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小説「アイムシリウス。」(11)

『慢性鼻炎の私』
監督:水田麻子
主演:白羅真鳳
(第1話より抜粋)
両方の鼻にティッシュを詰めたまま、不機嫌に公園を歩いている清子(さやこ)。目の前のベンチで、楽しそうにイチャイチャしているカップルが目に留まる。
ナレーション(霧島清子、35歳独身。恋も仕事も、上手く行かないのにはある理由があった。彼女はそう! 慢性鼻炎である!)
清子「ズビッ(鼻をすする音)」

「芸歴3ヶ月で台本をもらえるなんて特例中の特例なんだから。周りの人たちにちゃんと感謝すんのよ。」
 マネージャーの大空弥生(オオソラヤヨイ)は、台本をニヤニヤ眺めている燈孝之助(アカシコウノスケ)にそう言い聞かせた。
「わかってるって。ありがと! 弥生さん!」
 劇団電気ショッカーはまだ歴史の浅い芸能事務所であり、キャスト待遇で仕事を取れる所属タレントというとまだ2人ほどしかいなかった。そんな中、事務所付きの映画監督であり、弥生の夫でもある当障(アタリサワリ)が、ある日居酒屋でたまたま見つけて来たのがこの燈孝之助であった。その居酒屋は下積み中の役者がアルバイトをしに集まっている店であり、活きのいい若手俳優を発掘しにくる業界関係者も中にはいた。突然映画監督から才能を見出されたとあって、孝之助はすぐに、とてもわかりやすく調子に乗った。事務所に所属を決めるや否や、みるみる態度が大きくなっていくのを目に余ると感じた弥生は孝之助の性格を矯正しようと試みるが、一方の当はというと「調子乗れるようなうちは乗らしときゃ良いだろ」などと言って手を貸さず、結局ほとんど何もできずに今まで来てしまった。
「それで、相手の女はどんなヤツだ? 芝居できんのか?」
「夏来こころ(ナツキココロ)さん。5歳から女優をやってる大先輩よ。あんた絶対失礼な真似しないでよ!」
「5歳から始めて芸歴3ヶ月の俺と同じ役かよ。世知辛ぇ〜」
孝之助はまだ見ぬ夏来こころという女優の見た目を勝手にモンタージュしながら、その隣て自分が初めてカメラの目の前で芝居する姿をイメージし、期待を膨らませていた。
 孝之助とこころに与えられた役柄は、主人公の視線の先の公園のベンチでイチャイチャするカップルの役であった。特にセリフのないエキストラではあるが、通常とは違い明確にカメラを向けられる役どころであるため、特に「狙い」のエキストラと呼ばれる仕事である。とにかく作品に出演することを一旦の目標としているエキストラにとっては、一つ段階の進んだ仕事であると言えるだろう。

 2020年11月7日、大きな公園の近くに公民館が建っており、ここが本日の撮影の支度場となっていた。集合時間の30分前に到着した孝之助は、撮影現場となる公園の様子を見ながら、落ち着きなく体を動かしたり、発声練習したりしていた。
 そして15分ほど経った後、黒髪ロングで小柄の女性がやってきた。美人であるその女性は、どう見ても通りがかりの一般人ではなかったので、共演する相手役に違いないと断定した孝之助は、ズカズカと彼女に近づいて行った。
「夏来こころ?」
「え? はい。あ、今日のお相手の方・・・ですか?」
「燈孝之助。よろしく」
「あかし君!はじめまして、夏来こころです。名前知ってくれてたんだ! うれしい!」
「事務所から聞いて来たんだ、子役からやってるベテランだって」
「そうそう、なんだかんだ結構年数行ってます。あかし君は?」
「3ヶ月」
孝之助は待ってましたとばかりに、渾身のドヤ顔で言い放つ。
「3ヶ月?」
「芸歴。3ヶ月」
「えー! 始めて3ヶ月でもうこんな狙いの案件? すごい!」
 そして、こころは何か気配を察して公園の方に目を向ける。すると奥の方から、肩掛けバッグに養生テープをぶら下げた、撮影スタッフと思わしき人がこちらへ走って向かって来るのが見えた。孝之助も続いて、その人物を視認する。
「まぁ。じゃ、よろしく」
「うん、よろしくお願いします! へへ、楽しみ」
孝之助はさっさと支度場である公民館の方へ歩いていく。こころは歩いていく孝之助をしばらく見送ると、その背中に向かってふっと笑った。

 手狭な控室へと案内された孝之助とこころはしばらく2人きりの時間を過ごしていた。少し喋っては沈黙があって、また少し喋ってという、ぎこちない流れを繰り返していた。その間こころはしきりにスマホで誰かとメッセージのやり取りをしている様子で、孝之助はそれが気になっていた。
「さっきからなんか、誰かと喋ってんのか? それ」
「あ、うんそう。彼氏!」
「へ? 彼氏?」
「うん、付き合って芸歴引く5年だから、8年! 写真見る?」
「見ねぇよ。なんで野郎が野郎の写真見なきゃいけねぇんだよ」
「そっか」
「夏来さんってさ、ひょっとして仕事より男優先な人なの?」
「優先・・・さぁ、どっちか妥協しなきゃいけないほどまだ忙しくないからな。わかんない」
「でも、仕事優先でしょ」
「え?」
「役者の仕事と彼氏とのデート天秤に掛けてさ、彼氏を取ってるような奴、絶対売れないじゃん」
「それは、うーん。どうかな」
「単純な話だろ。1秒でも長く芝居のこと考えてる奴が勝つ。じゃないとおかしい。もちろん才能とかセンスとか、そういうのは持ち合わせてる前提でな」
「私は」
こころが何か言いかけた時、控室のドアをノックする音がして、スタッフが入って来た。
「もうすぐお出番となりますので、諸々準備の方よろしくお願いします!」
「了解です、ありがとうございます!」
助監督が部屋を出た後、こころはふぅっと、呼吸で自分の心のわだかまりを吐き捨てるように、肩から力を抜いた。
「じゃあそろそろ! 今日のお芝居どうする? 何かアイデアあったりする?」
「・・・イチャイチャカップルだろ?方向性は決まってる」
こころが急に孝之助に近づいていく。孝之助はとまどい、後ずさりする。しかしこころは歩みを止めず、かなり近い位置まで迫った。
「恋人の距離感」
「・・・今やらなくても」
「本番はもっと近いでしょ?」
「いや」
孝之助の目算で、2人の距離は1メートルほど。それでも、部屋の隅に追いやられた孝之助の視界からは、手狭だったはずの控室が広々と感じられるほどだった。
「イチャイチャにも色んな形があるだろ。あえて距離感を保つ方向性で行こう。夏来さんはそんな感じで良いよ。俺が調整するから」
「イチャイチャカップルなのに距離感? ・・・まぁ、いっか」
 2人は折り合いをつけないまま控え室を後にし、現場となる公園のベンチへと向かった。

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