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小説「アイムシリウス。」(9)

第二話 と、力無く膝を付き、天を仰ぐ月見。

 全国展開しているその大手カフェチェーン店の店内では常に客が入れ替わり立ち替わり、カフェと言えど長時間寛ぐにはもはや適していないかもしれない。そこの手狭な2人掛けテーブルには、時折太い眉を動かし相手の様子を伺う男、燈孝之助(アカシコウノスケ)と、とにかく早く帰りたいなと思っている夏来こころ(ナツキココロ)が座っていた。
「なぁ頼む! 俺とやろう!」
孝之助の声が周囲の客に大きな誤解を招き、縮こまるこころ。
「いやだから! 私には一緒に出たい人がいるから。今は答え出せないんだって」
「いつまで待てば良い? このほら! カップル募集の締切! 来週だぞ。間に合うのかそいつは」
孝之助は手元のスマホ画面の、「男女カップルでの応募も歓迎!優先して選考する可能性あり。(応募締切:4月末日)」という文章を示した。
 孝之助とこころは以前に撮影現場で出会い、カップル役を演じたことがある同級生の俳優仲間であった。その時の演技が現場にいたプロデューサーの目に留まり、ちょっとした話題になっていたということを、孝之助は事務所の社長から聞いていた。そこに今回、同じプロデューサーが企画するカップル役のオーディションの話が舞い込み、カップルでの応募をすれば優遇されるという話まであったため、孝之助の事務所ではもはや孝之助たちを狙ったオーディションなのでは、という話まで出ているほどだった。そして孝之助は、何としても夏来こころを説得して来いと事務所に言われ、今日を設けたのであった。
「大丈夫、私がちゃんと月見に言えば良いだけの話だから。また締切のちょっと前までには連絡するから。それじゃ」
こころは足早にカフェを後にした。

 瀬名月見(セナツキミ)は目覚ましを止めて、すぐにむくりと起きた。そのままベッドの端に座ると、枕元に2つ置いてある携帯のうち地味な方を手に取り確認する。いくつかの未読メールや、todoリストの更新を見てから、おもむろに立ち上がってスーツに着替える。一通りの支度を終えてリビングへ降りて来た頃には、良い匂いのする朝食が既にテーブルにセットされている。すでに食べ終わっているのは父と妹の分だろうか。月見は朝食を平らげて、時間に余裕を持って出社する。職場では午前中にデスクワークをこなして、昼休憩を挟んで午後からは上司と一緒に営業周りに行く。3社回るともう定時を過ぎるので直帰する。夜ご飯を食べて、風呂に入って、寝る準備を整えて、自室に戻る。また地味な方の携帯を確認すると、未読メールとtodoリストがいくつか貯まっている。目から携帯を外して空間を見つめ、月見は一つため息をつく。そして眠った。

 2021年5月4日。ゴールデンウィークの真ん中、月見とこころはデートでイタリアンレストランへランチに来ていた。異なる業種に就く2人が終日予定を合わせられる日は珍しかった。
「月見あのさ、これなんだけど」
こころは、以前孝之助に勧められたカップル役オーディションの話をした。4月末に締め切られたカップルでのエントリーは結局せず、孝之助に断りの連絡を入れていたのだった。こころは彼女として、別の誰かとカップルの役を演じるかもしれないことを報告する目的で、月見に話した。

【カップル役オーディションのお知らせ】
CCT系列新作映画のサブキャストオーディションを開催します。
恋愛リアリティショーで急接近するカップル役の募集となります。

応募締切:5月13日(木)23:59まで
選考方法:書類選考、およびオーディション
オーディション日程:5月23日(日) ※時間は書類選考通過者にお伝えします。
撮影詳細:未定
募集対象:男性・女性ともに10代〜20代
※ 男女カップルでの応募も歓迎!優先して選考する可能性あり。(応募締切:4月末日)

エントリー方法について…

「カップル。恋リア。はぁ。すごいね」
「行っても良い?」
「あ、もちろん! 頑張って」
「ん」
特に話を広げる理由も無く、こころはスマホを取り下げる。しかし、意外にも月見の方が話を続けた。
「カップルでの応募、優先って。それで出るの?」
「え?」
「いやなんか、書いてなかったっけ?」
月見がエキストラ募集の広告をそこまで詳しく見ているのが意外で、こころは一瞬呆気に取られた。
「いや、そっちは出さなかった。普通に1人で行くよ?」
「そなんだ」
「月見さ・・・」
こころは月見に次の質問をしようとしたが、怖くなってやめた。月見ともう一度役者の仕事ができる僅かな可能性よりも、今の楽しい時間を守りたい気持ちが勝った。
「いやいや! やっぱなんでもない! そろそろお腹落ち着いてきたかな」
こころは一方的に話を切り上げ、店を出るよう月見を促した。
 少し前、一緒に行ったエキストラの撮影現場で月見が「事故」を起こして以来、こころは月見を撮影現場に誘うことはおろか、芝居の話をすることも無くなっていた。自分の好きなものの話を共有できないことに物足りなさは感じていたが、月見に嫌な思いをさせるくらいなら必要ないと思っていた。

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