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小説「アイムシリウス。」(4)

 この日「裁定者 Second」の撮影は1日を通して行われる。現場には撮影スタッフの他に、主演の勾坂雅弥(サキサカマサヤ)と何人かのキャスト、それから100人超のエキストラがいる。エキストラ達の今日の主な役割は、検察庁のビルの下でデモ活動をする住民の役である。その登場シーンは、とある検事に裁判での重大な不正が発覚し、検察全体の信用が問われる事態になるという、かなり深刻なものであった。
 撮影は、建物下広場にいるデモ隊を狙うカメラ1台と、主演の検察官、勾坂雅弥演じる白金誠示(シロカネセイジ)がいる建物の最上15階から狙うカメラが2台の計3台で行われる。ほとんどのエキストラが広場のカメラ前に集合している中、ただ1人建物内のカメラ付近で、いかにも居心地が悪そうに、瀬名月見(セナツキミ)が突っ立っていた。
 建物内では、月見が到着する直前まで、白金誠示が渦中の刑事事件の当事者である人物と話をしているシーンの撮影をしていた。細かくカット割されたシーンをあらゆる角度から撮影するため、その都度撮影機材と、それを動かす人間が目まぐるしく動き回る。それを狭い部屋の中で行うことから、撮影スタッフ達には極限に息の合った動きが要求されるため、時には怒号めいた声まで飛び交っていた。月見が現場に入ったのは、次の月見が出演するシーンの撮影の段取りを開始した直後であり、すぐに撮影班の荒げた声が耳に飛んできた。そのため早速心身共に縮こまった月見は、助監督の木部から言われた「とりあえずカメラに映らない位置で待機しておいてください」という言葉だけを頼りに、忍びのような足取りでカメラの死角へ死角へと絶えず移動していたのだった。

 月見の緊張をよそに、夏来こころ(ナツキココロ)は、今まさに撮影が行われている検察庁ビル下の広場で、デモ隊の格好をして待機していた。広場には、カメラの画角をいつでもチェックできるようにするためのモニターが設置されている。これは主に演出部が利用するための機材であり、普通はエキストラが見られるものではないが、今はちょうど彼女らの見られる位置にモニターがあった。こころは、モニターへたまに映り込んでは慌てて出ていく月見の姿を確認しては笑っていた。カメラが複数台あると言っても、建物内での撮影を行っている際、広場のエキストラは待機となる。待機と言っても撮影スタッフの目があるので、不用意にスマホを取り出して暇をつぶすこともできず、更に撮影中は話し声も立ててはならないということで、気を張っていなければならないことが多い。そのため、エキストラ達の視線は自ずと、モニターの方へと集まっていった。
「これ、エキストラ? 上手いじゃん、カメラ前でキョドる芝居。」
誰か、そんなことを言っている者もいた。

「じゃあ各所準備整い次第、スタンドインで一回動いてみますよ。木部、部下の動き。」
「はい! では月見さんこちらで。」
 現場を指揮しているのは助監督・豊島(トヨシマ)である。撮影現場には助監督が何名かおり、現場全体を指揮する者、エキストラの演出を任されている者、また、彼らの指示を受け足を使って細かい作業をこなす者というように、同じ肩書きでありながら役割と序列が明確に分かれている。今、豊島の指示を受け、月見を呼びに行った木部(キベ)と、スタンドイン(キャストの代役)として勾坂の動きのスタート位置についた浜司(ハマジ)が、この現場を任される助監督であった。
 木部が、様々な声の飛び交う中でも明瞭に聞き取れる声で月見に指示を出し、月見が演じる白金の部下役の動きを一緒に確認する。
 月見が参加するシーンは、白金と事件の当事者との会話が終わり、部屋の玄関で当事者を見送ったところからスタートする。

『裁定者 Second』
監督:悠木刹那
出演:勾配雅弥、他
(第3話より抜粋)
三島「白金先生、どうか、どうかよろしくお願いいたします!」
と、言い残し去っていく三島。
三島の背中を見つめて、一つ大きなため息を漏らす白金。
と、部下がコーヒーを持って執務室に入ってくる。
白金「あぁ」
白金、慌ててデスクに移動。
白金「ありがとう。ここに。ここに置いてくれたまえ。持ち手は右側でデスクの向きと並行に。」
部下、言われた通りに置いて出ていく。
白金はふっと一息つき、後ろを振り返る。窓の外ではデモ活動が行われている。
白金「さて、どうしようか。」

 月見はつい先ほど台本を渡され、現場に移動する道中で木部からシーンの説明を受けていた。月見は、いきなり大役に抜擢された瞬間に比べると、いくらか心拍数が安定してきていた。なぜなら、台本に自分のセリフが無かったためである。いくら憧れの勾坂雅弥の近くで緊張するとはいえ、指示されたタイミングでコーヒーを出して帰るくらいならなんとかなるだろう、と考えていた。しかし今、木部からの声を聞き、いざ自分の出番が始まると自覚した瞬間、それまで反芻していた自分の動きが何も頭に思い浮かばなくなった。木部は月見が現場入りしてからも、これ以上無いほど丁寧に説明を施したが、月見にはもはや、木部の話す内容が新しい数学の単元の授業のように聞こえていた。
 駆け足で説明し終えた木部は、月見のリアクションに若干の不安を感じながらも、段取りを優先して豊島に準備完了の報告をした。
「じゃあ一回段取りで動いてみます。各所準備よろしいですか? はい、では段取りで。よーい、スタート!」
スタンドインの浜司がため息を吐く。このシーンは、白金が玄関前でため息を漏らすところから始まる。月見の耳にもため息が聞こえて来たので、手に持ったおぼんの上のコーヒーカップに意識を集中しながら、スタスタと白金のデスクに向かって歩き出す。ため息を聞いたら歩き始めるというのも、木部から指示された通りであった。ただその後、浜司が「あぁ」というセリフを読んだ頃には、月見は白金のデスクの前に辿り着いていた。
「カット!」
シーン途中にも関わらず、豊島の声が飛ぶ。
その瞬間、月見は木部からの
「月見さんが歩いている時に「あぁ」っていうセリフがあって、そっから先に白金さんがデスクに戻るので、ゆっくりめに歩いてもらったら大丈夫です。」
という指示を思い出した。

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