【随筆/まくらのそうし】 蓬餅
何もかも取っ払って簡単に言えば、その子の家は金持ちだった。
庭付きの大きな家、当時は珍しかった室内飼いのマルチーズ、家族それぞれの個室があって、その子の部屋は漫画だらけ、小学生ながら、ビジュアル系バンドの追っかけをしていて、家族の誰かの趣味なのだろう、クラシックレコードの並ぶリビングで、こちらはさして興味もない、バンドの曲を聴かされた。
けれど何より心に残っているのは、その家族の仲の悪いこと、その子自身も険のある、母は存在のないほど大人しく、同居の祖母は感じが悪く、姉とは罵り合いの大げんか、父親はいつも家にはいないが、たまに見かけて挨拶すれば、ひどく冷たい眼差しを、こちらに向けてくるのだった。
いま思い返せば、ということだ。
けれど、そんな印象を覆す、一つきりの思い出がある。
それは春の日、午後の日差し、あの感じの悪い婆さんが、土手でよもぎを摘んでおいで、とザルを差し出し、こんもり摘まれたそれを揉み、蒸した餅米と合わせ、搗き、あっという間によもぎ餅、おやつにお食べと差し出したのだ。
その香りの高かったこと、つきたて餅のおいしかったこと、そのときばかりはその子の険も取れ、子供らしい顔つきで、その日はビジュアル系バンドの曲も聴かず、公園の原っぱで、鬼ごっこに興じたのだった。
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