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今日も庭で一喜一憂

オークランドは晩秋。我が家にもともと植わっていたシダレカエデ(Acer palmatum、品種は不明)は、春、新芽のころから葉が真っ赤。そして、秋になって色が薄れて、緑になってから落葉する。光合成はどうしているのだろうと以前に調べたら、赤色に隠れているが葉緑素も備わっていて、光合成はできるらしい。

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ちょっと緑色が見えてきている。カエデの木は成長が遅いので、たいていの木はスクスクと伸び放題になってしまうオークランドでは、非常にありがたい。カエデやモミジはこちらでとても人気があって、我が家の庭を訪れる人は、このシダレカエデをたいてい誉めてくれる。

どうやって手入れをしていいのか分からなくて、ずっとほったらかしで、葉が落ちたらコンポストに入れるぐらいだったけれど、昨年の冬に枯れた枝や伸びすぎた枝を剪定してみたら、今年は葉がたくさん出て、なんだか元気。

今週は天気が良くて、仕事もひと段落で、あれこれと庭で作業をしている。火曜日に、愛用のFiskersの剪定ハサミ(こちらではsecatersと呼ぶことが多い)が見当たらなくて、「捨てちゃったかも」と思って、グリーンゴミ用のゴミ箱を見たら、なんと、移植ごて(こちらではtrowelと呼ぶことが多い)がでーんと捨てられていた。肝心の剪定ハサミは、その直前に作業をしていたコンサバトリーのテーブルに置かれていた。

水曜日は、ゴミ箱から救出された移植ごてをまたなくしてしまった。仕方がないので、夫から「すぐになくすから、買っておいたよ」と、もらった安い3本セットの最後の3本目の移植ごてを使った(すでに2本なくした)。翌日の木曜日、前日になくしたと思った移植ごては、花壇の前に置かれたガーデンチェアの上にポツンと置かれていた。見つかってうれしかったけれど、なんだか本当に情けない。

作業をしていて、どこかに無意識にぽいっと置いて、記憶になくて、何度もぐるぐる見回っても見当たらないことがしょっちゅうある。人間は、見えているものしか見えないものなのだ。非常にイライラするし、見つかったら見つかったで、「なんでこんなところに置くのかなあ」といやになる。さらに、数日してから、下手すると何年かしてから、植木の下なんかからひょいと出てくることがある。庭の妖精たちにからかわれているとしか思えない。

庭でもくもくと作業をするのは、私にとっては、たぶん、瞑想や座禅にも似た落着きをもたらしてくれる。人によっては苦痛のはずの草抜きだって、私には楽しい娯楽。のはずなのに、道具を置いた場所を忘れる癖はなんとか改善しないといけない。

気が付けばもう5月も後半。秋はどんどん過ぎ去り、まもなく冬がやってくる気配がしている。苗の植え替え、草ぬき、剪定など、やることは次から次へと出てきて、道具を探してうろうろする時間はないのだ。

いっそ、携帯電話みたいに、場所を知らせてくれる機能が付いたガーデニング道具を売り出してほしい。あるいは、ぽいっと置いたら、「ここではだめだよー」と教えてくれるとか。

庭では地植えのヘリクリサムがまだがんばってくれている。

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朝はまだつぼみ。

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日が差すとぱあと開いて、にぎやかに。かわいいなあ、とうれしくなる。

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初めて蒔いたディディスカスの芽が出てきた。ほかの種がどんどん発芽しているのに音沙汰がなくて、半分以上あきらめていたのだけれど、イギリスのサイトで「発芽に8週間掛かった」という記述を見て、待っていたら、2週間ほどで出てきてくれた。てっきり緑色の芽なのかと思ったら、先が黒くて赤色なので、最初はカビ?と思ったり。本当にディディスカスなのかという疑念もあるけれど、とにかく、芽が出てきてくれてうれしい。寄り目になって、じーっと苗床を見守ってしまう。

女優のオードリー・ヘップバーンさんの言葉が好き。

To Plant a Garden is to Believe in Tomorrow.

一つひとつ、小さなことに一喜一憂しながら、明日を信じて、今日ものんきに庭いじりができることに心から感謝。



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