私の人生

今日から私の人生を綴っていこうと思います。
私は埼玉県のとある町に一人娘として
生まれました。
曽祖父、祖父母、父方の弟2人、
祖父の妹と大家族で各々が仕事をもちながら
農家も営んでいました。
昭和の時代なので跡取りを産むのが
嫁の勤めという世の中で女の子が生まれたこと
そして1人しか産めなかったということは
嫁としての役目を果たしていない
いくじない嫁と烙印を押されたようなものでした。
家の中は喧嘩が絶えませでした。
祖父と父
祖父と祖母
祖父と父の弟
父と母
いつも祖父が原因で家族の誰かと
喧嘩していたように思います。
そしていつもお客様が絶えず
人の出入りが激しい家庭でもありました。
大家族の中に21歳で嫁に来た母は
毎日のように泣いていました。
祖父母が権力を握っている家庭で
父は祖父に逆らえずイライラしながらも
その吐口が母にいっていたので
父と母の関係も仲良しとは程遠く
また母のストレスの吐口が
私に向いていたので
幼少期から私は怯えながら育ちました。
この歳になってみて
私は皆んなに愛されて可愛いがられていたんだと
理解できますがその当時はそう思えなかった‥
まず1番愛されたい母に愛されていない
なんで私にそんなに意地悪のするのか
理解も出来ずいつ捨てられてしまうのか
いつ母は姿を消してしまうのか
悲しみと不安の中で日々を過ごしていました。
母が泣いていれば私も悲しくなり
母の姿が見えなければ
何処へ行ってしまったんではないか不安になり
母と同じように誰にも見られないところで
毎日泣いていました。
そんなある日とうとう私が恐れていたことが
おこりました。
母が帰ってこなかったのです。
まだまだ小さな私は悲しみのどん底でした。
今でもその時ことは忘れられません。
少し前までは思い出すだけで
涙を流していました。
その時のことは今まで母に聞いたことは
ありません。
今ではもうどうでもいいと思えるようにも
なりました。
しかし母が家を出たいという思いは叶わず
1日で連れ戻されました。
昭和の時代そして親戚やご近所付き合いが
色濃くあった田舎での暮らしの中で
祖父母がいる長男の嫁として嫁いだ母には
離婚は許されなかったのでしょう。
その頃の我が家では世間体が全てでしたから‥
とにかくそこから私は
もう2度と母が家から出ていかないように
なんでも言う事をきき
沢山のお手伝いをこなし
時には訳わからずに無視をされる日々にも耐え
とにかくいつも何かに怯えながら生きてきました。

ここまで読んでくださりありがとうございます(^^)
続きはまた明日へ!



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