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同棲相手のパンツを捨てて占い師になる話

「クリエイティブな仕事をするために上京したのに、このままでいいんだろうか」。小説家デビューまで、紆余うよ曲折のあったコスモ・オナン(稲田万里)さん。悩んだ時はカフェに行くと言い、そこで待ち構えていた出会いとは。イラストレーターの小林ランさんが彼女の「運命の曲線」を描きます。

悩みって、ずっと尽きない。悩むことが趣味になっている人間はたくさんいるはずだ。私もそのひとり。趣味を超え、どうしようもなく悩んだ時、私は決まってカフェに行く。家の中で悩んでいても仕方ないからだ。

これまでの人生で最もカフェに通っていた時期があった。中央線沿線の不動産会社でOLをしていた頃だ。毎日毎日、家賃督促の電話をして、滞納者を励ます生活。明るく励ますのがポイントだ。どんどん上手くなる督促。高まる技術と増えない給料。どうやったら電話の向こうの人間が金を払ってくれるのか、そればかり考えて、気づけば終業の時間になっていた。

東京郊外の家までバスで1時間揺られ、今日も何も生み出さなかったな〜とため息をついて車窓にもたれ寝ていた。帰宅すると激務でなかなか帰ってこない同棲相手の、ゴムヒモがゆるゆるのパンツがたくさん積まれていて、「洗っといて」とメモが添えられていた。ちょうど燃えるゴミの日だった。捨てた。

人生一度きり。
クリエイティブな仕事をするためにカッコつけて上京したのに、このままでいいんだろうか。

そしてある日の仕事帰り、いつも通りバス停に立っていた。携帯が鳴り、友達から「ここのカフェいいよ」とメッセージがきた。軽い内容だが、なぜだか繰り返し画面を見つめてしまい、そのまま見過ごせなくて、定刻できたバスを見送り、そこへ行くことにした。身体は疲れているのに、行かなくてはならないと思った。

そのカフェには、恰幅かっぷくの良い、年齢不詳のしっとりとした雰囲気のオーナーがいた。その人の周りにだけ、気持ちのいい小雨が降っているようだ。店内は深いパープル色の壁に、アンティーク調の星座のモチーフがたくさんかかっていた。間違って占いの館に入ったかと思った。目だけをぐるりと動かし、隅々まで観察しつつ緊張しないように努める。オーナーから導かれるようにカウンターに座り、「友達から勧められて来ました」と言うと、ガハハと笑って「そりゃよかった。嬉しいね。いい日になるといいね」と大きな声で大きな身体を揺らし喜んだ。
そこから私の脈略のない愚痴っぽい話に、優しい眼差しを向けながら相槌あいづちを打ってくれた。占いもできるらしく、不思議な世界をよく知っているようで、人との出会いは偶然でなく必然であることや、高尾山で天狗てんぐを見た話をしてくれた。私はその不思議な情報を浴びられるだけ浴びたくて、「もっと聞かせてくれ」とお願いした。次から次へとすぐに消化できないけれど癖になる不思議さをつまみに、この店のオリジナルブレンドコーヒーにたっぷりとミルクを入れ、ひと口飲んでは甘さにホッとしつつ、抱えている停滞感に風穴を開けられたような感覚を持ち帰った。

数日後、悲しいことが重なって1人では抱えきれなくなり、あの不思議な爽快感を思い出したくてまたその店に行った。コーヒーを飲みながら、「この店で働いてみたい」とオーナーに言うと、「あなたは占い師になるべき」と意外な言葉が返ってきた。そこをなんとか、と言っても首を横に振って、私の今後の人生の「運命の流れ」をチラシの裏に書いた。信じたくないほど、大きく波を打った曲線であった。そういえば先日、捨てたばかりの緩みきった彼氏のパンツのゴムヒモも、このくらい細くうねっていた。

「こんな波線、いやなんですけど」
「その分、実りも大きいよ。あなたはどんどん違う人間に生まれ変わる」
「実りってなんだ〜」

「運命に浮き沈みがある人間ほど、人を励まさないとだめだよ。だから、あなたは占い師になって人を励ます仕事に一度ついた方がいい」とまで加えて言われた。素直であることが短所でもあり長所でもある私は、了承した。いつか占い師になるんだろう、と心の奥に予感があった。その時のコーヒーの味は、ミルクと砂糖を入れていなかったので、かなりシャープに喉に落ちていったことを覚えている。覚悟の味、か。

その後、確かに人生が動いた。おもしろそうな仕事の誘いがきて飛びついた。すぐにOLの仕事を辞め、新しい仲間ができ、同棲解消もし、新しい恋がはじまった。高円寺に引越し、髪をビビットなピンク色に染め、過去の自分を脱ぎ捨て、これまでとは違う人間になろうとした。そしてちょうど人手が足りないと聞き、知人の紹介で働いたスナックで、写メ日記を書き始め、ネットに公開した。それがきっかけで短編小説集『全部を賭けない恋がはじまれば』という本を出したのはシャープな味のコーヒーを飲んでから4年後の2022年のことだ。

実は3年前、占い師にもなってしまった。あのカフェのオーナー占い師が描いた、運命の曲線どおり、いいことも悪いこともあったが、まだ私は運命のアップダウンを楽しめている。

あの時いつものバスに乗って、カフェに行っていなかったら今頃どんな人生になっていたんだろうと、よく考える。予言された後、そのカフェには行っていない。きっと今日も誰かの背中を押しているのだろう。いつかまた会えたら「本当に占い師になっちゃいましたよ」と驚かせたい。どうやら未来はたくさんの可能性に満ちていることが、自分の体験を通して分かった。いま想像できない運命の行き先を、少しの行動が変えてしまうこと、その重要性を占いのお客さんに話すこともある。

だから私は、悩んだらカフェに行く。占い師も悩むのだ。そこでコーヒーを飲みながら、あの時の体験を思い出し、自分が本当はなにをしたいのか見つめる。この一杯を飲み終えるまでに、悩みきろうとノートに気持ちを書きつけることもある。悩みきった末に、えいっと前に進むしかないと、その勇気が出るまで悩んでしまおう。

心は常に揺れていて、同じ場所にいない。もし運命の曲線のカーブに振り落とされそうになっても、決して諦めないこと。私たちは死ぬ日まで、次の波が必ず待っている。それを信じて、今日もカフェに行こう。


コーヒーの湯気から未来の姿が見えそう


【エッセイ】
コスモ・オナン(稲田万里) https://lit.link/cosmoonan
福岡県生まれ。占い師、作家。2022年10月、note連載より書籍化した短編集『全部を賭けない恋がはじまれば』で小説家デビュー。デザイン学校卒業後、デザイナー、不動産会社、編集プロダクションなどに勤務し、スナックのママも経験する。不思議なものと巨大なものに惹かれやすい。好きな食べ物はじゃがいもとラム肉。

【イラスト】
小林ラン https://www.ranwonder.net
神奈川県横浜市生まれ。広告制作会社のグラフィックデザイナー等を経てイラストレーターへ。書籍装画から企業広告まで幅広く手がける。イラストレーションの専門誌における誌上コンペ「ザ・チョイス」に、2019年に2度入賞。かわいいゲームとビール、怪談と神話が好物。


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