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小説「アイムシリウス。」(12)

 まだ完成して間もなく、よく整備された公園の広場は、快晴の天空とよく釣り合っている。広場にはベンチが点在しており、それらの中でも、真後ろに色とりどりの花が咲く花壇が添えられ、一際映えを狙えるロケーションが、今日撮影するシーンの芝居場であった。芝居場付近にはドライ(カメラ抜きで行うシーン通しリハーサル)を終えたばかりの、ヒロイン清子(サヤコ)を演じる白羅真鳳(シララマトリ)、清子が目撃するカップル役を演じるエキストラの燈孝之助(アカシコウノスケ)と夏来こころ(ナツキココロ)、さらに公園の広い空間を埋める10名ほどのエキストラ、そしてそれを上回る数の撮影スタッフが彼らの周りを囲っていた。
 孝之助は先ほど控室で立てた自分の演技プランを遂行し、満足していた。こころも事前に打ち合わせた通りに近い動きをしていたので、キザで突き放すタイプの彼氏に、デレデレする彼女、というカップル役の構図が孝之助の頭の中で完成していた。
「ねぇねぇ。もうちょっと距離近い感じにしても良い?」
「なんで。別にNG出てないだろ」
「出てないけど、やっぱその方が良いと思うんだよね」
「大丈夫だって。今さらプラン変えるのきついだろ」
孝之助はもうこころに背を向け、スタンバイの体勢を取っていた。というのも、孝之助の右隣を見ればもう、カメラのレンズがこちらを向いていた。
「ではカメラ準備できたので、これでテスト行きたいと思いますー」
 助監督志村(シムラ)が芝居場全体に声を掛けた。生まれて初めて、カメラが自分を撮るために稼働する。孝之助は、目前に迫るテスト撮影に意識を集中させていた。そのため、背後で密かに起こっている変化に、彼は全く気づくことができなかった。こころはいつの間にか、孝之助の背中に張り付くような位置まで距離を詰めていたのだった。
「孝ちゃん」
 耳元でこころの屈託ない声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、右のジャケットの袖がわずかに引っ張られた。思わず反応してそれを見ると、白くて細長い親指と人差し指が自分の袖をつまんでいた。孝之助は反射的に体ごと振り向き、その指から繋がった全身を視界に入れた。
 すると、さっきまでそこにいたはずの夏来こころが、いなくなっていた。

愛しい。

 彼女の姿に対して起こった感情は、ただそれだけだった。孝之助は咄嗟に、役者として彼女のためにできることを考え、そしてその答えは案外すぐに出た。
 彼女を、受け入れることだ。
 自分の肩に頭を乗せる彼女が少しでも楽なように、少し自分の脚の位置を前にずらして肩の位置を下げてやる。自分の右の手の甲に彼女の手が重ねられれば、それを受け入れる。そうすると、先ほどまで冷たく凍りついていた孝之助の表情は自ずと、優しく柔和なものに変わっていたのだった。

「カット!」
 孝之助ははっと我に返った。改めて隣の席を見ると、そこには夏来こころがいた。
「あかし君ナイス!芝居ちゃんと受けてくれてありがとう。優しかったよ。まぁ、月見ほどじゃないけど」
 それは先ほどまで控室で話していたこころの話し声だった。孝之助は、今自分がしたこころとの演技について何も理解ができず、困惑していた。この感覚をどう言い表せば良いのかわからなかったが、「夏来こころに人格を乗っ取られた」ような感じがした。
「これが、俳優・・・」
「ん?」
心の声にしたはずの言葉が、漏れ出してしまっていたようだ。

 その後の本番で孝之助は、やはりテスト撮影での演技を再現することができなかった。その時のモノマネをしようとするだけで、自分自身の立ち振る舞いも、また、こころの事を同じ彼女と思うこともできず苦しんだ。ただ、自分たちの本番が終わった後のカットは全て清子がメインのカメラワークだったため、孝之助は何とか事なきを得た。その中で一つ劇的に変わった事と言えば、自分たちの本番以後、孝之助は控室にいた時とは別人のように素直になり、こころの指示を聞いて動くようになっていた。
「お疲れさま! 控室戻ろっか」
「あぁ。先帰っててくれ」
「そ。わかった」
 シーンの撮影が終わっても、孝之助はしばらく芝居場のベンチから動かず、周りで動いている者達の様子を見ていた。テスト撮影が終わってから、孝之助はなぜか、彼らの視線がどこに向いているか気にするようになっていた。ここにいる全員が主演女優と、夏来こころだけに注目している。孝之助はそう感じていた。
 孝之助はしばらく時間を置いてから控室に戻った。会わないためにわざと時間をズラしたのに、扉の向こうにはまだこころがいた。こころはまた嬉しそうにスマホへ向かい、せっせと指を動かしていた。
「・・・だぁーっ! ちくしょうちくしょう! 負けた! くそっ!」
「どしたの!?」
 心配してこころが駆け寄って来た。孝之助は扉の前で息も絶え絶えに肩を落としている。その肩に優しく手を添えられ、孝之助は思わず振り払った。
「夏来こころ! 何者だよあんた。あの芝居中、おれは確かにあんたの事が好きになってた。まるで別人のあんたに。俺は何もできなくて、悔しくて情けなくてこんなに腹立ってんのに、もう俺はあんたの虜になってる。だから! だからこそ理解できないんだ! なぜ夏来さんほどの人が、役者の仕事が1番大事だと即答できない? そんなに芝居ができるなら、これまで俺なんかには想像すらできないほどの努力をしてきたんだろ? 何もかも、生活の全てを投げ打って、芝居に全力注いで来たんじゃないのかよ?」
こころはしっかりと両足で立ち、孝之助の言葉を受け止めた。そして、しばらくの間孝之助の目線の少し上を見つめて考えを整理すると、ゆっくりと言葉を返し始めた。
「さっきの話の続きね。言ってもまだ18歳だし、私、将来のことなんて全然わからない。この先仕事が忙しくなったりしたら、今までみたいに笑っていられなくなる日が来るのかもしれない。けど、絶対これだけは言い切れる。今の私に、月見のいない人生なんてあり得ない。月見はわたしの王子様で、ヒーローで。なんかダサくて、だらしないとこもあるけど、最高にかわいくて、カッコ良くて、かけがえのない人だから。月見を想うこの気持ちは私の、「夏来こころ」の最大の武器だから」
「・・・月見」
「瀬名月見(セナツキミ)! 私の彼氏!」
こころはスマホの待受画面にしている月見とのツーショットを、孝之助の顔の前に突き出した。

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