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小説「アイムシリウス。」(2)

 学校からの帰り道。瀬名月見(セナツキミ)と夏来こころ(ナツキココロ)は恋人同士であるが、手を繋いだりはしない。とはいえ逆に、別々で帰ることもしない。それが公共の場で取るべき2人の距離感だと、お互いが共通認識を持っていたのだった。
 こころとしては、当然もっと恋人同士としての時間が欲しいと願っていた。しかし一方で、芸能人としてのプロ意識を持つ彼女にとっては、異性との関わり方を考えることもまた、必要な努力であった。なので月見からの提案は案外すんなりと受け入れたし、月見は自分の立場を考えてくれているのだと思うこともできた。もちろん、月見にそんな感覚はこれっぽっちもなかった。
「そのココビールってさ、東証1部上場企業でしょ?大変そーだけど、月見大丈夫なの?」
月見とこころは高校卒業後の進路が既に決まっていた。こころはかねてより籍を置いていた芸能事務所へ正所属となり、4月から芸能活動に専念することとなっていた。月見はココビールという会社の営業部に配属されることになった。コミュニケーションが好きではない月見であったが、面接官の目からは営業マンとしての適正があるように見えたようだ。
「まぁとりあえずちゃんと残業代つくし、福利厚生もしっかりしてる会社みたいだから、当面は大丈夫なんじゃない。」
「なんで他人事なのよ。会社はよくてもさ、ほら、パワハラ上司とかいるかもしんないよ?「瀬名君、この書類全部今日までに頼むね?あと会議のセッティングと資料作成もやっといて。な・る・は・や・で!」」
「…辞めようかな。」
「早っ!まだ始まってもないのに!」
いちいち表情が忙しいこころの顔を見て、月見は感心する。こころは両親の薦めで5歳から芸能活動を始めており、それから今まで、仕事を辞めたいなんて愚痴は聞いたことがない。こころは昔から、自分の人生でやるべきことがわかっているようだった。
「こころってやっぱお芝居上手だね。」
「でしょ?もっと褒めて。」
「お芝居上手!」
「それは嘘だな。」
「え」
「ふふ、何でもない。あ!!!」
「何!?」
こころは突然立ち止まってスマホを取り出し、検索した画面を月見に見せた。

【エキストラ募集のお知らせ】
新連続ドラマ『裁定者Second』のエキストラ募集です。有名俳優多数出演!

日程:3月27日(土)
時間帯:10時〜19時予定
場所:東京23区内(追って詳細お知らせします)
募集対象:10代〜30代前半に見える男女
演技経験の無い方でもご参加いただけます!

今回の募集は、主演・勾坂雅弥さんの出演シーンとなります!

エントリー方法について…

「裁定者セカンド…」
「そう!月見の大好きな勾坂さんが主演!本物見られるって!」
「『裁定者』って3年前の7月期に放送されてから勾坂雅弥ファンの間では伝説的な人気になってたんだよ。最近髪型が『裁定者』の白金誠示仕様になって、その頃情報解禁前だったけど、そっから徐々に憶測広がっていって、極めつけにはSNSの投稿で「今日はお堅い仕事をやってきました」って白金のスーツっぽい衣装着た姿が公開されて、でも襟とかネクタイとかのデザインが微妙に違って…」
「うん、わかったわかった。そのドラマの撮影現場!観たいでしょ?」
「観たいけど、勾坂さんとお近づきになるなんて恐れ多いですよ…」
「ふっ、甘いなっ!一般公募のエキストラって百人規模だし、お近づきになんてなれないって。遠くからちらっと見えるだけ。それにお芝居中は見れないしね。」
「そうなの?」
「通りすがりの一般人にガン見されてたらこわいでしょ。」
「そうか。遠くからちらっと見るだけ…」
月見はちらっとこころの顔を見た。期待感から、ただでさえ大きな目がますます輪郭をはっきりさせている。こころからのこういう「表情による説得」によって月見は、今まで一体いくつのお願いを聞かされてきたかわからない。
「まぁじゃあ、卒業の記念に行ってみようかな。」
「ほんと!?やったー!明後日だからね、こっちでエントリーしとくから。うわー、楽しみ!初めて月見と一緒に現場行けるんだ。」
こころはこれまでも幾度となく月見をエキストラの現場に誘っていた。普段は学校が休みの日に芸能の仕事を受けることが多く、月見と遊びに出掛ける時間がなかなか取れなかったため、撮影現場で一緒に過ごせたら一石二鳥だという魂胆であった。それに、月見は勾坂雅弥の大ファンであり、彼の出演している映像作品は隅から隅まで何度もチェックしていた。それによって、撮影に関する考え方や演技の中身についても、新生児が成長過程で勝手に母国語を習得していくかのごとく理解していって、それなりにこころの話についていけるようになっていたのだった。それを受けてこころは、月見が役者に向いているのではないかと感じていたのだった。

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