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「消えたボーナス」というお話し

「お前らには一銭も残してやんねぇからな」

これが父親の口癖だった。
父親は普通のサラリーマンで、普通の学校を出て、普通の会社に就職し、普通の女房と結婚し、普通の子供を普通に育てている。
ただ一つだけ、お父さんはトレーダーだったのです。
なんて、昔のアメリカのホームドラマみたいな紹介をしてしまったが、父親はサラリーマンをやる傍らで、株やら為替やらを取引しているようだ。

家庭にはきちんと金を入れているし、一人息子である私に対しても大学までいかせてもらっているので、全くもって迷惑はかかっていないのだが、その株取引の収支を見ると、家族みんなが「株なんかやめたら?」と口をついてしまうのだ。
それを受けて、カチンときた父親がいうのが冒頭のセリフである。

そんな父親の言葉をみな冗談とも本気ともとらずに、ただ、右から左へ聞き流していた。
しかし、そんな僕らの認識は誤っていて、父親の本気を後で僕らは思い知ることになる。

ある6月の平日、僕は大学にいき、学食でカレーライスの食券1枚と大盛りの食券を3枚買って受付のおばちゃんに渡していた。
カレーライス350円、大盛り50円なのだが、大盛りを3枚渡すとカレーライスが二杯になるという、謎のシステムがうちの学食にはある。
なんでも、わが校の学食に昔から伝統としてある注文らしい。
もっとご立派な伝統があって欲しいものだが。

おばちゃんが「ほい、いつものね」と言いながら出すカレーライスにはいつも肉が多目にもられている。
絶対このおばちゃん、僕に気がある。
年の差ざっと30くらいあるから勘弁してほしいのだが、その肉大盛りを断るすべを僕は知らない。

そんなふうにしてゲットしたカレーライス二杯を食べようと席についた瞬間に携帯がなり始めた。
着信を見ると母親からだった。

母親は慌てていて何をいっているのか要領を得なかった。
普段おっとりしている母親がここまで焦るのも、滅多にない。
なにか緊急事態なんだろう。
「まぁ、落ち着きなよ」
この一言で少し母親はおちついて、ようやく意味のわかる文章を一言伝えてきた。
「お父さんがね、死んじゃった」

なんでも、会社で仕事中にトイレから返ってこないなと思い、同僚が調べにいったところ、個室で真っ白な灰になったような父親がいたそうだ。
何に燃え尽きたんだろうか?

死に方もなんだか父らしいな、と僕はそれほど心を乱されることなく母親にすぐに帰るよと伝えてから、カレーライス二皿を少しいそいでかきこんだ後に午後の授業を欠席して、家に帰った。

父親は病院にいて、そこで顔をみたが、驚くほど安らかな、というよりもなんかうっすらと笑みを浮かべている安らかな顔だった。
母親は今は落ち着いていた。
僕も母親も悲しさはなかった。
父の死因は脳溢血ということだった。
トイレで死んだというのも、なんとも父らしいな、と思った。

その夕方に証券会社から電話があった。
母親が対応したのだが、どうも父が信用取引で買っていた株が値下がっているらしい。
どうもそのせいで追加保証金というやつが必要になるらしい。
口座から自動で引き落としになるが、足りなければ現金を4日以内に渡さなければならないんだとか。
母親は仕方がないからその株を売ってくれと伝えたが、父本人でなければ注文はできず、死亡したときは4日間取引はできないらしい。
不便な話しだが、相続とかの問題でそう法律で決まっているらしい。

翌日、母親は葬儀のことで忙しいので、僕が銀行に代わりにいったのだがどうも銀行も同じらしく、口座名義人の死後4日は家族と言えど、お金を動かすことができないらしい。
しかし事情を銀行の人に話すと、残高だけは教えてくれた。
どうやら証券会社の人が言った金額は引き落とされても大丈夫なようだ。

帰って母親にそのことを告げると「おかしいわね。この口座にそんなまとまったお金があるなんて・・・あっ!もしかして、ボーナスかしら?」
ちょうど時期的にもボーナスの支給日なのだとか。

しかし、そのボーナスを僕らは動かすことができない。

そして夕方。
また証券会社から電話があった。
また追加保証金が発生したらしい。
金額を聞くと、まだ父のボーナスで足りるようだ。

そんなことを4日繰り返し、株が売れるようになるころには、父親のボーナスはすっかりなくなっていた。
なくなるだけで済んで、マイナスになることが無かったのが不幸中の幸いだ。

僕はこれは父親の最期のいじわるだったんじゃないかと思っている。
他の相場は上がっているのに、父がかった株だけ不自然に下がっているんだ。

しかもきっちり父のボーナスがなくなるだけ下がって。

「お前らには一銭も残してやんねぇからな」

「本気だったんだね」
父に一言かけながら、僕は父を見送った

※この物語はフィクションで、金融機関の制度などは物語の都合よく設定しました。

※私の勘違いで、お題の締め切りを過ぎてしまいましたが、せっかくなので投稿だけしました。

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