見出し画像

退職未遂

入社して1ヶ月が経った。
GW初日、SNSを見ると大学の友達や小中の友達の多くは帰省したり、旅行したりしているのをも見て、羨ましいなあと思いながら僕はいつも通りに9時に出社した。

この日は取材が朝から夜にかけて3件入っていて、3件目の取材が終わったのは20時を過ぎていて、それから職場に戻った。

日中は猛暑の中、スポーツの取材があって、夜は祭りの取材が1時間も長引いたし、体はクタクタだった。会社に戻ったのは20時半くらいで、定時はとっくに過ぎているし、会社も残業は推奨していないから、原稿は翌日に延ばして、今日はもう帰っていいものだと思っていた。

するとデスク(上司)が「写真展とお祭りは今日中に書いてね」と言われ、
僕は絶望を覚えた。
今から記事を2つ書くと家に帰るのは22時過ぎ・・・?
流石に嫌です、とは言えないから、間をおいて(少し不貞腐れていたかもしれない)小さく、返事をして机に戻った。

最近、取材のメモはスマホのタイピングでしているから文字起こしに費やす時間は消えたし、時短できるようにはなった。とはいえ、記事の書き方や構成はまだ慣れていないから、それなりに時間はかかる。僕は別室に移動して、ひとり必死に記事を書いた。

デスクがまだかまだかと5分おきに様子を見にくる。
顔には時より苛立ちが見えた。
二つ目の記事を書き終える直前に再びデスクが来て、
「間に合わなかった」と言われた。(明日の紙面には載らないということ)

その後にまだ慣れてないだろうけど締切は守ってもらわないと、とか
色々言われた後に編集長(上司で僕が一番嫌いな人)が僕のことに来て、「今日はもう遅いからタイムカード切って。残った記事は家で書く分は良いからとにかくもう帰って」と言われ、続けて言った言葉にハッとした。
「うちは残業代も出ないから、残業が労働監督署にバレるとまずいから後で時間は修正しておく」と言われた。これには唖然としてまった。「まじか、、?」と。
朝9時から22時半まで頑張ったのに労いの言葉ひとつもなかった。

それから家に帰ったのは23時を過ぎていて、シャワー浴びて、布団に入り、今日のことは忘れようと思ってすぐに寝ようとした。けど、寝れない。ついさっきの出来事がずっと脳内で残っている。気を反らせようとラジオを流しても全く寝れない。何回も先ほどのやりとりを反芻しては、上司に対しての怒りや自分のもどかしさや弱さ、会社の理不尽さ、僕の中の何かが爆発したような気がした。深夜2時を回った頃だろうか。

それはやがて強い意志となり「もう辞めよう」と思った。
1ヶ月で会社が嫌で辞めたなんて周りに言うのは恥ずかしいけど
そんなことよりもとにかく辞めたかった。
次に出勤した時に上司にやめますと伝えようと本気で思った。
会社の人たちは皆苦手で一緒にいるだけでストレスでしかない、相談もできない。
実際に退職する流れをネットで調べたし、意志はかなり固かったと思う。
そのあとこんな場所から一刻も早く離れて、地元に帰りたいという思考がやってきた。両親や祖父母、友達、地元の街並み、思い出の場所などが頭に思い浮かぶ。ますます帰りたくなった。みんながいる、僕を受け入れてくれる、地元に早く戻りたくなった。

仕事を辞めて、地元に帰った後はどうしようか。流石に実家には戻りたくないから、スーモで地元の1Kの部屋を探す作業までしていた。でも今辞めるとデメリットもたくさんあって、例えば今住んでいる部屋の違約金を払わなかればいけない、でも、それ以上に今の職場に対して限界だったし、今すぐにやめて、地元に帰りたかった。絶対、次の出勤日、辞めるというぞ!と決心して、寝た。そう思うと凄く気持ちが楽になって、今日のことなんかどうでも良くなった。多分3時過ぎくらい。

けど朝起きたら、昨日の辞めるという、決断は思いの外あっけなく消えた。
1日経って冷静になって考えると、
仮に辞めても、その後のプランが未定だった。入社前に2年は耐えて続けてスキル磨いて、そのあとはフリーで独立すると予定を立てていたけど、1ヶ月で新聞記者を辞めてしまっては、実績もないからフリーランスで取材するのも大変だろうし、取材や記事を書くスキルも身につけられていない。お先真っ暗だ。目標の2年は無理としても、1年はなんとしてでも耐えて、プランを形にしたいと思った。

人生、全て自分の思い通りに行くわけないし、社会なんか理不尽なことなんか沢山あるんだ。それは僕だけではなくて、みんな同じで、辞めたくても逃げたくなっても、耐えて、我慢しているんだろうな。頭ではわかっているんだ。今は下積みの期間。闘志は内に秘めて、自分のこれから先のための将来のために1年くらい絶対耐えてやる。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?