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『あなたの「音」、回収します』 第19話 同世界線上のアリア(4)

「一曲、わかりやすく『自然』を題材にした曲をやりたいんですよね〜」

 選曲会議の際、関川せきかわに向かって、卓渡たくとはわかりやすくチラチラと流し目を送った。なんならウィンクも。

「気色悪いからやめい」とツッコむのも忘れずに。ギネスをあおりながら、関川は「どうせ言うんだろ、さっさと理由を吐け」とでも言うように、面倒くさそうな視線を返す。卓渡は「実はですね!」と身を乗り出し、「近い近い!」と再びツッコミを受ける。

「メンバーの皆さん、お名前に自然を表す字が入ってるんですよー。関川さんと音葉おとはさんの『川』でしょ。それに空とか山とか、海とか澤とか」

「海外勢はどーなんだよ」

「こじつけですが、ルシオは『輝き』、フェオドラは『神からの贈り物』。『自然』に通じると言えなくもないですよね。で、曲はこれなんですが」

 卓渡はいそいそと自作リストを取り出した。
 以前関川に大きく「✕」を書かれた曲目群の下に、新たな曲名が書き込まれている。

「こちらでいかがでしょうか、お代官様〜」

「この曲だったら、普通に『場面ごとの情景がわかりやすいから』とか、『音楽の授業で必ず勉強するから』とか、『合唱曲にもなっているから』とかいうアピールでよくねえ? メンバーの名前とかどーでもええわ。要するに、子供たちやクラシックをよく知らない層にもウケるに違いないと、そういう戦略なんだな?」

「ウケ狙いでも戦略でもないんですよ〜、僕がやりたいだけですよ〜」

「一曲五分程度って言ったのに、十二分はかかるよな?」

「そこをなんとか〜!」

 選曲会議イコール「関川へのプレゼン」になってしまったが、今回はなんとか採用してもらうことに成功した。
 理由は単純。この曲は、フルートとハープ、つまり可愛いJKコンビが目立つのだ。

 * * *

 フルートから始まり、複数の管楽器がくるくると遊ぶ水の流れのようにたわむれる。
 時折水しぶきが上がるように、ヴァイオリンとハープがピチョンと跳ねる。

 ひとしきり川の遊びを楽しんだ後は、いよいよ本流の旅がはじまる。
 作曲者が、百五十年近く前に音でえがいた川の情景を、今また、音廻おとめぐり楽団が観客たちと共にたどっていくのだ。

♬ベドルジフ・スメタナ作曲
 交響詩『わが祖国』より
 第二曲『モルダウ』

 合唱曲としてもおなじみの、チェコの民謡をもとにしたホ短調の調べ。憂愁ゆうしゅうでありながら、雄大さをも感じさせる、多くの人の心に残るメロディ。
 チェコを流れる母なる川のように。激動の歴史を人々と共に見つめ続けた、大いなる象徴のように。

 数多あまたの命を運ぶ水流は、他の地から流れ込んだ支流と出逢うことで表情を変えていく。
 運ばれてくる新たな命。新しい風、移りゆくにおい。
 森の方から勇ましい狩猟ラッパの音が響いてくる。
 川と共に生きる命の躍動やくどう。力強い喜びの歌があふれる。

 川のほとりに、可愛らしい民族衣装で着飾った村の人々の踊りが見えてきた。農村の婚礼の風景だ。
 ポルカの弾むリズム。演奏も、人々の心も楽しげに踊る。

 チェコ民謡の民族的な味わいを聴き取ることのできるこの曲は、イリアン・パイプスやチャランゴ、ギターなどによって、さらに民族的な不思議な味わいを響かせている。
 卓渡と音廻楽団が奏でる『モルダウ』は、農村を抜け、夜の世界へと流れ込んだ。

 * * *

 テンポを変えずに突っ走る『つるぎの舞』と違い、この曲は場面ごとにがらりと表情が変わる。
 自然の中に、全く同じ景色は存在しない。秒ごとに、風がよそおいを変えていくのだ。
 今、変わりゆく景色をえがくのは、一本の指揮棒と、指揮者自身の視線、呼吸。
 音符を導く指揮者と、音を届ける奏者が共に同じ歌を歌う。同じ世界を映し出す。

 夜の風景。フルートが絶えず歌う川のせせらぎの上で、高音の細いヴァイオリンに乗せて水の精が踊る。ドラマチックなハープの響きが、月の光で川を照らし出す。美しく幻想的な場面だ。

 卓渡の目には、月の光を受けてきらきらと無邪気に飛び交う卵たちの踊りが見えていた。
 よき音楽には、よき卵が宿る。指揮棒は、まさにそのためにある。
 すべての卵たちに、美しき音楽を。終わることのない、「命の音楽」を。

 夜を越え、再び主題の『モルダウのテーマ』が流れる。
 悠々ゆうゆうと歌い上げたテーマの後、突然曲調が変わり、流れの先に現れるは激動の『ヨハネの急流』。
 全楽器が不穏ふおんうなり、空気を裂くようにとどろく。バスドラムの連打に続いてシンバルが勢いよく打ち鳴らされ、ティン・ホイッスルが繰り返し警告音を鳴らし、ピアノはドラムと共に分厚い重低音を叩き続ける。

 思いきり音が出せる場面だ。メンバーのほとんどがこの場面を気に入っていることを卓渡は知っている。
 気持ちを乗せて、叫ぶ。吠える。
 最大の難所を越えてクライマックスに到達するも、休みなく次の場面へつないでいくのが、どこまでも『モルダウ』らしい。

 これまでホ短調だった『モルダウのテーマ』が、ホ長調に変化して現れた。
 雄々しく、輝かしく。喜びの声を上げるような、明るい旋律が流れる。
 まるで、他国の支配にあえいでいたチェコという国の、希望にあふれた未来を予言するかのように。

 曲は、川岸の岸壁に立つ、壮大な『ヴィシェフラド城』のテーマへと移る。
 美しい古城をのぞみながら、『モルダウ』の雄大な流れはエルベ川へと流れ込み、長かった旅を終える。
 静かに消えていく、川の流れ。
 最後、全楽器が威勢よく鳴り響き、壮大な曲の終わりを告げた。

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※スメタナ作曲『モルダウ』のタイトル表記について

 最近では『ヴルタヴァ』と表記されることも多い。
 作曲当時、チェコはオーストリアの支配下にあり、チェコ語を使えなかったため『モルダウ』(ドイツ語)表記が一般的だった。チェコが独立を果たした現在、チェコ人であるスメタナがチェコの風土を描いたこの曲は『ヴルタヴァ』(チェコ語)表記にするのが正しいと思うが、日本の大人の多くは『モルダウ』でないと曲を思い出せないと思われるため、ここではあえて『モルダウ』とした。
『ダッタン人の踊り』というタイトルで広く知られた曲が後に『ポロヴェツ人の踊り』という表記に少しずつ変えられていくなど(今作『風の翼の乙女』参照)、何百年にも渡って愛され続けるクラシック音楽は人類の歴史の変遷へんせんと共にタイトルを変えることもあるのだと、改めて感じる。
 今気になるのが、ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』の最終曲『キエフの大門』が、いつか『キーウの大門』という表記になるのかどうかということ。こちらは作曲者がロシア人なので変わらない説が有力なようだが、今後の情勢・世論によっては変えられることがあるかもしれない。

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