小説 『何が、彼女を殺したか』 (2)
▶︎目次
復讐の章(前編)
19XX年、娘の真紀が殺された。
俺は、その犯人を殺すと誓った。
だから、これは復讐の物語である。
間に合わない夢を、俺は見ている。
そのドアはすぐそこに見えているというのに、体は重く、息は苦しく、足は一向に前へ進まない。募(つの)る焦りは鼓動を早め、血流は鼓膜にうるさいほどの音を立てる。ざあざあ。ざあざあ。録画を繰り返したビデオテープが立てるようなその音が、視界にノイズを走らせる。
──早く行かなければ。
思い通りに動かない体に鞭打つようにして、俺は思う。あのドアまで辿り着かなければ、そうしなければ、あいつが来てしまう。俺の命よりも大切なものが奪われてしまう。
動かない足にしびれを切らし、這うようにして俺は進んだ。地面に突き立てた指から血が出るのも構わず、必死に、けれどのろのろと進む。早く、もっと早くと、出ない声で叫びながら。
しかし、努力も虚しく、そのとき小さな悲鳴が耳に届く。
たすけて、という悲鳴が。たすけてお父さん──と、はっきりと俺を呼ぶ声が。
まただ。また今日も、俺は間に合わなかった。
絶望が胸を押し潰す。目指すドアが哀れみの色で俺を見つめる。その距離。少しも縮まらないその距離に、せめてもと手を伸ばすが、助けを呼ぶ声はくぐもった悲鳴に変わり、しばらくするとその悲鳴すら聞こえなくなる。水を打ったような静寂があたりに満ちる。
その静けさの中で俺は悟る。俺は、今日もあいつを止められなかったということを。あいつを、村野を、村野正臣が、俺の大事な娘の命を奪うことを、今日も俺は止めることができなかったのだということを。
──まきーっ!
その残酷な事実に、倒れたまま俺は泣き叫ぶ。いつのまにか降り始めた雨が、俺の体を濡らす。彼女を失くした世界に降り注ぐ、冷たい冷たい雨。
──まきーっ! まきーっ!
その冷たさに抗(あらが)うように、俺は娘の名前を叫び続ける。そうすることで娘が生き返るとでもいうように、すべてが元に戻るとでもいうように──。
夢はいつもそこで終わり、俺は今日も広いリビングの片隅で目を覚ます。少し髭の伸びた頰には、夢から現実へと染み出した冷たい雨が伝っていて、その水滴が肌で温もってしまう前に、俺は急いでそれを拭った。今日もその小さな仏壇が傍らにあることを、視界の端で確かめながら。
心臓は短距離走でもしたかのように早鐘を打っていた。付けっ放しのクーラーのせいで手足は冷たく、だというのに触れた額はうっすらとした汗に覆われている。低い呻(うめ)きを上げ、ベッド代わりのソファの上で寝返りを打つと、強張った筋肉がみしりと音を立てた。
お父さんったら、こんなところで寝ないでって言ってるでしょ──すると呆れたような、それでも優しい妻の声が聞こえたような気がして──続けて、子供たちの楽しげな笑い声が聞こえたような気がして、俺はぎくりと動きを止めた。
かつて家族で暮らしていたこの一軒家に、いま住むのは俺一人だけで、他には誰もいないはずだった。どうやら夢から覚め切らない意識は、未だ遠い過去の中にあるようだ──その巻き戻ってしまった時間を力ずくで元に戻そうとでもするように、俺は現在のカレンダーを思い浮かべた。
今年は、20XX年。盆を過ぎたばかりの8月20日で、いつも通りの仕事が待っている木曜日──とはいっても、それは大人たちだけの話らしい。そのとき、表から子供たちの声が聞こえてきた。オニだ、逃げろ──はしゃぐ声を聞くと、鬼ごっこでもしているのだろう。無意識に耳を澄ましていた俺は、その声の中に娘の声を探していたことに気づき、カッと頭に血が上った。
「うるせえぞ、クソガキども!」
怒りをぶつけるように窓へ叫ぶ。すると、子供たちの声はピタリと止んだ。拳を握ったまま、俺はしばらく窓を睨(にら)みつけたが、声はもう聞こえなかった。俺は力が抜けたように息をついて、再びソファに体を預けた。子どもたちが走り去っていく気配が、隣接する路地を抜けて消えていった。
あれから、もう25年。怒声でエネルギーを使い果たしたかのようにぼんやりしながら、俺は考えた。それだけの月日が経てば、当時小学1年生だった娘も31歳、結婚し、あれくらいの子供がいてもおかしくない歳になっているはずだった。
しかし、だというのに、なぜだろう。俺が娘の姿を重ねるのは、いつでもあの頃の彼女のような幼い子供たちだった。街角で、人混みで、電車の中でさえ、気がつくと探しているのは、その姿のままいなくなってしまった娘だった。小さな体に不釣り合いな、大きなランドセルを背負った彼女が振り向き、お父さん──こちらを見て笑いやしないかと、胸のどこかで期待してしまうのだ。そんな奇跡が起こるわけがないことは、もう十分に理解しているはずだというのに。
世界中のどこを探しても、最愛の娘はもう見つからない──。
抜け殻の体に憎しみが湧き上がる。その強い力を糧として、ようやく俺は固いソファから半身を起こした。
「……おはよう、真紀」
いつでも変わらぬ笑顔の娘に語りかける。彼女の名前は、雨ヶ谷真紀。25年前の9月6日にその命を奪われた、俺の大切な娘だった。そして、その大切な娘を殺した男の名前は、村野正臣。当時、21歳の大学生で、少年時代に補導歴のある、ロリコンの変態野郎だった。
「雨ヶ谷真紀ちゃん殺害事件」──マスコミが事件をそう名付けたおかげで、あの頃、日本中の人々が真紀の名前を、その身に降りかかった悲劇を知っていた。あれから幼い子供を狙った犯罪は多くなった印象があるが、いまから思えば真紀の事件はその走りだった。
見ず知らずの男が、留守居の女の子を滅多刺しにして殺した──。その衝撃的な報道に、子供を持つ親──特に女児を持つ親たちは怯え、その後しばらくは、子供の登下校に親が付き添う姿が多く見られるようになった。そんな不安を煽るほどにニュースは繰り返し流れたし、ワイドショーはいつまでも事件を取り上げた。そのせいだろう、葬儀には名前も知らない人からの弔電や花が届き、お悔やみの電話は鳴り止むことを知らなかった。あの頃、大げさではなく、日本中の人が真紀の死を悼んでくれたのだ。
けれど、25年が経ったいま、真紀のことを覚えている人はどれだけいるだろう。写真を見つめたまま、俺は思った。その死に涙ぐんだ女性タレントは、憤ってみせたニュースキャスターは、弔電を送りつけた大勢の人々は、一体どこへいってしまったのか。
それはまるで季節の移り変わる様を見るようだった。青々とした木の葉が冬にはすっかりその枝から消えるように、真紀が殺されたという事実はいつしか風に舞い、落ち葉に埋もれ、土に還り、人々の記憶から消えていってしまったのだ。
「でも大丈夫だ」
記憶だけではなく、真紀の存在自体が消えていってしまうような、そんな想像を振り切り、俺ははっきりと声に出して言った。
「お父さんはちゃんと覚えてる」
仏壇の写真を手に取り、満面の笑みを浮かべる真紀を間近で見つめる。その写真の右下、そこにはぼやけた橙色で9月5日という日付が刻まれている。それはこの写真が、奇しくも真紀の殺される前日に撮影されたという証(あかし)だった。
その年──俺は会社の都合で夏休みが取れず、娘たちとの時間を持てないままだった。だから、その罪滅ぼしにというわけではないが、娘たちの新学期が始まった週の日曜日、妻が作ったピクニック弁当を持って、家から車で1時間ほどの公園へ遊びに出かけたのだ。
そこは娘たちが「うさぎの公園」と呼んでいる、とても大きな公園だった。正式名称は何とか森林公園といった覚えがあるが、どうして「うさぎの公園」と呼んでいたのかは、いまではもう思い出すことができない。何せ、当時の写真を見ても、うさぎどころか、うさぎ小屋さえ写っておらず、そんなふうに見える遊具もオブジェも何もないのだ。
そんなことよりも俺が覚えているのは、真紀はここの100メートルはある巨大ローラー滑り台が大好きだったということだった。もちろん、滑り台というものは、滑る長さが長いほど、もう一度滑るためにスタートへ戻るまでの距離も長いわけだが、真紀は何度も飽きずに登っては滑りを繰り返していたことを覚えている。
けれど、その日、俺が写真に収めたのは、お気に入りの滑り台を滑っているところではなく、ブランコを漕いでいるところだった。それも力一杯漕いでいるところを撮ったせいで両足の部分がぶれている上に、無邪気に笑う真紀の片目は赤く光ってしまっている。
このブランコに乗った真紀の写真を見つけたのは、一度離れたこの家に再び帰ってからのことだった。事件から5年後、最高裁で判決が出た後のことだ。そのときにこのフィルムの入ったカメラを見つけ、初めて写真屋で現像した。その出来上がった写真を見て、俺は溢れる涙を堪(こら)えることができなかった。明日、殺されることを知らない真紀が、そこで楽しげに笑っているのだ。永遠に、歳をとることもなく。
急に目頭が熱くなり、俺は写真を元の位置にそっと戻した。いつの間にか乾いた頬を擦(こす)り、カーテンを引く。すると、窓の向こうのごちゃごちゃした家々の屋根に、赤い夕陽が沈んでいくのが見えた。
──夕焼けがとても赤くって、それが真紀ちゃんの血の色とおんなじだったことを覚えています。
裁判での村野の証言が、突然、脳裏に蘇った。二十歳を越えた男にしては妙に甲高い、少年のような声。
あの男が真紀を殺したのも、このリビングの床が真っ赤に染まった夕刻のことだった。妻がこれだけは譲れないと言って選んだ無垢材の床。俺はひんやりとしたその床に足を下ろすと、起き抜けにはいつもそうするように、ソファの上から暫(しば)し、足先を見つめた。いや、正確には足先ではなく、その向こうに広がる、いびつな楕円を描いた黒い染みを。そして、その染みに刻まれた何十箇所もの刃物跡を。
それは真紀の跡だった。娘が生きていた証として、最期に残してくれた跡。
あの日、そこに真紀だった肉塊を発見したのは、パートから帰った妻だった。彼女は、いまも廊下に残る血の足跡を辿り、その恐ろしい光景を目の当たりにした。
──散歩をしていたら、子供が家へ入っていくのが見えたので、そのあとをついて入った。
後に、村野はあの甲高い声でそう証言した。つまり、真紀が選ばれたのは偶然で、ほんの少しでもタイミングが違えば、彼女があんなふうに殺されることはなかったのだった。
『私がパートなんかしなければ──』
事件後、妻は泣きながらそう漏らした。
『真紀を鍵っ子なんかにしなければ──』
両親が共働きで家にいないため、渡された自宅の鍵で帰宅する子どもたちは、当時「鍵っ子」と呼ばれていて、特に珍しくもない存在であった。現在に比べて防犯意識も低かったあの頃は、それが小学校低学年の子だったとしても、学童保育に預けるよりは「鍵っ子」にするという家も多かったものだ。
その例に漏れず、小学校へ上がったばかりの真紀も、家の合鍵を持つ鍵っ子だった。もちろん、そうすることに不安がなかったわけではないが、それでもそう心配することもなかったのは、真紀には姉が──小学校4年生の由紀がいたからだった。
姉妹はとても仲が良かった。真紀は由紀のことが大好きで、毎日一緒に下校していた。由紀が6時間目の授業やクラブで遅くなる日には、学校の図書室で本をめくりながら、姉を待っていたくらいだ。
また、パートをしていた妻が帰宅するのも、決して遅いわけではなかった。大抵、娘たちと同じくらいか、それより30分ばかり遅れるくらいだ。そんな事情もあって、留守の家に姉妹を帰らせることには何の不安も感じていなかったのは事実だった。
『家に帰ったら、必ず鍵を閉めるのよ。それから手を洗って、おやつを食べてね』
妻がそんな注意をすることが神経質に思えるほど、ここは平和な町だった。近所の人たちはみんな知り合いで、子供が狙われたという話など聞いたこともない。そんな日々に、一体何を不安に思うことがあったというのだろう。
しかし、あの日だけは何かが違った。
村野という殺人鬼が町を徘徊し、真紀は一人で家に帰った。正確には、校門を出るときには一緒だった由紀と喧嘩し、へそを曲げて先に帰ってしまったのだ。そして、その頃には帰っているはずだった妻もまた、夕飯の買い物に手間取って遅くなり、肝心の真紀は玄関の鍵を開けたままにしていた。
それは、喧嘩した姉がすぐに帰ってくるだろうと思ったせいか、それとも、ランドセルを背負うのではなく、逆に背負われているようにも見えた幼い真紀が、母親の言いつけを忘れてしまったせいか。もしくは──俺はそうだったのだと信じているが──真紀が鍵をかけようと振り返ったときにはもう、村野はドアの内側にいたのか。
真実は真紀だけが知ることだろう。けれど、それでも事実としてあの男はこの家に入り込んだ。そして、幼い命に手にかけた。その細い首を締め、持参した「刃渡り21センチの文化包丁」で、その体が肉塊になるまで滅多刺しにしたのだ。その残酷な最期はすべて、このリビングの床板に刻まれている。消えない染みとして、傷跡として──忘れないで、いまも真紀が俺に訴えかけているかのように。
「……ああ、ちゃんと覚えてるよ」
もう一度言葉にすると、新鮮な痛みが胸を突いた。25年も前のものにも関わらず、この深い傷からは、いまも赤い液体が滴(したた)っている。滴り続けている。だから、俺は忘れない。何年経っても、何十年経っても。その日がいつかやってくるまで。そのために、俺はこうして生き続けているのだから。
赤い空が次第に色褪せ、濃い闇色へ変わっていく。俺はソファを降りて屈(かが)み込むと、夕陽の赤い熱を蓄えた染みに指先で触れ、これもいつものように呟いた。
「心配するな」
呼吸を止め、心の底からの誓いを口にする。
「お父さんが絶対、絶対にあいつを殺してやるからな」
幼子の頭を撫でるように指先を滑らせると、床に縛りつけられた黒い染みと傷跡が、真紀の笑顔に似て、ふっと嬉しそうに和らいだ。
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