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『あなたの「音」、回収します』 第10話 音楽ダンディと音楽談義(1)

『今度こそ回収失敗するかもなあ』

 いきなり何言い出すんだ、この上司。

 回収場所へ向かいながら、回収人・音廻おとめぐり卓渡たくとは、相棒の黒玉ちゃんに向かって毒づいた。いや、黒玉ちゃんは悪くないんだけど。

『一言で言えば世渡り上手な爺さんだ。今までの人生、すべて自分が気持ちよく生きるために費やしてきたような。一流の音楽家には違いないんだが、その分岩のように頑固だ。今回ばかりは衝突不可避だろうなァ、「音楽性の違い」ってやつで』

「『音楽性の違い』って。バンドとかが解散するときの常套句(表向きの理由)かよ」

 黒玉ちゃん越しの上司には聞こえないように、小声でぼそっとつぶやく。

 自分にご立派な「音楽性」があるとは思えないが、衝突ケンカ上等、強敵(迷惑客)上等だ。必ずや任務成功させてみせようぞ。

 と、意気揚々と卓渡がやってきたのは、都心にあるアイリッシュ・パブ&カフェ。
 アイルランドの様々な料理や酒、週に一度のライブ演奏が楽しめる店だ。

「ギネス飲めるかなー。一応仕事中だからやめとくか。じゃ、トロットロのビーフ・イン・ギネス(牛肉のギネス煮込み)なんてどうかな~」

 時刻は夕方。店内は、カフェを兼用しているだけあって一般的なアイリッシュ・パブよりも照明が明るく、ゆったりと広い。内装もすっきりと、アイルランドゆかりの絵画や小物でセンス良く飾られている。女性が好みそうな店だ。
 実際、女性客が多い。ライブ目当てだろうか、テーブル席はほぼ満席だが、卓渡のようなおひとり様でも気兼ねなくカウンター席に滑り込むことができた。

 燕尾服はさすがに目立つので、今日はごく普通のビジネススーツだ。
 回収任務より先に、まずは債務者の音楽を純粋に楽しみたい。そのためのモブ装備だ。
 ちなみに今日の黒玉ちゃんは、シンプルな白エプロン装備。本人(本卵)の希望。カフェ用のコスプレなのか、オカンなのか、路線の判別が難しい。

 お目当てのビーフやパイで胃袋が温まった頃、店内の演奏スペースに、楽器を抱えた奏者たちが登場。期待に満ちた拍手で迎えられる。

 バウロン(打楽器)。
 アイリッシュ・ハープ。
 アイリッシュ・フルート。
 ティン・ホイッスル(縦笛)。
 イリアン・パイプス(バグパイプ)。
 全員女性奏者。しかも全員美人だ。

 最後に、フィドル(ヴァイオリン)。
 唯一の男性だ。しかも最高齢の。

 彼が今回の債務者、そしてこの店のオーナー。
 元有名ヴァイオリニスト、関川せきかわ百尋ももひろだ。

「――いきなりハーレムかよ!」

 * * *

 打楽器バウロンが、雄々しくリズムを響かせる。初めは静かに、正確に。徐々に高まりを見せる。

♬アイルランド伝統音楽
 『O'Sullivan's March』(オサリヴァンズ・マーチ)

 バウロンのリズムに乗せて、イリアン・パイプス(バグパイプ)によるメロディが始まる。他の楽器が順番に加わり、その度に音量を重ね、少しずつ曲を盛り上げていく。やがてすべての楽器が揃い、ユニゾンする(同じ旋律を奏でる)。

 アイルランドの伝統音楽は、すなわちダンスの音楽だ。
 様々なダンスリズムが長い年月を経て、様々な地方・国のリズムを吸収し、多様化を見せながら受け継がれてきた。

『O'Sullivan's March』は、タイトルにマーチとあるが、今演奏されているのはマーチのリズムよりももっと速く、シングル・ジグのリズムに近い。
 空気から、足元から伝わる、8分の12拍子の力強いリズム。聴いている方も、足でリズムを取りたくなってくる。
 他の客も、自然に手拍子・足拍子でリズムに参加し始めている。黒玉ちゃんも、肩の上で体を揺らして楽しそうだ。

 すべての楽器の演奏レベルが、文句なしに高い。おそらくオーナー自身が選び抜いたメンバーなのだろう。
 オーナー・関川の技術はその中でも飛び抜けていた。
 どんなに速く弾いても濁らない、澄みきった音色。リズム担当の打楽器バウロン奏者までも牽引けんいんし、メンバー全員を支える安定のリズム。
 ロール、トリプレットなどの、アイルランド音楽特有の細かい装飾も難なく弾きこなす。

 観客と一体となり最高潮の盛り上がりを見せた曲は、やがて徐々にメロディから楽器が抜けていき、音量を下降させていく。最後にはバウロンのみとなる。

 曲を通してずっと同じリズムを維持してきたバウロンが、力強く最後の一音を打ち、曲が終わる。
 拍手と歓声が、音楽に代わって店内を埋め尽くした。

 拍手が鳴りやまぬうちに、ヴァイオリニストが一歩前に出た。
 うやうやしく一礼すると、突然弓を振り、演奏を始める。

♬アイルランド伝統音楽
 『John Ryan's Polka』

 映画『タイタニック』に登場して有名になった曲だ。
 映画の中に、主人公のジャックとローズがこの曲に合わせてタップダンスを踊るシーンがある。

 関川は、スピードに乗せたこの曲を弾きながら、自身も軽快にタップダンスを始めた。ひときわ大きな歓声が上がる。

 演奏もダンスも、少しの乱れもない。どこまでもアイルランドのポルカだ。
 盤石ばんじゃくのリズム感。このヴァイオリニストのレベルは、一流オーケストラのコンマス(コンサート・マスター)やソリスト顔負けではないだろうか。

 街中のパブに、珠玉の音楽がひょいと紛れ込んでいたりする。
 これだから、ライブ演奏はたまらない。

 * * *

 怒涛どとうの勢いで曲が終わり、ヴァイオリニストが軽やかなステップで後ろへ下がると、代わってバウロンを叩いていた女性が前へ出た。
 楽器を持たずに息を吸う。今度は彼女がヴォーカルを務めるらしい。

♬スコットランド伝統音楽
 『The Lass of Glenshee』(グレンシーの娘)

 スコットランド発祥の曲だが、他の国へ伝わる際に様々に変化した。同じ歌詞でも、スコットランドとアイルランドではだいぶ違う曲となっている。
 アイルランド版は、アイリッシュ・トラッド(アイルランド伝統音楽)の代表的バンドのひとつ、「アルタン」の楽曲が象徴的だ。

 人々を包む込むような、アイリッシュ・ハープの温かな調べ。その上に、澄みきった高音の女性ヴォーカルが響く。どこまでも透明で、胸に迫る、美しい歌声。


 And my love she's as fair as that morn on the mountain,
 When I plucked me a wild rose on the hills of glenshee.
(愛する彼女の美しさも、あの日の山の暁のごとく
 わたしがグレンシーの丘で野の薔薇をつんだ、あの日のまま)

 観客の中に、感動のあまり目を潤ませて震えている女性がいる。
 卓渡がふとそちらに目をやると、見覚えのあるおさげの眼鏡少女が、ふるふると涙をこらえていた。
 彼女のとなりにいるブラウン・ボブの少女が、一瞬目を丸くした後、卓渡に向かって笑いながら軽く手を振った。
 高校のオーケストラ部に所属している、相澤あいざわ琴名ことなと、空山そらやま歌希かのんだ。

 あの二人までライブを聴きに来たのか。
 おとなしめに見える琴名の方が、感極まって今にも泣き出しそうだ。
 琴名自身、高校でハープを演奏している。オーケストラで使うグランド・ハープよりも小型で優しい印象を持つアイリッシュ・ハープの演奏には、それだけ思うところがあるのだろう。

 * * *

「めちゃくちゃ感動しました~! どうしよう、わたし、アイリッシュやりたくなってきました!」

 予想通り、琴名はすっかり心酔してしまったようだ。
 
 ライブ終了後、関川はテーブル席で琴名・歌希の二人と談笑を始めた。ちょうど卓渡のすぐそばだ。
 会話の内容が聞こえるので、卓渡はそのまま黙って耳を傾けた。歌希はちらっと卓渡に視線を送ったが、すぐに琴名と関川に意識を戻す。

「関川さんの演奏も、もちろんめっちゃ凄かったけど! 歌も素敵でした! すっごく透き通ってて、純粋で……わたし、ああいう歌に弱いんです~」

「あれなー。内容は、若いボンボンが羊飼いの娘に一目惚れして、口説きまくって、強引に花嫁にしてしまう話だよ」

「えぇ~!」

「まあ安心しな、最後はちゃんと幸せになるから」

「よかったー。つまり『俺様と結婚しろー!』って歌だったんですね。それなのに、あんなに悲しげで、涙が出そうなくらいに繊細だなんて……。日本語じゃこうはいかないですよね。やっぱり英語ってだけで雰囲気めちゃくちゃよくなるー、ちょっとずるいなー」

 興奮気味の琴名の横で、歌希は笑いながら関川に話しかけた。

「じーちゃん、今日は呼んでくれてありがとー。すっごく勉強になったよ。で、話って何?」

 どうやら、関川は歌希の祖父にあたるらしい。そこまでは事前調査が及ばなかった。
 いきなり南米のバンドに突撃するような、物怖ものおじを全くしない勇猛果敢さは祖父譲りのものだろうか。

 やや小柄で、愛嬌のある白髪の老人。どことなく歌希に似た、くりっとした瞳で、関川は二人を見回した。

「二人とも、アイリッシュが気に入ったか。そんじゃ、二人もやってみんか?」

「え!?」

「できれば週一で、今日みたいなライブを定期的に続けたいんだが、あいにく奏者が足りなくってな。フルートとハープならちょうどいい。たまにちょこっと、出られる時だけでもいいんだけど、ダメか?」

「うーん、どうしよう。やってみたいけど、部活のコンクールが近いからすぐは無理だなー。それにあたしたち、アイリッシュ・フルートとアイリッシュ・ハープじゃなくて、普通のクラシックのフルートとハープなんだけど」

「かまわんかまわん。ワシのコレだって、フィドルと呼んどるが普通のヴァイオリンだしな」

 関川は、演奏用スペースに置かれているヴァイオリンケースに親指を向けた。

 大雑把おおざっぱに分けると、クラシックでは「ヴァイオリン」。それ以外の音楽では「フィドル」。
 呼び名が違うだけで、楽器自体はほぼ変わらない。ジャンルによって調や奏法が変わるだけなので、楽器の流用は可能なのだ。

「だから、元ソリストの関川さんも、ご自身の楽器でアイリッシュの演奏が可能ってわけですよね」

 思わず顔を出した卓渡に、三人が目を向けた。

「割り込んですみません。私、『卵貸付業エッグ・レンタルサービス』の音廻卓渡と申します」

 関川が、意味ありげに卓渡を見上げ、ニィッと口角を上げた。

「あんたが『命の回収人』か。孫から話は聴いとるよ。なんでも、自分の楽器で演奏をすればいいってことらしいな」

「ご存知でしたか。話が早くて助かります」

 卓渡は丁寧に頭を下げ、勧められるままに同じテーブルの席に着いた。

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