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小説「アイムシリウス。」(3)

 2021年3月27日土曜日。オフィスビル下の広場には、100を超える数のエキストラが密集していた。彼らの中には、俳優の下積みとして参加している者もいれば、今日撮影するドラマの主演、勾坂雅弥(サキサカマサヤ)を一目見るためにやって来た者、さらには「裁定者」ドラマシリーズの続編と聞いて駆けつけた、ドラマのファン達などもいた。そんな彼らは、ちらちらとオフィスビルの上の階を気にしていた。最上15階。ここからはあまりに高くて見えるはずは無かったが、まさに今この場所で、勾配雅弥の撮影が行われているはずであった。
 勾坂は今回、「裁定者 Second」という、以前に放送され好評を博した連続ドラマの続編に出演し、前回に引き続き主演・白金誠示(シロカネセイジ)を演じる。白金誠示はシワ一つないライトグレーのスーツがトレードマークの高潔な検察官である。また、私生活では自分の決めたルーティンを重んじ、仕事上では定められたルールによって世の秩序を厳格に維持することを信条とする、潔癖な一面を持つ。前作の「裁定者」では、勾坂に白金誠示というキャラクターがハマり、「勾坂雅弥がまた役の幅を広げた」と高く称賛されたのだった。放送の反響を受けてすぐに続編の制作が決定し、およそ3年弱の月日が経った2021年4月期より、「裁定者Second」の放送が決定したのだった。

 瀬名月見(セナツキミ)は、夏来こころ(ナツキココロ)の後ろに隠れて助監督からの説明を受けている。普段から芸能活動に勤しんでいるこころとは対照的に、撮影現場に初めてやってきた月見は、周りで忙しなく走り回っている撮影スタッフ達の動きに萎縮していた。しかしそんな環境であったからこそ、今自分たちの目の前で話している男はある意味、月見の目からは少し不気味にすら感じられた。木部(キベ)と名乗るその男はあまりにも爽やかで、ハキハキした声で、快活に話を進めるのである。人の性格を見極めるのが得意な月見で無くても、木部が人に愛されるタイプの人であることはすぐにわかっただろう。

「と、いう感じのシーンになります!ちょっとかなりお待たせしちゃう皆さんもいるかも知れないんですけど、今日はご協力のほど、どうぞよろしくお願いします!ではですね、この後皆さんを色んなところに配置していきますんで、しばらくこの場でお待ちください!」
木部は耳につけたシーバーでの指示を聞き、建物の中へ慌てて走っていく。撮影スタッフはおおよそ皆シーバーを付けているので判別することができる。エキストラ集団の周りにはシーバーを持っている者が何人もいたが、中でも木部は人一倍動き回っていた。撮影チーム内においても信頼を置かれているということがよくわかる。
 月見はこころに撮影のいろはを教え込まれながらも、話の半分以上は右から左に流れていった。ただし、「助監督木部」の話題に関してはその限りでは無かった。
「木部さん戻ってきたら挨拶しにいくよ。」
「えー、絶対忙しいって。申し訳ないって。」
「こういうのはアピールしたもん勝ちだから!」
そこにタイミングよく木部が戻ってくる。
「木部さん、おはようございます!今日もよろしくお願いします。」
「あ、夏来さん!おはようございます。今日は夏来さん、デモ隊リーダーお願いしますから。」
「デモ隊リーダー?はい、頑張ります!あとこっち、友達連れてきました。瀬名月見です。」
「あ、よろしくお願いします。」
「ツキミさん、珍しいですね!本名ですか?」
「本名です。秋にやるお月見の、月見です。」
「へー!覚えやすくて良いですね。あ、ちょっとすいませんね。」
木部はまたシーバーを受けて、少し2人から離れた。月見は木部の背中を見つめ、もうほとんどファンになっていた。そして、そんな木部と既に親しく話せる立場にあるこころにも、改めて尊敬の念が湧いた。
「ねぇ、木部さんに名前覚えてもらえてるって、やっぱこころってめっちゃすごい人なの?」
「どうだろ。まぁこの見た目だし、ある程度は印象に残りやすいんじゃない?」
 こころは自分のビジュアルについて一切謙遜することがない。そういう性格の人は、時と場合によっては悪目立ちしたりすることもあるのだろうが、ビジュアルを商材としている仕事柄、こころにはもはや、美人であることを鼻にかけている自覚すら無いようだった。こころは自分磨きに関してもストイックであり、その姿を知っている周囲の者達にとって、こころの性格はむしろユニークな印象を与えるものだった。月見も例外ではなく、こころの発言に対して、ただ肯定した。

「月見さん。」
いつの間にか木部が2人の元に戻ってきていた。
「ちょっとお一人、若い爽やかめの男性で、オフィスの中で白金さんにコーヒー運ぶ係をつけたいらしいんですよ。月見さん、行っちゃいます!?」
「え!?でも僕…」
月見は木部に差し示されたオフィスビルの最上階を見上げ、突然のことに圧倒されていた。こころはその月見の背中を、物理的に押す。
「やったじゃん月見!勾坂さんとお芝居できるんだよ!木部さん、さっさと連れて行っちゃってください!」
月見の戸惑いは、もはやこの撮影現場において居場所がなかった。考える暇も与えられず、月見は半ば強引に建物の中へ連れられて行った。こころは、月見を近くで見られない一抹の寂しさと、いきなり大役に抜擢されたことへの誇らしさを持って、月見の背中を見送った。

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