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養成所時代の一年間。#1

WCSとはワタナベコメディスクールの略称で、芸能事務所ワタナベエンターテインメントの養成所である。

2019年の4月、俺は高専の時にコンビを組んでいたお銀黒川と共にそこへ入学し、WCS30期となったのだ。

WCSは授業を受ける日程によってクラスが違い、週5日、週3日(午前か午後)、土日どちらかの週1日のコースがあった。

お銀は大学に行きながら養成所に通うため、日曜コースに行くこととなった。

俺は大学もないのでどうせなら授業をいっぱい受けたい。

教務の方に聞いてみると、週3日の平日コースに通いながら、1日だけ日曜コースに振り替えるみたいなことができるようだったのでそうさせてもらった。

ネタ見せの授業の時は日曜コースに顔を出し、『おちん銀ず』として漫才を見てもらった。

初めて講師に見せた時、まず最初に言われたのは

「まずその、おちん銀ずってコンビ名を変えろ」

であった。ごもっともだ。
俺がわかりましたと言おうと思った瞬間、

「いや下ネタじゃなくて、お賃金ほしいなって意味で〜」

と、お銀黒川が反論した。
こういうところでは頼りになる男だった。

もちろんコンビ名は変更させられた。


授業は学校のようにちゃんと時間割がある。
ネタ見せの他にも発声、大喜利、すべらない話、写術、演技、ダンス等があった。

だが特に成績が出るとか、それにより事務所に所属できるとかでもない。

結局大事なのは月に一度行われる養成所内でのライブである。

SMLと呼ばれるそのライブは、お客さんによる投票で順位が出る。
それによりA、B、Cの3つのライブに割り振られ、ライブごとに上位と下位の数組が入れ替えられるのだ。

同期は入学当初、百組ほどいたと思うが所属できるのは十数組のみ。
所属するためには、まずAライブに入ることがとても大事だった。

A、B、Cライブの振り分けは前期の3回目のライブからでそれまでの2回はお客さんも入れず、同期同士で観る形だった。

ステージに慣れるためと、同期でネタを見てコンビを組んだりするための期間でもあるのだ。

最初からコンビを組んでいて、更には高校生時代ハイスクール漫才やM-1にも出場していた俺はかなりのアドバンテージを取っていた。

初めてのSML。
まだコンビを組んでいない者も多く、ネタがない人は自己紹介でもいいと言われていた中だった。

おちん銀ず改め、ハッピーチャッピーは満を持して舞台に上がろうとしていた。

お笑い用語で『明転飛び出し』という言葉を耳にしたことがある方もいるかもしれない。
その意味は舞台が明転、つまりは明かりがついてから袖から飛び出し、ネタが始まるということである。

普通の漫才の場合は全てこれだ。

コントの場合、『暗転板付き』という、暗転している状態でステージにいるという始まり方も多々ある。

つまりハッピーチャッピーは漫才なので『明転飛び出し』をしなければならなかった。

自分たちの出番が近づき、袖でスタンバイする。
前のコンビもその前のコンビも漫才で、ステージへの出方は見えていた。

前のコンビのネタが終わった。

そして舞台が暗転した瞬間、俺は極度の緊張により何故か舞台へ飛び出した。

「はいど〜も〜!!ハッピーチャッピーです!」

暗闇の中、俺の声が客席に響き渡った。

史上初の『暗転飛び出し』である。

その後に舞台は明転し、お銀は呆れながら袖から出てきた。

俺は極度の緊張により、まだ自分がやらかしたことに気づいておらず、後から出てきたお銀に対しなんでゆっくりしてんねんと半ギレだった

その後、ネタもちょっと飛ばした。

散々だったはずだが、笑い(ハプニング込み)はあったのでよかったなとポジティブに捉え、初めてのライブを終えたのだった。

続く。

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