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小説「アイムシリウス。」(1)

第一話 と、息を潜め、ただ辺りを見ている月見。

 2030年6月6日。この日はとあるニュースで持ちきりとなっていた。
 俳優、勾坂雅弥(サキサカマサヤ)(44)の電撃結婚である。
 相手は一般女性で、勾坂より2つ年下、元宝塚女優、白羅真鳳(シララマトリ)似の美人妻だと言われている。
 勾坂の結婚が話題となったのは、勾坂が超人気俳優なためであることは言うまでもない。しかしそれ以上に人々の関心の的となったのは、「勾坂雅弥にも人並みの欲求や興味があった」ということであった。
 勾坂は人気俳優でありながら、これまで浮いた話などが世の中に露出したことは一切無く、エンタメ業界内においてもひたすら仕事に専心している人物として通っていた。そのため勾坂は、ルックスも相まって大多数の女性ファンから支持されていたのであるが、一部からは、「勾坂は精神疾患なのではないか」とか「人間味がなくて怖い」などという否定的意見も寄せられていたのだった。
 そこに来て突然の結婚報道である。全国的な「雅弥ロス」が巻き起こったことはもちろんのこと、これまで勾坂に否定的だった者達は、勾坂が人並みの幸せを手に入れたことに対してむしろ素直に祝福ができたようで、大変な反響を呼ぶニュースとなった。
 瀬名月見(セナツキミ)にとっても勾坂の存在は人生の支えであり、もはや神であった。月見はスマホのテレビ画面で勾坂の記者会見映像を見ながら惜しげもなく涙と鼻水を垂れ流し、不細工な泣き面を披露している。
「うわぁーーっ!ざきさがざぁーーん!!」

 月見は東京都立湊高等学校に通う3年生であり、卒業を目前に控えている。今日は高校最後の数学の授業。と言っても特に授業や先生に思い入れがあるわけでもないので、ただ漫然と板書を書き写したり、美しい姿勢をキープして微動だにしない斜め前の席の林原剛(ハヤシバラゴウ)を観察したりしている。
 そんな風に何となく時間を過ごしていると、すぐに終業を知らせるチャイムが鳴った。生徒達はさっさと教材を片付けて、散り散りになっていく。月見は帰り支度をしながらも、相変わらず剛を観察していた。すると、剛はすくっと立ち上がり、月見の席へぐるりと方向転換すると、そのまま近づいてくる。そして月見と目を合わせながら、ついに月見の目の前までたどり着くと、両手で月見の席を叩いた。月見はさすがに驚いたが、これはいつもの流れである。案の定、剛はにこっとえくぼに白い歯を覗かせた。
「月見!頼む、またノート写させてくれ!」
「なんでその授業態度で不真面目なの?」
「先生の言うことがまるでわからんのだ!難しいなぁ、数学は!ハハハハハっ!」
「そんな笑いごとじゃないと思うけど。はい。」
月見からノートを受け取ると、剛はすぐにパラパラと中を確認した。剛にとっては何だかよくわからないノートだが、とにかく何とか今日の範囲を見つけ出すと、
「完璧だ!さすがだな!」
とノートを閉じて、満足げに自分の席に戻った。月見は、「完璧かどうかわからないだろ」か、「最後の授業なのに写しても意味ないだろ」あたりで話を続けようとも思ったが、面倒になってやめた。
「月見。お待たせ。」
「お!御神!すまんが月見のノートは俺が借りちまったぞー。」
「数学今日で最後だよ?」
「え!そうなのか?まぁ良い、せっかくだから借りる!」
 御神湖心(ミカミココロ)は月見の小学校時代からの幼馴染で、月見の彼女である。才色兼備で、普段は「夏来こころ(ナツキココロ)」という名前で女優として芸能活動もしながら学業との両立をしている。色白の肌に大きな瞳、さらに美しい黒髪をなびかせながら登校しているもので、校内どころか、一部周辺の他校の男子からも知られているくらい、大変な人気ぶりである。その彼氏である月見はと言えば、顔立ちこそ良いものの根暗でネガティブな性格であるため、誰の目にも釣り合っているとは見てとれず、アンバランスなカップルと思われがちであった。ただ、月見は校内において、決して浮いた存在では無かった。
 高校入学直後、月見とこころが付き合っていることが広く伝わったすぐの頃くらいはからかわれることもあったが、その波はすぐに収まった。高2に上がった頃には、2人の関係は全校に周知の事実となり、日常に溶け込んでしまった。これは主に、瀬名月見の功績によるものであった。月見は、とにかく人に嫌われるのが嫌だったのだ。
 特にきっかけと言えるほどの出来事は無かった。月見は幼い頃から人に褒められるのが好きで、両親や学校の先生など、特に大人に認めてもらえることに喜びを感じた。褒めてもらうために勉強や習い事、行事なども積極的に参加した。ところが年を重ねていくに連れ、褒めてもらえるハードルがだんだん高くなってくると、努力がなかなか認めてもらえないことに焦りを感じるようになり、更には理不尽に怒られるようになったり、見向きもされなくなったり、という状況すら起こるようになった。そうなると月見はいつしか、他人に褒められる積極的な行動は避け、むしろ他人に否定されないようにするための行動を自ずと取るようになっていったのだった。
 月見はまず、こころと交際するにあたっていくつか約束を決めていた。

①人目につく可能性がある場所ではカップルっぽい行動は控える。
②用事がある時以外はなるべく2人では喋らない。
③その分2人でいる時は思う存分イチャイチャする。

③は、月見が②を提案した時に、
「毎日会いたくなるんだけど、それは用事に入りますかー?」
というこころからの悩殺ゼリフが決め手となり、最終的にこころが追加したものだった。
 さらに月見は、こころとの交際に好奇の視線を向けてくる連中に対し、個別対応を行った。話を仕掛けてくる相手からの質問は、かわしつつ、むしろ美人を射止めた恋愛の先輩として相談に乗ってやった。一方、自尊心が強いタイプの者には全く別の話題を提供して、大いに褒めてやった。直接話しかけて来ず、裏でこそこそ妄想を楽しんでいるような者はさらに厄介なので、わかり次第こちらから話しかけ、あえてこころとの、当たり障りのないつまらないエピソードなどを吹聴して周った。とにかく月見は、こと人間関係において潔癖であった。
 そして現在、こころに話しかけてきた林原剛という男は、月見基準での例外であった。剛は月見とこころの関係を知り、
「そうなのか!!!」
と驚嘆符の無駄遣いのようなリアクションを取ると、二言目には自慢のフロントダブルバイセップスを披露し、己の上腕二頭筋へのこだわりについて話し始めたのだ。ここで月見は「この男、害無し」と判断し、こころも剛の前では気兼ねなく月見と話すことができた。2人は、そんな剛が大好きだった。ただ話が止まらず面倒な男ではあったので、今回は彼をほったらかして、2人で学校を出た。

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