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#129 自分は何者なのか

自分は何者なのか。
人間皆ほとんどの人は生まれてから名前をつけられる。

あなたは誰なのかと聞かれれば名前を。
ただ、あくまでもこの体に付けられたナンバリング。

死んだ後は体だけが残り、ただの入れ物となる。
お葬式に行くと毎回思う。入れ物だったのかなと。
悲しみよりも生前と比較した時、無機質にどこか人形のような姿に見えてしまい不思議な感覚になる。

そもそも自分達の身体も細胞分裂を繰り返し以前あった細胞はいつしか全てが入れ替わってしまう。
自分であり自分ではない物に変わっている。
そこでも気持ちや考え、感覚は変わらない。
やはり”魂”のような物があるようにしか思えない。

という事は、自分達は元々霊的なもしくは魂のみの存在で身体という入れ物を介して五感を会得、もしくは五感に絞り何かを成し遂げる為に生きているのかもしれない。

そう考えると改めて自分自身は何を行うべきなのか考えてしまう。やりたい事、ワクワクする事に全力を注いでいけばいいのだろうけれど、そういかない理由はどこにあるのか。

何かが邪魔をする。

お金、過去の記憶、さまざまな環境が要因で自分を活かせず自分の良さが分からず生きている。

もっと他の人と出会い、他の環境に自分を置かないと自分のいいところは分からないのかもしれない。

今のところ分かっているのは
他人には優しいと言われるくらい。

この優しいと言われる裏にはプライベートがものすごく暗いお陰で周りの人よりも自分が劣っていると無意識に思えているからだと思う。表に出ると謙虚だと。

自分の中では偽善だと思っている。
本心は言わず常に相手が波を立てないように濁しながらその波を打ち消す。

常に波のたたない環境を作りたいと思ってしまう。

こんな特徴をどんな職に活かせばいいのか
人の苛立った現場を沈めに行くような事も嫌だし…

やっぱりカフェのような来た人が落ち着いた気持ちになれるような場所を作るなどどこかに所属してはできない事にチャレンジしてみるべきなのか。

自分の体が尽きるまで何をしようか。

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