらず、その無駄を僕らb-boy(ブレイクダンスを踊る人たちの総称)は愛してやまないのかもしれません。もちろん中にはダンスに費やしたことを後悔している人もいるとは思いますが。


また今度は介護職らしく、あるおじいさんの話です。
病院からの入居となったおじいさん。寝たきりで終日オムツを着用し、ナースコールで人を呼び出しては暴言を吐き、物を投げつけ、暴れ倒していました。まあ寝たきりだったので大した被害は出てなかったですが、いわゆる問題老人と呼ばれていました。
さっそくできる介護職らしく、おじいさんの生活をアセスメントし、今できることとできないことを見極め、業務改善のためのサービス内容変更を決め、さらっと「オムツ外し」なんてことをやってのける、わけではありませんでした。僕がしたのはできるだけ喋りかけることと、トイレに誘うことだけでした。今まで何人もオムツ外しを行ってきたことを知っている職員からすれば、頭に疑問符が浮かんでいたと思います。何故トイレに連れていかないのかと。誘えば毎回断られるのです。でもおじいさんの能力をみると、トイレに座るのは容易なことだと誰もが明らかでした(何故寝たきりだったのか…)。でも僕はとりあえず急には座らせず、ただ喋って誘うという毎日を続けました。職員からすれば、無駄なことに時間を費やしてどうするつもりなのか、やる気がないのではないか、といった感じでした。
そしたらある日、おじいさんの方から僕にこう話しかけてきました。
「ともちゃん…トイレ連れてってぇな」
歓喜の雄叫びをあげながら、相方職員と一緒にトイレへ誘導し、便座に座ってもらいました。そしてバリッと特大の排便が。数年ぶりに自分のうんちを見ておじいさんは大粒の涙を流しました。そこからトイレに連れて行って欲しいと訴えるようになり、見事「オムツ外し」となりました。


ここで言いたいのは、無駄なことも必ず結果に繋がるから、とか過程を大切にしようとかそういった自己啓発的なことではなく、案外無駄なことがないと僕らは生きにくいのではないのかって疑問です。可処分時間をいかにして過ごすのか、有意義な活動ができる時間を作り出し、ハイリターンな仕事で稼ぎ、意味ある何者かになるために精を出す。FIRE(経済的自立と早期リタイア)という言葉が一時期流行ったように、どれだけ自らの影響力の範囲で効率よく生きるか、そしてその全ては自己責任であるというエートスに僕らは浸かりすぎてしまいました。誰もが幸福になる契機があるにも関わらず、自殺者数は減る気配がありません。コロナ禍による生活行為管理社会は、あらゆる無駄を削ぎ落としていきました。目に見えぬウイルスですら、コントロール可能なものに含めてしまう、操作主義の極みとも言える事態に、誰もNoといえなくなってしまいました。


僕らが日夜飽きもせずに踊り明かしたことは、傍から見れば無駄の塊でもあり、しかし僕らはそこに価値を見出してきました。それに費やせば費やすほど、希少性が高まり、今尚僕らにとってもダイヤモンドとまではいきませんが、酒の肴になるくらいには輝きを放っているわけです。
おじいさんにとって、入院期間は絶望の時間だったのだろうと推測します。過去の自分と今の自分、メルロポンティでいうところの歴史的身体と現勢的身体の乖離が、おじいさんの心を掻き乱しました。そんな価値消失したおじいさんの時間に、突如として現れたヘラヘラした若い男。その乖離を受け止めつつ、そのままをよしとしない態度をとるが、強制もしない。だらだらと喋る時間が、おじいさんの中の何かを変えた。

もしかしたら踊らなくても人生になんら影響はなかったのかもしれないし、おじいさんもポンとトイレに座らせればそのままオムツは外れたのかもしれません。
結果論ですが、やはりこの無駄が僕らにはいいスパイスになったのだと思います。作為的な無駄がその場所を占拠することをよしとしない松村さんですが、それには僕も深く同意します。ですが、僕はこの作為的か無作為的か難しいこの無駄が、もう少し受け入れられる社会になってほしいなとは思います。

しかし介護の世界では、松村さんが指摘するように、この無駄の排除が忍び寄ってきている感はあります。科学的介護という一見相反するふたつの語句が、一つの概念として近年登場してきました。もう市民権を得つつあるこの言葉は、かつてのリハビリテーションという語句が招いた悲劇という名の轍を再び歩むことになりそうです。科学的というのはつまり再現性があるということ。根拠を持ってして介護する。根拠があることで誰にでも一定の質を保持したまま介護ができるようになる、またはできるようにするといった意味で当初捉えていました。しかしどうやらそのような風潮ではなく、単にICTなどを活用し効率化して携わる人員をなんとか削減していこうという流れになりつつあります。科学の力で無駄を消し去ろうというわけです。これは、かつてリハビリテーションは全人間的復権と言われ、生活再建を目指す概念だとされながら、今や機能訓練に留まるという価値観の矮小化がされた事態と酷似しています。カール・マルクスは「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」とヘーゲルの言葉に付け足して言ったそうですが、まさに喜劇として僕らの目の前に現れ始めています。バブルが弾ける様を目の当たりにしていない僕にとっては、最初の悲劇となるかもしれませんが。


さて、ここらで唐突なのですが、僕は松村さんが「臭い」に言及することについて僕も色々話したいのです。
というのも職業上、この「臭い」とは切っても切れない関係にあるからなのです。ベテランともなれば、フロアで微かな臭いをかぎとり、トイレ誘導の優先順位を決めたり、またある時は看取りの段階に入ったお年寄りの居室に入るや否や、その臭いの変化から亡くなるまでのおおよその期間を推測してしまう猛者までいます。そこにいわゆる「科学的根拠」などありません。なので今後このような言動は、無駄な戯言だと忌避される対象となるでしょう。そしてこれから僕らはおそらく、沢山の根拠ある数字に囲まれながらその生涯を閉じていくことになるはずです。
しかし、この言いも知れぬ臭いに関して、吉本隆明は講演「言葉以前の心について」でこのように語っています。

「つまり、嗅覚っていうのは、とても重要で、ある意味で、いちばん原始的な感覚になるわけですけども。それは、同時に人間の心の動きが、ようするに、内臓の動きっていうものと、それから、目でなんか衝撃的なことを見たために、驚いちゃったとか、びっくりしちゃったとか、悲しくなっちゃったとかっていう、そういう人間の心の動きがあるわけですけど、感覚から入ってくる心の動きと、それから、内臓器官の動きからくる心の動きとが、最初に分離する場所っていうのが、この嗅覚器官が分離する場所であり、それは遡っていけば、水棲動物が、水の流れっていうのから、さまざまな水の質を嗅ぎ分けたり、それから、呼吸の代わりに水に溶けている酸素をえらの中から、体内に吸収したりってことですけど、その器官が最初に分離する場所がそこだったっていうふうに云うことができます。
ですから、人間の心の形成っていうことを、非常に起源のところまでいってしまえば、ここの最初に嗅覚っていうものが、呼吸機能と分離したところまで、遡ることができることになります。それは、魚が、水棲動物が、陸上に上がる、その直前のところで、そういうところがはっきり分かれる兆しをみせたってことが云えるんだってふうに思います。」

身体の不調が心に影響を与えることはよく知られています。認知症のある方のBPSD(認知症に伴う行動心理症状)の要因の中でも便秘をはじめとした身体からの心の影響は想像以上です。この身体不調を見つけることは介護職の必須のスキルともなっています。その心の起こりの始まりが、嗅覚、つまり臭いが関与しているのではないか、ということでしょうか。その方の死期が近いということを、ある種の臭いから僕らは感じとり、そこで心が動いている。そのように捉えることができなくもありません。最も原初的である臭いを疎かにしていくことが、産業資本化介護の始まりであり、ここに再び戻ろうとする営みが、イリイチが目指したテクノロジーに隷属しない社会なのかなと思います。
サトさんとの関係もこのように捉えると面白いかもしれません。同じ時、同じ臭いに包まれていた。つまり同じ時空間を共にしていたということがよかった。僕らにとっては仕事ですが、それでも同じ時を同じ場所で過ごし、同じ臭いを感じていた。そこにサトさんの中で引っかかる何かがあり、頼れるような存在に時折昇格出来た。僕らが共有できない記憶と、共有できている記憶がシンクロする時、どうやら僕はお父さんになれるみたいです。過去のトラウマから精神の分析をはかろうとしたフロイト的考えではなく、R・デヴィッド・レインはその著書で現存在分析をもちいています。精神病患者の過去を持ち出すように病根を探るのではなく、現存在として、閉じた病者の存在を共同世界に向けて開示しようとしました。

僕なりの解釈ですが、これは〈いま、ここ〉に目を向けたものだったのではないか。つまり、僕をお父さんとしたサトさんを否定することなく当時の臭いを覆さないようにお父さんになることが何よりであり、おじいさんの特大のうんちの臭いを共にかいで涙したことが何よりであり、朝がくるまで汗だくになりながら青春の臭いが昨日のように思い出せることが何よりだと思います。とすべてを繋げるのは些かこじつけ感がすごいですが、そんなところも介護職ならではなのかもしれません。

そしてこの時空間の共有、同じ臭いに包まれるという体験がなかったからこそ、冒頭のようなご家族との思いの齟齬な生まれてしまうのではないかと思うのです。いかにしてこの体験を介護現場で作り上げていくか。喫緊の課題であるはずですが、介護界が向かう方向は今尚定まらず、更なる迷走が始まるのではないかと危惧しています。それでも僕らにやれることは変わらず、目の前の人たちと一つ一つ当たり前を積み重ねていくこと、それしかありません。

松村さんが遠回りして犬と見た景色、通った風景、嗅いだ臭い。そのどれもはその時だけのものではありますが、その景色は消えてしまっても、その景色の中に共にいたという事実は残ります。そこに様々な意識の介在はあれど、その景色を想起させる景色、体験、すれ違った人、どこかの家のご飯の香り、一つ一つの積み重ねが、取るに足らない思い出されもしない当たり前な日常が、僕らには必要だったのではないか。無駄なことを生活に繰り込める余白こそが生きる上で肝要なのではないかと思います。


長くなってしまいました。どう考えても松村さんからのお手紙のアンサーとはならず、支離滅裂で蝶のようにフラフラしていますが、無駄と臭いについて好き勝手書いてみました。経済について疎いところが、介護職としての強みでもあり弱みでもあるのかなと、感じたところです。

実はお返事を書くにあたり、何回も書いては消してを繰り返していました。内容は全然違うものから似たようなものまで。自由に書けばいい、という自分にとっての思いが、どうやら制約となっていたみたいです。自由が制約となる。無駄なことを歓迎しているはずなのに、それを了解した途端に伝えたいことが上手く言葉にできない。だから今回、自分の中で、松村さんからのお手紙のキーワードと自分で決めた「無駄と臭い」について書いてみました。
するとわりとスラスラ書くことができました。これはなかなか自分でも面白いなぁと思っています。完全なる自由もまた創造を生まない。かといって全ての無駄が排除され、制約をかされた中だったとしても結果は同じかもしれません。
今まで書き連ねたことの反証を自ら行ったみたいですが、要は偏ると心身共にあんまりよくないよねってくらいにまとめたいと思います。もちろん今後も自由な形でのらりくらりと遠回りしながらを楽しみにしていることには変わりありません。

そして当然、何回書き直しても、無駄な作業とは全く感じず、書きながら、次に松村さんがどう言葉をつむぎ出すのかを待ち焦がれるような気持ちでいたことを付け加えておきたいと思います。
(お返事が遅くなったことへの言い訳も込めて)

鞆 隼人

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