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短編小説集

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原稿用紙10枚から30枚の短編小説です。
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記事一覧

【短編小説】 幸せなバッタは青空を登る

 ——私の愛する妻、美里ならびに、息子である信太郎へ。  この手紙を書き始めるに当たって、まず、少し恥ずかしいような思いがするのは、こんなフレーズから始めることしかできないからだ。けれど、どうか二人とも笑わずに、真剣に読んで欲しい。いいか、行くぞ。  この手紙をお前たちが読んでいるということは、私は既に、この世からいなくなっているということだろう。  ——どうだ、笑わずに読んでくれただろうか。まるで映画の主人公のような台詞を真面目に書くには、少しばかり勇気が要る。特にそ

【短編小説】 ディストピアな僕ら

 世界は、透明なピアノ線が張り巡らされて、迂闊に動けば切り刻まれる。手足に、腹に、顔に、首に、傷を負ってきた僕たちは、だから姿勢を崩さず、生きている。自由? それは誰かの空想で、夢や希望と同じもの。現実にはない、そんなものを掴もうとすれば、待っているのは痛みだけ。再び切り刻まれて、苦しんで、結局元の場所へ戻るだけなら、初めから何もしないほうが賢いだろう。  思えば、親や学校の先生は、世間は、ずっとそう教えてくれていたのだ。こうしなければ傷つくと——例えば、勉強をして、いい成

【短編小説】 こどもの命は誰のもの?

「『うちは選択子無しですから〜』って言う人、いるじゃない? 子供がいない人生を選びました、とか偉そうに言う人。あれ、変な話だなって思うんだよね。だって、子供がいる状態を経験したことがないんだから、選択できるわけがないじゃん。子供がいるって、生活に劇的な変化が起きるんだよ? それも分からないままに『選択した』って言い方がおかしいよ。そもそも、子供が欲しくても妊娠しない人もいるのにさ、『もちろん、子供がいる人生を選択することはできるんですけどね』みたいな感じも変だと思うし」  

【短編小説】 子供を愛する最も簡単な方法

「優愛ちゃんママ……」  なぜ、咄嗟にそんな言葉が口をついて出たのか分からない。けれど、その可愛らしい小さな犬を抱き、公園のドッグランから出てきた女性に、美咲は無意識に声を上げていた。だというのに、その次の瞬間、驚き、自らの口を押さえた。優愛ちゃん? ママ? それはどこの誰のことだっただろうか、と。  しかし、そのときはただそれだけで、相手の女性も美咲の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、軽くこちらに会釈すると、すたすたと通り過ぎていってしまう。 「ママ、早く歩いてよ」

【短編小説】人を殺しても捕まらない方法

 人を殺したって捕まらないよ——。  冗談扱いされそうな一言も、深冬の口から出たそれには、無視もできない真実味があったらしい、龍吾は隠しきれない好奇心で目を光らせ、それでも精一杯ぶっきらぼうに、どういうこと、と聞き返す。だから、そういうことだよと、深冬ははぐらかすように、まず答え、それから裸の胸も隠さずに、枕元の煙草を取って、火を付けた。この季節には珍しく、外は雨がザアザア降っていて、湿気に吐き出す煙が濃さを増す。 「うち、色々あったって言ったじゃん。だから家出して、騙さ

【短編小説】 半身

 リクへと、思い切りナイフを振り下ろすと、ぎゃっと恐ろしい声がして、どくどくと赤い血が流れ出て、彼はぴくりとも動かなくなった。  よかった、マナはほっとして、その場へばたんと倒れ込む。頭がぼうっとして、目が霞む。そのまま眠るように目を閉じながら、これできっと良かったんだと、安堵の中でそう思う。血溜まりが、マナを包み込むように広がっていく。  この罪は、彼女が犯し、償う、初めての罪。そして、恐らくは最後の罪。生まれたときから一緒だった、リクの命は絶えてしまった。そして、それ

【短編小説】 母娘百合

 その名前と同じ、百合の花束を渡したときだった。彼女は薄ら微笑んで、翔太の顔をじっと見た。そして、何がおかしいのと尋ねた翔太に、百合ってどんな花か知ってる? と、笑みを崩さず聞き返した。清らかで、弱々しい花だと思う? 薔薇のように派手に美しい、奥様とは正反対の。  真白いシーツで胸を隠し、解けた長い髪を揺らす百合に、翔太はなんと答えただろう。あいつのことは言わない約束だろと、シャツのボタンを留め続けたか、それともそんな彼女が愛おしくなり、再びベッドへ戻ったか、いずれにせよ、

【短編小説】 大人になんてならないで

 夜更け過ぎ、美里は身動きの取れない体に気づき、目を覚ます。  昨夜は凌久の夜泣きが激しかったけれど、今夜は子供たちの声も物音も聞こえない、しんとした夜。隣に眠る、母の寝息さえ聞こえない。  こんな夜にこそ、十分に休息を取らなければ──寝返りを打とうとするが、なぜか体が言うことを聞かない。どうしてだろう、いやいやするように、布団に顔を押しつける。と、じわっと濡れた感触があり、美里の意識は急速に現実へと戻った。いやだ、隣の部屋で寝ているはずの凌久が、あるいは美桜か空がやって

【短編小説】殺してはみたけれど

 人を殺してしまったは良いけれど、その後に残った死体をどうするか。  どうにかこうにか車に乗せて、どこかの山に埋めてしまうか、それともバラバラに解体をして、少しずつトイレに流すか、生ゴミとして捨ててしまうか、庭に埋めるか、大きな冷凍庫で保管するか、あるいは料理に使って食べてしまうか。  否々、埋めたり捨てたりするならいいが、人を料理に使うだなんて、恐ろしいことができるのだろうか。  以前の美結ならそう思ったに違いない、しかし、いま、それを目の前にして思うのは、それもあり

【短編小説】 望みの形

「じゃあ、次はどこを切り落とそうか」  自分の背丈ほどもある、大きな鋏を持って、少年は事もなげにそう言った。 「ママは暴れるなって言ったんだよね? 机を叩いたり、教科書を投げたりするなって」 「うん」  奏太は素直に頷いた。その目尻から、涙の粒がゆっくり膨れ上がった。 「ぼく、どうしても駄目なんだ。ママの言うことを聞かないとって思ってるのに、ここではそう思えるのに、目が覚めると何もかもが嫌になっちゃって、どうしてもママと喧嘩しちゃう」 「分かってるよ」  少年は

【短編小説】 かみさまの風

「其方が望むなら、我は戦の神にもなろうぞ」  穏やかな少女の姿は、刹那、紅蓮の炎の燃えたぎって、年郎は慌てて首を振った。  村の奥から続く石段、その上にひっそりと建つ祠には、年郎が幼い頃から変わらぬ姿、裾を端折った着物に童髪の少女がいて、目が合えば、年郎年郎と手招きし、可愛がってくれるのだった。  無論、年郎も幼いままではない、日が経てば、背はゆうに少女を超え、声も大分低くなった、それだというのに少女は変わらず、幼子のように年郎を呼ぶ。  この人の世に照らせば不思議な

短編小説 『芋虫と蝶』

 この国で、蝶は自ら羽を捥(も)ぎ、地面を這い回るのだという。しかも、それは芋虫への回帰なのかと思いきや、そうではなく、蝶は蝶であると自らを蔑(さげす)んだまま、その一生を終えるのだという。芋虫と蝶、両者の間には濃く強い線が引かれ、同じ種であるはずの二つをまるで別種のように分断している。一方である芋虫を無垢にして神聖な命として、そしてもう一方である蝶を、罪深く穢れた存在として。  芋虫も蝶も同じだろう、一年生の杉の木と、五十年生の杉の木が同じ杉であるように、子犬と成犬が同じ

短編小説 『C』

 きらびやかな光溢れる店の隅に、黒い肌をした、その少年は立っていた。  年は10を数えるほど──いや、もう少し幼いだろうか。外は雪でも舞おうかというほど凍えているというのに、彼は色素の薄い足裏をぺったりと大理石の床につけ、その体には服とも呼べないぼろ布をまとっているだけ。そして、まるでテレビコマーシャルでよく見かける、多くのアフリカの子どもたちそっくりに、顔の割に大きな眼《まなこ》をじっと美しいショーケースへと向けている。その姿は、どこか別の次元から迷い込んできてしまったか

短編小説 『まあるいボクの四角いおうち』

生まれてから一度も家の外に出たことのない、猫の「スイカ」。飼い主は優しいし、ご飯はお腹いっぱい食べられるし、何一つ不満のない日々を送っていた。 ある日、スイカは、窓の外に1匹の野良猫を目にする。彼女──その野良猫はメス猫だった──は、ネズミを狩り、食べていた。その美しい姿に、スイカはどうしようもなく惹かれていく。野良猫との出会いを描いた猫小説。 まあるいボクの四角いおうち 1 『スイカはまあるいのねぇ、可愛いのねぇ』  のんびりとした声で、オカアサンがボクの目を見なが