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初めて1人でヒッチハイクをした夏。

初めて1人でヒッチハイクをしたのは、高専の4年生だった頃だ。(高専は5年まである。)

俺は当時、野球部に入っていた。
鈴鹿高専の野球部は高野連に入っていないため、全国の高専だけで行われる高専大会が実質夏の甲子園だ。

俺はベンチ入りしていなかったが、野球部は東海大会を勝ち進み全国大会に進出した。

全国大会が行われる場所は毎年違うが、その年は宮崎県の都城というところだった。

ベンチ入りメンバーは部費を使い、新幹線で行くことになる。

ベンチ外メンバーは行く必要は無いのだが、俺は大好きな先輩方を応援しに行くため宮崎県に行くと決めた。

俺の地元三重県鈴鹿市から宮崎県都城までの距離は、車で約1000キロ。
休まず高速道路を走り続ければ12時間で着く距離だ。

俺は学生なので当然お金もないし、車の免許も持っていない。
仕方がないのでヒッチハイクで行くことにした。

ヒッチハイク自体は、高3になる前の春休みに友達と2人でやったことがある。

その時は鈴鹿から東京までだったので、約400キロ。
距離は2.5倍違うが、まあなんとか行けるだろうと思いやってみることにした。

全国大会の初戦が始まる2日前に出発。

1日目はいきなり鈴鹿から神戸あたりまで行く家族連れの方に乗せてもらい、かなり幸先がいいかと思われた。
だが、その家族がいい人達すぎて下道に降りて美味しいご飯を食べさせてくれたりしたので、少し時間ロスをしてしまった。

とはいえ、とてもありがたかった。

問題はその先で、神戸から山口県まで進む際の高速道路だ。

山陽自動車道と中国自動車道という2つの高速道路があるのだが、どちらでも山口県までは行ける。

それならばどっちでもいいかと思い、俺はとりあえず方面さえ合っていれば乗せてもらおうと決めていた。

しかしこれが罠だった。

俺が西宮から乗せていただいた車は中国道の方を進んだ。
中国道はかなりの山道で、山陽道と比べ車が少ないのだ。

「じゃあここまでで」と、降ろしてもらった場所はまだ夕方にも関わらずほとんど車が居ない。

ヒッチハイカー殺しパーキングエリアだったのである。

そのPAの名は『社(やしろ)』

『山口方面』と書いたスケッチブックをずっと掲げていたが、車はほとんど通らず。

しばらくすると日が沈んでしまった。

このまま一生『社(やしろ)』から帰れないのではないかという絶望感に襲われたが、とりあえずは持ってきたテントと寝袋を開いて野宿することにした。

ちゃんとしたSAならシャワーがあったり、中のフードコートで寝たりできたのだが、『社(やしろ)』なのでそんなものは無い。

警備員すらも見当たらないので、芝生で堂々と寝させてもらうことにした。

意外と快適。


次の日の朝、半ば諦めながらスケッチブックを掲げているとトイレに寄ったおじさんが声をかけてくれた。

あまり遠くまではいかないらしいが、こちらからすれば『社(やしろ)』から出ることさえできればそれだけで万々歳だ。

ありがとうおじさん。

その後は大きめのSAで止めてもらうことを心がけ、ご夫婦→女子大生→ご夫婦→お爺さん4人組の車を乗り継ぎながら山口県壇ノ浦まで到達した。

本州と九州の境目である壇ノ浦まで来ればもうすぐかと思っていたが、宮崎県は意外とそこから遠かった。
壇ノ浦から福岡、大分を通り越してようやく宮崎県なのだ。

壇ノ浦からなんとか大分まで辿り着いた頃には日が暮れて、雨が降っていた。

大分のSAで疲れ果てて座り込んでいると、おばさまが話しかけてくれた。

しかし、訛りが強すぎて殆ど何を話しているのかわからなかった。

「え?え?」と言っているうちに車に乗せてくれて、そのまま宮崎県の銭湯まで連れて行ってくれた。

そのおばさまは未知の言語で銭湯の女将さんとなにやら話し合っていて、気づけば俺は無料で銭湯に浸からせていただけることに。

言葉はわからないが、宮崎の人はこんなにも優しいのかと感動した。

お風呂を上がると、その銭湯でおにぎりとチキン南蛮を食べさせてくれた。

宮崎県はチキン南蛮が有名だ。
チキン南蛮が美味しいと言われているお店はいくつもあるのだと思う。

でも俺にとっては、その時に食べたチキン南蛮が生涯で1番美味しかった。

人の温かみに触れて人間的にも大きくなったその日は、宮崎の快活に泊まり、シコって寝た。

そして翌日は全国大会一回戦の日である。

快活から野球場までは電車であまり遠くなかったのだが、意外と駅から野球場までが遠かった。
俺が到着したのは試合途中で、鈴鹿高専が何点かリードされていた。

しかし、俺が到着すると「壱晟が着いたぞー!」とベンチは盛り上がり、勢いに乗った鈴鹿高専は逆転勝利を収めた。

あの勝利は俺のお陰だと思っている。

結果鈴鹿高専は全国3位に終わった。
俺はベンチ入りしていないので銅メダルを貰えなかったが、一緒に集合写真は撮らせてもらえた。

その日は野球部が泊まるホテルまでバスに乗せてもらい、ホテルの前で夜までみんなと遊んだ。

その後は近くの銭湯に行き、大きな公園でテントを張って野宿をした。

なんかでっかい鳥居があった。

来た甲斐があったと満足して寝ようと思っていたが、ここは公園である。
近くにヤンキー集団がやってきた。

かなりヤバそうな気配がしたので、テントから出てトイレに隠れることにした。

しばらくしてトイレから帰ると、ちゃんとテントが蹴られていたり荒らされていた形跡があった。

宮崎はいい人ばっかりだと思っていたが、そうでもないようだ。

人の温かみと恐さを知った、18の夏だった。

おしまい。

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