験担ぎ、しますか?

私は元々、験担ぎに興味はなかった。人生の大きな岐路に立つ多くの受験生や就活生は、「(滑らないために)今年はスキーにはいかない!」「絶対『落ちる』というワードは言わない!」と決意していたり、神社に行って心を研ぎ澄ましたりするだろうが、私はそのような験担ぎはほとんど気にしなかった。そんなことを考えている暇があったら一つでも多くの英単語を覚えたほうがいいとか、そういう人間だった。

しかし就職活動を機に考えに変化が起こった。

大学生活もあと一年。3月1日の解禁と共に、就職活動の荒波に飲み込まれる。日中は自室でスーツを着て背筋を伸ばし、四季報とポケット六法で底をかさ上げしたPCとにらめっこし、夜には23:59の締め切りに追われながらESを書く日々。無職になってしまうかもしれないというプレッシャーもある。これが1か月も2か月も続けば心身ともに疲弊してくる。

なかなかうまくいかなかったり、自分の将来像が見通せなかったりして悶々とすることが増え、気づいたら説明会や面接終了後に近所の神社に参拝することがルーティンになっていた。そこでうまくいくようにお願いしたり、何も考えず心を落ち着かせるようになっていた。

典型的な験担ぎである。加えて、落ちた地元の企業の看板を見て心がえぐられるような感覚に陥ったり、お祈りメールは即ゴミ箱行き(笑)にしていたりと、別にその場面に直面したり対処したりしたところで就活がいい方向に進んだり悪い方向に進んだりするわけでもないのに、そんなことを気にする人間になっていた。


とはいっても、これらの変化は肯定的に捉えている。実際神社へ参拝することで私の心は落ち着いていたし、感情的なものよりも合理性を大切にしてきた人間にとって、少しは「人の心が分かる」人間になれたと感じて嬉しいとさえ思う。

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