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『オウム的!』小林よしのり・竹内義和(1995・ファングス)2

幻覚、幽体離脱、金縛り等の所謂不思議体験をどう扱うかについて。

(体験後に)これがある時、瞬間で一気に解けて「ウワーびっくりした!」っていって油汗一杯かいて、身体がようやく動くようになって、意識がちゃんと戻るようになって、その時に「今のは何だったんだろう?俺は神秘体験をしてしまった!!」という奴と、今のは何だったんだろう?と思うぐらいで止めておいて後々にいろいろな書物を見た結果、ああ、あの時の感覚に合点がいったという奴。
実はこの二人の人間には決定的な差があるわけ。どんな差があるか?っていうと、片方は神秘体験というものをどうしても信じたい人間。自分は、神秘体験をしたということを特権化したいんよね。要するに自分はこういう体験ができる、自分は他人にはない経験をしたっちゅうね。そういう人間は先ずそれを人にしゃべってみるわけよ。そうすると皆ちょっと違う目で見る。奇異な目で見る。そうすると自分は特殊な人間じゃなかろうか?と思っていってしまう。特に自分に才能がなかったり、特徴がなかったり、個性がないとか言われてる人間に限って「自分には個性がある、特別な人間だ、神秘体験ができる人間だ!」といって自分を肯定していく材料にしていくわけやね。そういう人間がやっぱり神秘体験という思い込みに従う。自分は他の人より劣っているんじゃないやろうか?とか自分は大したことのない人間じゃなかろうか?っていう人たちをそういった思い込みが全部救っていってるんよね。神秘体験とか『ムー』とかに群がる、物凄くオタク的分野の人たち、そういう人たちは実際救えんもんね。現代社会では。そういう人たちをどう救うか?せいぜいが神秘体験とかそういうものにしか自分の特徴とか存在意味を見出せない人たちなんだからーーー(そろそろ中断)

よしりん先生が斬る!

キョーレツに辛口だけど、なんて鮮やかな言語化だろうかと思った。
しかし言い方・・・・(^^;;  

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