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養成所時代の一年間。#2

前回のお話☟



おちん銀ず改めハッピーチャッピーは無事初めてのライブを終えた。


今の時代、芸人になるのは大卒や社会人経験者が多い。同期のほとんどが年上だった。

同じクラスに10代は俺の他には2人だけ。

ナイジェリアと日本のハーフであるアシィスと、現在の相方でもある鯉沼である。

アシィスは一個年下で、高卒ですぐ養成所に来たタイプだ。
この年代は他のクラスにもちらほらいた。

俺の場合、高専を4年で中退して入学しているためそれより一年遅い。
俺と同い年は殆どいなかった中、数少ない同い年の鯉沼とは入学当初から仲がよく、授業後もネタやお笑いの話をずっとしていた。

鯉沼は初めてのライブにアシィスとコンビを組んで出ていた。

コンビ名は『福地鯉沼』。

正統派漫才がやりたいお年頃だったのだろう。

アシィスのナイジェリアの部分を全く使わず、純正日本人として漫才をさせていた。

ライブ後、平日コースの皆で打ち上げに行くことになった。

俺、鯉沼、アシィスの3人はお酒は厳禁なのでソフトドリンクで皆と乾杯した。
もし未成年の飲酒、タバコがバレたら即退学なのだ。

打ち上げの後、鯉沼に「俺とコンビ組んでくれよ」と言われた。

鯉沼のことは面白いやつだとは思っていたが、「いや、お銀と組んでるから」と断る。
しかしその後もしつこく誘われたため、じゃあトリオなら、と承諾してしまった。

お銀に鯉沼を入れてもいいか聞いてみると、絶妙に嫌なのかどうでもいいのかわからない顔で「まぁええけど」と言っていた。

その後は次のライブに向け、トリオでネタを作りネタ見せに出ていた。

だが数回ネタ見せに出た後、鯉沼とお銀の不仲が始まった。

お銀は俺からすれば高専の野球部の先輩でもあるため、相方になったといえども少し先輩後輩という関係性も残っていた。

俺の同級生である鯉沼に対しても、その感じが少しはあったのかもしれない。

ムカつくようなレベルの先輩風は吹かせていなかったと思うが、鯉沼はプライドの塊である。
めちゃくちゃイライラしていた。

どうしてお銀はネタを書いてもいないのにあんなに偉そうなんだ、と言っていた。

別に偉そうだとは思っていなかったが、確かに何故か常に自信満々だ。
そこがお銀の良さなのだと思うが、鯉沼とは相性が最悪なのであった。

お銀にもその感じが伝わってしまい、お互いに嫌いあっていた。
そうなればトリオは解散するしかない。

当時の最寄り駅、つつじヶ丘のガストで話をしようという事になった。

わざわざ集まらなくてもLINEで解散することはできる。
それでも集まったのは俺がどっちと組むのかという話でもあったからだ。

だがいざそういう話になった時、その時の俺はどっちと組むか選ぶこともできなかった。

普通に考えて一緒に上京してきたお銀とコンビでやるのが当たり前だ。ましてや俺から誘っておいて解散なんて筋が通ってなさすぎる。
そういう考えも頭にあったが、鯉沼の芸人としての魅力とストイックさに惹かれている自分もいた。

どのくらいの時間沈黙していたのかわからないし、俺は泣いていた。

嫌なことが沢山あると、泣いちゃうのだ。

2人はなんでコイツが泣いてんの?という気持ちだったと思う。

お銀がもうええよ、と言葉を吐いた。
最初鯉沼連れてきた時点で俺捨てられると思ってたし。と続けた。

そんなつもりはなかった。
しかしすぐにお銀と組むと言えなかった自分に何も言う権利は無いとも思った。

じゃあ鯉沼と組むということでいいか?と、2人のどちらから言われたかは覚えてない。

うん、と返事をしたことは覚えている。

今となってはお銀はSONYの事務所に入り、とても楽しそうに芸人をやっているし解散したことを気にしてもないと思う。

でも自分で思い返した時、当時の俺の行動はいつ思い出しても吐き気がする。
もし俺と同じようなことをしている人間がいたら、そいつの事は大嫌いだろう。
自己嫌悪してしまう。

鯉沼のことは大嫌いでも俺とは今でも遊んでくれるお銀には本当に救われている。


鯉沼と組むことは決めたが、次のライブは結構近かった。

トリオ漫才のネタしか作ってなかったため、とりあえず代わりに1人加入させようと、アシィスに声をかけた。

アシィスは1人でよくわからないモアイ像のネタをやっていたので、もちろんOKであった。

その後はしばらく上手くいっているように思えたが、ライブ前の最後のネタ見せだった。

鯉沼は講師の言うことに納得できず言い返し、講師と口論になった。

だがその講師はワタナベで一番権力を持つ、絶対に気に入られなければいけない講師だったのだ。

俺とアシィスはその場を収めるためすぐさま講師側につき、「そうっすよね〜コイツほんとわがままなんすよ〜」とヘコヘコしていた。

鯉沼は俺たちの突然の裏切りに動揺を隠せない様子であった。

大事にならなくてよかったと思ったが、次の日。
ライブの2、3日前である。

鯉沼から養成所辞めるわ。とLINEが来た。

あんな講師の言うこと聞いてられねえ、と現代の芸人には殆どいないレベルの尖り方を見せ、消え去っていった。

俺とアシィスは2人取り残され、すぐそばに迫っているライブのために急遽ネタを作らなければならないのだった。

不義理な行いへの天罰がくだったのだろう。

続く。

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