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蟹走り(掌篇小説)

背中合わせで腕を組み、かにばしりをしている人たちがいる。その腕を組んだようすは学生の頃に体操でやったものと似ているが、それに加えて蟹走りをしているのである。
 私がぼうぜんと見ていると、見知らぬ人から「ペアになってもらえませんか」と言われる。私は背中合わせで蟹走りすることなどしたくはなかったが、その人が素敵な人だったので、つい了承してしまう。
 私たちは背中合わせになり、腕を組む。相手の方が背が高く、肩が上へ引っぱられる。この人とペアになったのは失敗かもしれないと思ったときには、もう走り出している。
 私は一生懸命に地面を蹴る。背中合わせだが、私たちの顔は首をひねって進行方向へ向いている。相手の息づかいが聞こえる。
 いくつかのペアに追い越され、いくつかのペアを追い抜く。
「みなさん、速いですね」と言ってみる。
「そうですね」と返される。
「どこまで走るのでしょう」
「どこまでもです」
 私は、自分にそのような体力などとてもありそうにないのを心配する。しかし私が休めば、この人も足止めすることになる。力を振りしぼるしかない。さらに息があがる。やはり相手の方が体力がありそうだと不安になる。
 周囲を見回すと、ほかの人たちのようすも色々らしいのがわかる。露骨に苦しそうな顔をしている人もいるし、相手と愉しそうに話しているペアもある。口論している人たちもいる。
 私は、こうやってずっと背中合わせで蟹走りしなければならないのに、喧嘩などしたら大変だろうと考える。ただ、少し前から私たちも多少気まずい状況にはなっている。私がペースについていけていないのだ。
 前方を走っていた人が足を止めている。ペアを解消しているらしい。私はそういう選択肢があることに思いが及ばなかった。私はまだこの人とこのまま背中合わせで蟹走りしていきたいと感じている。幸い、今のところ解消を言い渡されたりはしていない。
 背中合わせで蟹走りをするのは、正直かなりしんどく感じる。もし、この人が素敵な人でなかったらと考えると怖くなる。別の人に声をかけられていたり、誰にも声をかけられなかった場合もあったはずだ。幸運なめぐり合わせに感謝している。嫌な人と背中合わせで蟹走りなど絶対にしたくはない。
 進行方向はわかっているので、少しのあいだ目をつむる。内省的になる。そして目を開ける。
 私はまた「どこまで走るのでしょう」と聞いてみる。
「どこまでもです」と同じ答えが返ってくる。

書籍代にします。